終章 ②
「そろそろお邪魔しても良いかの?」
「ひゃっ!」
突然じじいの声が側から聞こえ、アメリが女の子らしい悲鳴を上げました。
「お待たせしてしまいましたか?」
「なに。家族の憩いの時間を邪魔する程無粋ではないよ」
「し……し……師匠!」
「何じゃ?」
「いつ……どこから聞いていた!?」
じじいが現れた事で、アメリの口調がいつもの調子に戻っています。
「『兄様起きていらっしゃいますか』の辺りからじゃったかな」
「ほぼ最初からじゃないか!?」
アメリは顔を真っ赤にしてベッドに潜り込んでしまいました。
「そんな恥ずかしがるような事じゃないだろう」
長兄が慰めますが、「うう~」という返事だか唸り声だか分からい音だけが返って来ます。
「まあ少しすれば落ち着くでしょう」
アメリをベッドから出す事を諦め、じじいに向き直ります。
「儂がおる事に気付いておったな、お主」
ギラリと目を光らせるじじい。長兄はイヤイヤと首を横に振ります。
「父ほどではないとはいえ、私も護身術程度には剣を修めましたから。あんなソナーみたいな殺気の使い方をされれば流石に気付くなという方が無理ですよ」
そう言うと長兄は、じじいに対し深々と頭を下げます。
「あなたがアメリを助けて下さったこと、感謝致します。そしてこれからもアメリの事、どうぞよろしくお願いします」
「お主にとっては父の仇じゃろうに、大切な妹御を任せて良いのか?」
「父も含め私達にとって一番大切なのはアメリです。アメリが為したかった事を為させてくれたあなたに感謝こそすれ、恨むような気持は一切ない事はハッキリと申し上げておきましょう。そして、父を破ったあなたの強さは紛れもない本物。これから外の世界を生きて行く事になるアメリの後見人として、あなた以上の人物はそうは居ない。と私は判断していますよ」
「カッカッ。これは大した人物じゃな。任せておくが良い。弟子に取った以上は、一人前と儂が認めるまでビシビシと鍛えてやるわい」
「それなら安心ですね」
じじいから皆伝と認められるという事は、この世界においても強者の位に到達する事を意味します。そしてそこまで鍛えるという事は、そこまで命の保証が成されているに等しい意味を持った言葉です。
「それにしても、良くここまで来られましたね。病院の警備は厳重だったでしょうに」
「なあに。この間ここに来た時に戦った警備の連中と比べたら、話にならんレベルじゃったよ。文明の進んだ人権意識の高い国家は楽で助かるわい。鎖や枷で拘束されんからのう。それにしても、魔法の治療は凄いのう! 腰をやってしまって一週間は動けんかと覚悟しておったが、一晩と掛からずに完治してしまうんじゃからのう! 魔法さまさまじゃ」
「はは。お役に立った様なら何よりです。治療師には腕利きを派遣しておきましたので」
「なに? ──お主やはり……出来るのう」
互いにニヤリと笑みを交わします。
「さて、あまり長居しても何じゃし、そろそろ行くとしようかの」
そう言うとじじいはベッドの膨らみに近付くと、ペイっと掛け布団を引っぺがします。
「ああ!」
「いつまで隠れとるんじゃ。ホレ。さっさと行くぞ。他の者に見付かると後が面倒じゃろ」
「ここでの事とは見なかったことに……」
「別に儂は気にしとらん」
まだ気まずそうにしているアメリを、じじいはアメリが入って来た窓まで引っ張って行きます。
「それでは失敬する。ちとこれから外が『騒がしく』なるかもしれんから、事後処理は良い様にしてくれてよいからの」
とう! と、そのまま二人は窓から姿を消しました。
その後、数時間にわたり謎の男女二人組により、警察及び軍の主要施設が襲撃され徹底的に破壊されるという、空前絶後の事件が立て続けに起こりました。謎の二人組については、王を暗殺し国家転覆を狙うテロリストだと名乗っていたと報道されました。何故かこの事件での死者がゼロであった事は、全く報道されませんでした。
◇
「師匠。着いたぞ」
「んん? おお。もう着いたのか。流石、早いのう」
半日ほどハイウェイをブッ飛ばし、二人は帝都キョウへと到着していました。
道半ばを過ぎたあたりから今まで、じじいは魔導バイクに揺られながら寝ていました。身体はアメリの魔法で固定されていたので落下の心配はありません。
二人の眼前には王都を遥かに凌駕する高層ビル群が──全く見当たりません。
見渡す限り二階建て程度の建物ばかりです。その上、建物の材料は土と木で出来ている様に見えます。じじいにはそれは、古式ゆかしき日本建築の様にしか見えませんでした。
「ふむ。何か思っていたのとは違うのう」
「そうか? 帝都と言えば『これ』が当たり前だが」
道は総石畳、街の人達も王都とは違い地面を移動しています。
「何と言うか、異世界感が……いや、逆にこれはこれで異世界ぽいと言えばぽい……のかのう?」
「のう? と聞かれてもな。私は師匠の故郷を知らんから答えようがない」
じじいの暮らしていた日本には、こんな江戸時代を綺麗にして持って来た様な街並みが、大都市として存在してはいませんでした。街の一区画程度が精々です。道が石畳なのは、流石に土道は……、かと言って王都の様な魔導素材なんかも帝都の景観にはそぐわないという事で選ばれたのでしょう。人が空を飛んで移動しないのも同様の理由でした。
帝都の街並みについて二人が語り合っていると、二人組の男達が手を振りながら近付いて来ます。アレクとシーザーの二人でした。
「到着前に私が連絡しておいた」
「気が利くのう」
「はっはー! もっと褒めてもいいぞ!」
得意気に胸を反らすアメリの頭を、じじいはよしよしと撫でてやります。
どこからみてもじじいと孫……に、見えなくも……うーん、どうでしょう。
「お早い到着だな」
開口一番のアレクの言葉に、アメリは自慢気に返します。
「この『白虎』があるからな! 当然だ! はーっはっはっは!」
『白虎』とは王都から帝都までじじいとアメリを乗せて来た魔導バイクの名前です。
有り余るアメリの魔力を前提とした専用機。王族仕様でもあり、その安全性、安定性、機動性、防御性能。ありとあらゆる面で一般販売のソレとは一線を画する物となっています。当然お値段も目ん玉が飛び出る程ですが、「アメリが乗るならこれくらいは当然」と家族の誰も反対する者はおらず、むしろよりオプションを盛ったモンスターバイクに仕上がっていました。
「お互い無事で何よりだ」
「お主等のお陰で余計な邪魔が入らんで済んで助かったわい」
「軍と警察相手の大立ち回り、しかも一人も殺さずにってんだから、こっちもこっちで大変だったぜ。な!」
「その点は感謝している。私の我儘でこれ以上無駄な犠牲は出したくなかった」
「気にする事は無い。我々も別に好んで人を斬りたいとは思っていない。言われずともそうしていただろう」
共同戦線を張ったとはいえ、長々と旧交を温める様な仲でもありません。
直ぐに本題に入ります。
「ホレ。例の物じゃ」
じじいがアレクに手渡したのは、剣の柄です。
グラディアスが創った魔剣の柄でした。勿論、魔石も嵌め込まれています。
「それと、アレじゃ」
と指さしたのは、白虎の横に括りつけられている一本の大剣──聖剣でした。
「はっはっはっはー! 魔剣の方は兎も角、押収されていた聖剣を回収するのは一苦労だったぞ。感謝するがいい!」
アレクは魔剣の柄をシーザーに渡し、聖剣を手に取ります。
その時、本来の主を歓迎する様に輝石がキラリと瞬いた様に見えました。
「やっぱりコレがしっくり来るぜ」
「ふむ。では本来の力を取り戻した所で、儂と勝負せんか? 今度は本当の全力でな」
「……今はまだしねー」
アレクは聖剣を背負い、じじいに背を向けます。
「あんたと
「それでは剣を取り返して来た意味がないじゃろ……」
じじいは当てが外れたとがっかりしています。
「おい! 俺達の為に取り返して来てくれたんじゃないのかよ!」
「何で儂がそんな事をせにゃいかん」
心底意味が分からないといった顔のじじい。
「剣での勝負では相手にならんから、聖剣とかいうハンデをやれば少しは張合いがあるだろうと思って持って来てやったに決まっておろう」
「誰がクソ雑魚野郎だ、やってやろうじゃねぇかこのインチキじじい!」
アレクが聖剣に手を掛けた所で、シーザーが制止します。
「そこまで言ってないだろ。というか見え透いた挑発に一々乗るな馬鹿」
「誰が馬鹿だ! 要するに言ってることはそういう事だろが!」
「実際、二人掛りでボロ負けしただろ。今この時の実力差は受け容れろ馬鹿」
「ハッ! ──負け犬が」
ブチッ。
とシーザーの頭から何かが切れる音が聞こえる様でした。
「どわっ!」
目にも留まらぬ速さの抜打ちは、正確にアレクの
咄嗟に身を引いて躱したアレクですが、頸からは薄く血が滲んでいました。
「てめっ……! 殺す気か!」
「死ね」
本気で斬り掛って来るシーザーに、アレクも聖剣でもって応戦します。
二人で戦い始めたのを見てじじいは、
「カッカッ! よし。儂も混ざるとしようかのう!」
意気揚々と二人の喧嘩に乱入して行きました。
「師匠ー!」
止めようとしたアメリの声は誰にも聞きとめられる事はなく、空しく宙に消えて行きました。
それから数分後。
地面に横たわる三人を、呆れた表情でアメリが見下ろしていました。
「お前たちは馬鹿なのか……?」
地面に寝転がっている三人は、全身からブスブスと煙を上げていました。
「へへ……。やるじゃねぇか姫様……ガク」
「聞きしに勝るとはこの事だな……グフ」
「お主に教える事はもうない……チーン」
とそれぞれ好き勝手な事を言いながら空を見上げています。
今はそれくらいしか出来る事がないからです。
三つ巴で戦いが膠着しかけた所でアメリの魔法が炸裂し、三人纏めてノックアウトされてしまったからでした。
「まだ剣の持ち方しか教わっておらん!」
「冗談じゃ。そう怒るでない。しかし、これだけの魔法が使えるなら剣など要らんと思うがのう」
「天下五剣の娘が、剣の一つも使えないのでは格好がつくまい」
「そんな事はないじゃろ」
「ああ。全く関係ないな」
「姫様は口調だけじゃなく、考えまで古いんだな。まるでお婆ちゃんだな。いや待てよ。ウチのばあちゃんでもそんな事は言わねぇわ」
「ば……っ!」
アレクの止めの言葉に、アメリは絶句します。
「カッカッ。まあ一度引き受けた以上は、キッチリ仕込んでやるわい」
あーどっこいしょ。とじじいが立ち上がると、勇者達も起き上がります。
「はぁ~……。全く酷い目にあったぜ。ったく、誰のせいだ」
「それは俺の台詞だ」
「あん?」
「おう?」
再び睨み合いを始める二人。
「ホレ。そんな事をしておると、またアメリに魔法を喰らわされるぞ」
じじいの忠告に二人はバッと視線をアメリに向けます。
未だおばあちゃん扱いのショックが冷め止まないアメリは茫然自失状態です。とは言え、流石に目の前でドンパチ始まれば流石に正気に戻ってしまうでしょう。
「流石にまたアレを喰らうのは──」
「勘弁願いたいね」
コクリと頷き合うと、先程までの険悪ムードは何処へやら。そそくさと、仲良く退散していきます。
と、少し離れた所でアレクがくるりと振り返ります。
「次会う時は俺達が、勝つ!」
「望む所じゃ! 返り討ちにしてやるわい!」
二人は近くに停めてあった車に乗り込むと、東の方角へと走り去っていきました。
「ば……おば……おばあちゃん……」
十六のうら若き乙女は、おばあちゃん扱いのショックがまだ抜けていませんでした。
「ほれ。いつまで呆けておる。シャキッとせんか」
パッチーン!
と尻たぶを一叩きすると、
「きゃっ!」
とアメリに似合わぬ可愛らしい悲鳴を上げます。
突然の出来事に目を白黒させたアメリがじじいに抗議します。
「師匠! 乙女のお尻を軽々しく叩かないでいただきたい!」
「いつまでも馬鹿みたいに呆けておるからじゃ。お主が呆けておる間にもうあ奴ら行ってしもうたぞ」
「ええっ!?」
「まあ、またそう遠くない内に会うじゃろうがな。カッカッ。その時が愉しみじゃわい」
じじいは異世界の空を、街をぐるりと見渡します。
異世界という未知の原野を耕し、
人脈、火種という種を撒いた。
これらがどう育っていくか、
実に楽しみじゃ。
カッカッカッ! と高らかに、実に愉快そうに笑っています。
これからも様々な種を撒いて育てて行くとしよう。儂の儂による儂の為の異世界スローライフの幕開けじゃ!
碌でもない野望を胸に抱き、じじいは帝都へと歩き出します。
「さあて、儂らは儂らで帝都観光としゃれこもうぞ。アメリや。案内を頼むぞ」
「はっはー! 任せておくが良い!」
じじいの傍迷惑な思惑など知る由もないアメリが、元気一杯じじいの手を引いて帝都を練り歩く姿は、仲の良い爺孫に見えなくもありませんでした。
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