五章 ③
「出来れば
「持っておるのは重心の位置から分かっておったが、抜いてしまいおったか。剣士としてのお主は敵として認めるに十分じゃったというに、残念な事じゃ」
「何とでも言うが良い。私はこんな所で負ける訳には、死ぬ訳には行かんのだ。何としても元の
「何じゃ、お主も復讐が目的か。親子揃ってそういう所は似ておるのじゃな。人生もっと楽しい事を考えて生きた方が良いぞ」
「知った風な口を……。我が千年の鍛錬が、銃という圧倒的な武器の前には何の意味も為しはしなかったのだぞ。……だが、それだけならば良い。自分の不甲斐なさを悔やみこそすれ、復讐しようなどとは思わん。私が許せないのは、正々堂々の剣の勝負に負けた奴が……奴が! 卑怯にも! 銃で武装し集団で『私』を嬲り殺しにした事だ!」
グラディアスは感情も露わに怒鳴り散らします。
「今でも奴ら、一人一人の顔を覚えている……っ! 元の
「かーっ! 暗い暗い。発想が暗すぎるわ。どうせもう一回死んだんじゃから、前世の事など忘れてしまえば良かろうに」
「貴様にこの怒りは分かるまい!」
「ああ、分からんのう。全く分かる気がせんわい! そんな負け犬の遠吠えなぞな!」
「な……んだ……とぉぉぉおおおおおお!」
怒りのままに引かれた引鉄により、
燃焼する火薬のガス圧で押し出される弾頭が、音速を超えてじじいに襲い掛かります。
ドン!
とこれまたじじいには聞きなれた発砲音を耳にする前に、じじいは刀で弾丸を逸らしていました。
弾道を逸らされた弾丸は床に着弾し、小さな穴を一つ、開けていました。
グラディアスは目を見開いて驚愕していました。
「な……馬鹿な……。ありえん……。あり得んだろう! そんな事が現実に出来る訳がない! そんな事が出来るのは創作の中だけだ!」
「じゃから言うておるじゃろう。負け犬の遠吠えじゃと」
銃弾を弾いて刀身に罅の入った刀を、じじいはあっさりと捨てました。
そしてゴソゴソとじじいも懐から何かを取り出します。
「すまんが儂も銃相手となると手加減は出来ん。こちらも秘密兵器を使わせて貰うぞ」
と言って取り出した物を手に嵌めています。
「何だそれは……?」
「知らんのか? 手袋じゃ」
とじじいが言うように、それは手袋でした。
とは言っても、防寒用の物ではありません。
「そんな事は見れば分かる! それのどこが秘密兵だと言うのだっ!」
「どこがも何も、まんまじゃが」
馬鹿にした様子もなくじじいは言い切ります。
それもそのはず。じじいが装着した手袋は、じじいが某国に作らせた対銃弾用の特殊繊維で作られた特注品です。脅威の摩擦抵抗力で、擦り切れるという事がありません。
ピッチリと手にフィットするその手袋の感触を、ぐっぱぐっぱと確かめ馴染ませます。
「何じゃ。撃ってこんのか?」
じじいの余裕綽々といった仕草に、グラディアスは警戒を強めます。
銃と手袋。どう考えてもグラディアスの優位が揺らぐとは思えません。
しかしこの場面で取り出した手袋が、しかもあのじじいが秘密兵器とまで言ってのける代物が只の手袋だとは、グラディアスには到底思えません。何か手袋としての機能以外に隠されたモノがあるはずだと、それを警戒していました。
銃をじじいに向けて構えながら、じり……じり……と、じじいを中心に円を描くように移動しながら、じじいの隙を窺います。
じじいは、そんなグラディアスに対し半身に構えます。
どうもじじいはグラディアスが撃って来るのを待っている様子です。それに一体何のメリットがあるというのでしょう。
素手対銃。
どう考えても先に動かなければならないのは、素手であるじじいの方である筈なのに、じじいはじっとその場で構えたまま、攻めに出る様子がありません。
グラディアスも、先程じじいが刀で銃弾を弾いたのを見て、ただ真正面から撃っただけでは躱されるのではないかという危惧も抱いていました。そのため、闇雲に撃つのは避け、じじいが攻勢に出た瞬間を狙うつもりでいました。
惑星の公転の様に、じじいの重力を振り切れないグラディアスがじじいの周りを一周したその時、じじいの軸足に荷重が掛かったのをグラディアスは見逃しませんでした。
(来る!)
それはグラディアスが待った、千載一遇の好機。
如何な達人といえど、慣性の力に抗う事は容易ではありません。
しかし、グラディアスが好機と捉えたソレは、じじいの誘いでした。
剣士であったグラディアスならそうと気付く事が出来たでしょう。しかし、銃という安易な強さに逃げた今のグラディアスには、ソレに気付けるほどの直感も、冷静さもなくなっていました。
ドン!
と再び放たれた弾丸は、狙い
じじいは銃弾が放たれる瞬間を完璧に見極め、弾道から体を逸らすと、なんと飛来する弾丸を右手で掴み取ったではありませんか!
鍛えられているとは言え、じじいの細腕一本でそう簡単に音速を超える銃弾の推進力を止める事は出来ません。じじいは肩を軸に円運動で銃弾の推進力を受け流し、フィギュアスケーターの様に華麗に宙で横回転を決めて着地します。
この間、僅かに一秒足らず。
着地を決めたじじいは、握った右手をグラディアスに突き出します。
グラディアスに見せびらかす様にゆっくりと開いた右手から銃弾が床に落ち、コツーンと音を響かせます。
「は……?」
グラディアスの顔は驚愕を通り越し、蒼褪めていました。
顔は汗でびっしょりと濡れそぼり、口は大きく開きっ放しです。
それは真に『化物』を前にした人間の、恐怖の表情でした。
「はあ?」
グラディアスの口から漏れた特大の「はあ?」は、一体誰に向けられたものでしょうか。
「確かに銃は強力な武器じゃ。個人が携帯出来る武器では最強の部類じゃろうな」
じじいが一歩踏み出します。
それに釣られグラディアスは一歩下がります。
「じゃが、銃には大きな弱点がある。分かるかのう?」
もう一歩。
じじいが近付いた分、グラディアスも下がります。
「銃の弾は、物理ほーそくの中で真っ直ぐにしか飛ばん、という事じゃ」
勿論、距離が離れれば離れるほど重力や風の影響を受け、文字通りの真っ直ぐに飛ぶという事はあり得ません。しかしこの室内で近距離であれば、ほぼ文字通りに真っ直ぐ飛んで来ます。
「一度目の銃撃で速度は掴んだ。ならば撃つタイミングや弾道はお主を『見ていれば分かる』のじゃから、ボールをキャッチするのと同じくらい簡単に掴めてしまうのじゃなあ」
「は……ははは……」
グラディアスの口からは乾いた笑いしか出て来ません。
もうじじいが何を言っているのかサッパリ分かりません。言葉としては理解出来ています。理屈も、まあ分からないでもありません。いつ、どこに、なにが、来るのか分かっていれば、それを掴む事は確かに出来るでしょう。それが、超音速で飛来する、視認不可能な銃弾でさえなければ。
「儂の大道芸も、中々の物じゃろう?」
更に一歩、一歩、とゆっくりとじじいは歩を進めます。
その度グラディアスは一歩、一歩と後ろに下がります。
しかしホールが広いと言えど、当然その広さには限りがあります。
そしてグラディアスの背中が遂に、壁を捉えました。
「来るな……来るなあっ!」
ドン! ドン! ドン!
恐怖に駆られたグラディアスが、続けざまに三発発射します。
「ふんっ!」
右手を前に突き出し小刻みに動かすと、三発の銃弾はその軌道を逸らされあらぬ方向へと飛んで行きました。
じじいには掠り傷一つありません。
「ヒィィィィィィッ! 嘘だ……嘘だっ! 銃だぞ! これは銃なんだぞっ!」
「それが何じゃ。そんな金属の弾をただ真っ直ぐ飛ばすだけのモンで儂を
じじいの一喝に、遂にグラディアスは腰が砕けた様に地面にへたり込み、立ち上がれなくなってしまっていました。
それでも何とかじじいから遠ざかろうと、必死で両手で床を這う様は、無様を通り越して最早哀れですらありました。
「もう良い。次で決めるとしようかの」
「あ……あ……あぁ……」
グラディアスは尚も必死に後退りながら、右手で銃をじじいに向けます。
その銃口は恐怖で震え、真面に狙いが定まっていません。
「来るな……来るな……いやだ……嫌だ……来るなあああああああああああ!」
「止めじゃ!」
ドドン!
じじいの強烈な踏み出しと、一発の銃声。
震える銃口から飛び出した弾丸は、じじいの横を空しく通り過ぎて行きました。
そして、次の引鉄を引くだけの猶予は与えられませんでした。
「セイッ!」
力強く振り抜かれたじじいの脚は、床に尻もちを付いているグラディアスの顎を捉え、強制的に直立の姿勢で少し浮き上がらせると、
「ハアアアッ!」
その場で半回転。強力な後ろ回し蹴りがグラディアスのがら空きの腹に突き刺さりました。
「ガッ……ハァッ!!」
背後に壁を背負ったグラディアスは、その衝撃の全てを受け止める事になりました。
全身から力が抜け、今度は恐怖からではなく床に倒れ伏します。
「ガ……ガハッ!」
吐いた血の量から、臓器に致命的なダメージを負った事は間違いないでしょう。
最早指一本真面に動かせない状態でした。頼みの銃も空しく床に転がっていました。
それでもまだ暫く、じじいは油断なくグラディアスの様子を窺っていましたが、直にそれも必要なしと判断しました。
「お主の決定的な失敗は唯一つ。儂に剣を捨てさせた事じゃ」
じじいの言葉に、グラディアスは虚ろな瞳を向けます。
あれほどの剣の腕を持ちながら何を言うのかと。
「儂が最も苦手な武器がのう、剣だからじゃ。
最弱状態のじじいにすら勝てなかった最強状態のグラディアスが、剣を捨て銃を手にして心を弱らせた状態で、本来の力を発揮するじじいに勝てる筈がありませんでした。
「アメリや!」
二人の戦いの邪魔にならない様に隅の方で出番を待っていたアメリ。じじいに呼ばれるまでずっとそうしていました。そしてやっと──その時が来ました。
途中、じじいが捨てた折れた刀を拾い上げて行きます。
「楽にしてやりなさい」
「──はい」
じじいはグラディアスの正面から下がり、アメリに場所を譲ります。
焦点の定まらない視線でアメリを見上げるグラディアスの顔に、アメリは悲しさと寂しさを覚え、それを振り払うように顔を左右に振ります。
キッと決意の瞳でグラディアスを睨み付け、折れた刀を握る手に力を篭めます。コイツは憎き父の仇なのだと自身に言い聞かせます。
後はこの刀を、グラディアスの心臓に目掛けて突き立てるだけです。
そう。それだけの事。
心の準備は、十分にして来た筈でした。
しかし刀を握るアメリの手は震え、知らず知らずの内に涙が頬を滑り落ちていました。
「やれるか?」
「……やれます……。……やり……ます!」
「無理せんでも良いのじゃぞ」
「はぁー……は……は……はっ……! 私は、アメリ、ピースメイカー! ちち……うえの……仇は、仇は……」
ボロボロと零れ落ちる涙を、アメリは止める事が出来ませんでした。
魔人に成ったとはいえ、その魂には紛れもなく父グラディアスの影が色濃く残っていました。
こいつは魔人。魔人。父上を殺し、成りあがった異世界人だ。
何度そう言い聞かせても、やはりその目に映るのは今にも息絶えそうな、愛する父親の姿でした。
「父上。お覚悟を……っ!」
溢れんばかりの愛と憎しみを胸に、刀を構えました。
◇
痛い。辛い。苦しい。
誰か。誰か私を助けてくれ。
私は。私はまだ、こんな所で死ぬ訳にはいかない。
嫌だ。まだ死にたくない。
嫌だ嫌だイヤだイヤだいやだいやだいやだいやだいやだ……。
身体はもう殆ど真面に動かず、思考も正常に働かず、五感も碌に機能していません。
グラディアスは正に、死の淵に立っていました。
自分の傍で誰かが何かを話している様な気がしますが、それを聞き取る力も、理解する頭もありません。
ただ、死から逃れたいその一心で、目の前の影に対して最後の力を振り絞ります。
動かせたのは、右手を少しだけ。
しかし、その少しだけで十分でした。
右手の袖口から小型の仕込み銃が飛び出し、グラディアスの手に収まります。
その仕込み銃には引鉄はなく、尻にあるボタンを押すと一発だけ銃弾が撃てる仕組みです。
狙いも碌に付けられはしませんが構いません。
銃を握り力の抜けるまま、ボタンを床に叩き付けました。
◇
「いかん!」
グラディアスの動きに逸早く気付いたのは、じじいでした。
しかし、少し気を抜いていたのが災いしたのでしょうか……
「うぐっ!」
動き出そうとした瞬間──腰に激痛が奔りました。そう、ギックリ腰です。
戦闘では無敵を誇ったじじいも、ギックリ腰には歯が立ちません。力なく
小口径と言えど至近距離から被弾すれば、当たり所が悪ければ致命傷になり得ます。
撃ったのがグラディアスでさえなければ、魔力障壁のあるアメリにとって銃弾など何の脅威でもないのですが……。
銃口はアメリに取っては不運にも、魔人グラディアスに取っては……果たして幸運と言えるのでしょうか。アメリの心臓をピタリと狙っていました。
振り下ろされるアメリの刃。
放たれる弾丸。
最悪の結末が待っているかに思われました。
そこに──
シャッ!
という擦過音の様な物が仕込み銃の発砲音と同時に聞こえたかと思うと、放たれた銃弾を弾き飛ばして床に新たな穴を作り出していました。
◇
「ちぃと予定とはちゃうけど、まあこれで依頼完了って事でええやろ」
王邸から直線距離にして五百メートルは離れたビルの屋上にその男は居ました。
屋上に這い
自身が放った銃弾の結果を確認すると、何の感慨もないかの様に手際よく撤収準備に取り掛かります。
「やっぱり、あのじいさんとは戦わんで正解やったな」
シーカーの銃弾がグラディアスの凶弾を弾くその僅かに前。シーカーが引鉄を引いた正にその瞬間。じじいはアメリ達の方ではなく、シーカーの居る方向を見ていました。
そんな筈はないのに、目が合った気さえしていました。
「はあ……くわばらくわばら。じじいに絡まれる前に、さっさと退散や。ええ気分の内にキレイなねぇちゃんとこにでも遊びいこ」
一仕事終えたサラリーマンの様な風情で、シーカーは盛り場に出かけて行きました。
その立ち去り際、シーカーは一枚の紙を燃やして宙に投げ捨てました。
それは開かれたアメリからの便箋でした。
その中にはこう書かれていました。
『本日王邸にて決行。不測の事態あれば後事はお主に託す』
◇
「あああああああああああああああああああ!」
アメリは溢れるに任せたまま涙を流しながら、じじいの折れた刀を振り下ろします。
グラディアスが銃を撃った事も、その銃弾がシーカーによって狙撃され九死に一生を得た事も、気付かないまま。
止めるモノのないアメリの刺突は、狙い過たず、吸い込まれるようにグラディアスの胸に突き刺さりました。
今まで経験した事のない、得も言われぬ感触に、アメリは思わず刀を手放しそうになりました。胃からこみ上げて来る物を無理矢理に抑え込み、震える両手でしっかりと刀を握り直すと、体重を乗せて刺さった刀を押し込みます。
折れて歪になった刃先からは、無理矢理に押し込んだ事でより強く肉の感触が伝わって来ます。
傷口と刃の隙間から噴き出した血がアメリに掛かると、そこが限界だったのでしょう。
「う……うぉぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
堪え切れなくなったモノが床に撒き散らされました。
それは胃の中が空になるまで収まる事はありませんでした。
いっそこのまま自分も……などと馬鹿な考えが頭を過ると、少し動ける様になったじじいがそっとアメリの手にその手を重ね、優しく背中を撫でていました。
「はぁ……はぁ……師匠……師匠……」
「もう良い。良くやった。良くやった」
アメリの呼吸が落ち着いて来たのを見計らい、じじいは刀を握ったまま固まっているアメリの手を解いて行きます。
「あ……」
その時になってやっと、アメリはまだ自分がグラディアスに刺さったままの刀を握り続けている事に気付きました。
そして完全に動くことがなくなったグラディアスに。
アメリの刃はグラディアスの心臓に突き刺さり、その命を奪っていました。
放って置いても直にその命は尽きる定めではありましたが、グラディアスの──父親の仇に止めを刺したのは、紛れもなくアメリでした。そしてそれは、自らの手で、愛する父を殺した事に他なりませんでした。
「あ……あああああああああああああああああああああああああああ!」
それは歓喜。
それは悲哀。
どちらかでなく、どちらも。
アメリの慟哭は、広間に警察の部隊が突入してくるまで止む事はありませんでした。
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