五章 ②

「私が千年の研鑽の内に編み出した奥義。受けられるものなら受けてみよ!」

 グラディアスの気合がほとばしると同時、向かい合うじじいの背後から強烈な斬撃の気配が襲い掛かって来ました。

 じじいは正面のグラディアスを視界に捉えたまま、背後を振り返る事無く気配だけでその斬撃を躱します。

 しかし不思議な事に、幾ら経っても剣がじじいの横を通り過ぎる事はありません。

 それを疑問に思う間もなく、今度は左右から同時に斬撃の気配が。

 後ろに少し身を引き剣を躱しますが、やはり剣がじじいの前の通り過ぎる事はありませんでした。

 この間、グラディアスはその場から一歩も動いていませんでした。

「なるほどのう……」

 この二度の斬撃で、じじいはグラディアスの攻撃の正体を掴みました。

「幻の刃……と言った所かのう」

「はっは! 流石。御明察だ」

 それはグラディアスが生み出した幻の剣。受ける側にも非常に高い能力が求められるグラディアスの秘奥。己より強い相手を倒すために編み出した、とっておきでした。

「今のはホンの小手調べだ。先日見せて貰った技の礼だ。そして……」

 グラディアスはぐっと足に力を篭めます。

「これが本当の私の奥義! ムゲンじんだ!」

 突進する様な鋭い踏み込みからの強烈な一撃。

 それと同時に合計八つの幻の刃がじじいに襲い掛かります。

「幻で人は斬れんぞ!」

「それはどうかな!」

 じじいは敢えて幻の刃を無視し、グラディアスが振るう実体のある剣を捌きます。

 剣を逸らされたグラディアスは、その勢いのままじじいの脇を駆け抜けて行きました。

 じじいが背を向けたグラディアスに追撃を繰り出そうとした瞬間でした。

「むっ!」

 じじいの反応は今までに見た事のないほど素早い物でした。

 八つの幻の刃は、全くの同時という訳ではありませんでした。それぞれにコンマ一秒にも満たない極僅かなズレがあり、それがじじいに対処するだけの猶予を与えてしまったのです。

 じじいは無視した幻の刃。その一つ目の刃が身体に触れた瞬間──まるで本物の刃に斬られたかの様にスパっと肌に裂傷が走ったのを察知し、グラディアスへの追撃を瞬時に取りやめ、残り七つの刃を全力で回避する事に専念したのです。

 じじいの対応が早かったのが幸いし、七つの刃はじじいの身体を掠めるに留まり、大きな手傷を追わせるには至りませんでした。しかし、一つ目の刃はじじいの左腕を斬り裂き、深手を負わせていました。

「あそこから躱すか。貴公は本当に化物だな」

 必殺の奥義を初見で躱された事に、グラディアスは驚きを隠せませんでした。

 確かにそれなりの傷を負わせる事は出来ましたが、これは文字通り『必殺』の奥義。相手が死んでいない以上、それは奥義が防がれたも同然でした。

「ほー痛いのう。自分の血を見るのなぞいつ振りじゃろうか。ふっふっふ……。良いぞ良いぞ。カーッカッカッカッカッカッカーッ!」

 袖を染め上げる赤の色に、益々じじいはヒートアップして行きます。

「師匠!」

「手出し無用! この程度の傷、どうという事はない!」

 じじいの傷を治療しようとするアメリを制止します。

 そんな些末事で、今、この瞬間を邪魔されては堪らんわい!

 動揺を残しつつも、再度ムゲン刃を放とうとするグラディアスにじじいは不敵な笑みを浮かべています。

「成る程成る程のう。夢幻と無限を掛けておるのじゃな。中々どうして、面白い『大道芸』じゃな」

 その言葉にグラディアスは強く反応します。

「──何だと? もう一度言って見ろ!」

「お主の技は大道芸じゃと言ったのじゃ」

「──っ!!」

 ゴウッ!

 己の奥義を大道芸と揶揄されたグラディアスは、怒りのままにじじいへと突撃します。

 そして再び八つの幻の刃がじじいに襲い掛かります。

「こんな感じか……のう!」

 じじいはその場から動かず、何かを試していました。

 最早回避も防御も間に合う状況ではありません。

「終わりだ!」

 グラディアスが剣を振り上げたその時、背後からグラディアスを襲う一振りの刃。

「何だとっ!?」

 その気配に、咄嗟に振り返って刃を受けようとします……が、そこにグラディアスを襲う刃はありませんでした。

 全身を凄まじいまでの悪寒が奔り抜け、グラディアスは無意識にじじいから全力で距離を取っていました。あの状況ではじじいは幻の刃によって良くて致命傷、悪ければなます切りになって即死しているはずです。しかし、直感が告げていました。じじいは生きていると。

 十分な距離を取ってから振り返ったグラディアスの目に、先程と同じ場所に居るじじいの姿が映ります。

 グラディアスの直感通り、じじいに新たな傷はありませんでした。

「今のは……。一体、何を……、何をしたっ!」

「これは可笑しな事を訊くではないか。今のが何か、それを一番良く知っておるのはお主じゃろう?」

 じじいのその言葉に、グラディアスは確信しました。

 しかし、信じたくもありませんでした。

 グラディアスの理性はそれが『アレ』であると理解しながらも、グラディアスの感情がそれを否定します。

 千年の積み重ねの集大成たる奥義。

 それを僅かに三度。真価を見せたのはたったの一度。

 それだけで、たったそれだけで!

「認めん! 認めんぞっ!」

 グラディアスの鬼気迫る声と共に、三度じじいを幻の刃が取り囲みます。

 今度はそれを、二重……いや三重の二十四の刃を生み出します。

「どうだ! これは防ぎ切れまい!」

「益々大道芸じゃ……のう!」

 じじいは取り囲む二十四の刃に合わせるように、同じだけの幻の刃を生み出し、打ち消し合います。

「ふむ。やはり幻には幻じゃな」

「ば……馬鹿な……」

「どうした? もう手品は品切れかのう?」

 グラディアスの全身がワナワナと震えます。

 屈辱。悔恨。恐怖。怒り。

 様々な感情がグラディアスの身体から溢れて来ていました。

「千年……。千年だぞ! 私がこの奥義を会得するまでに要した年月だ!」

「ほっほう。そうかそうか。お主──」

 じじいはグラディアスを指さす様に刀を向けます。

「非才の者じゃったか」

「────ッッッッッッ!! 殺すっ!!」

 これまで己を剣の才に溢れた者だと疑いもしていなかったグラディアスは、じじいのその言葉にプライドをズタズタに引き裂かれてしまっていました。

 我を忘れる程に怒り狂ったグラディアスは、その怒りのままにじじいに全てをぶつけます。

 じじいの周囲に現れる幻の刃。

 一重二重三重……通り越して、遂には八重。六十四の刃が怒涛の雨となってじじいへと襲い掛かります。

「数を増やした所で、所詮大道芸は大道芸よ!」

 じじいもその全てを同数の刃で迎え撃ちます。

「死ねぇぇぇぇぇ!」

 百を超える幻の刃が飛び交う中を、グラディアスは全身に傷を負うのも構わず突っ切り、じじいへと斬り掛かります。

「お主、これが限界か?」

 怒りに任せただけの、技も虚実もない、ただの剛剣は目を瞑っていてもじじいには容易に躱せてしまいます。

「うるさいうるさい! 黙れぇぇぇぇぇ!」

 更に数を増やすグラディアス。遂には一人で百を超す刃を生み出します。

 奥義の名に、無限の意を篭めるだけの事はありました。

「数をいくら増やした所で、無駄だという事が分からんかっ!」

 じじいの裂帛の気合と共に生み出された刃は、実にグラディアスの倍にも及びました。

 ここに来て初めて、グラディアス自身が幻の刃に取り囲まれる。その事実にグラディアスの心は完全に折れ、砕けていました。

「あ……ああああああああああああああああああああああああ!」

 自身を取り囲む刃から身を護る為に、襲い来る幻の刃をひたすら打ち消し続けます。

 じじいはそれを黙って見つめていました。

 じじいが放った幻の刃を全て打ち消したグラディアスは、心身共に疲弊しきっていました。流れる汗は全身をぐっしょりと濡らし、床に滴り落ちています。

 じじいも全身を汗で濡らし、肩で息をしていました。

 連続したムゲン刃の打ち合いは、互いの気力体力を大きく奪っていました。

「幻は所詮、幻じゃよ。お主ほどの実力の持ち主なら、こんな幻ではなく、己の腕をもっと磨くべきじゃったな。そうであれば、結果はこうではなかったかもしれん」

 と、口では言いながらじじいはニヤっと笑みを浮かべます。

「じゃが、どちらにしろ、勝つのは儂じゃがな! カーッカッカッカッカ!」

 勝利を確信したじじいの油断。

 高笑いの隙を衝く。

 これが最後のチャンスと、意を決した瞬間──じじいと目が合っていました。

 この化物の様なじじいに油断など一切ないのだと、この時グラディアスは悟りました。

 最後の好機──だとグラディアスには思えた──も潰えた今、もう剣士たるグラディアスに残された手は、何一つありませんでした。

 何をしても、どんな技を繰り出しても、このじじいに通用する未来が思い描けない。

 それはグラディアスの、心からの敗北でした。

 力なく床に崩れ落ち、じじいの動きを見ている事しか出来ないグラディアスに、じじいは一つ種明かしをします。

「何故こうも簡単にお主の技を使えたか。それを教えてやろうかのう」

「貴様が化物だからだろう」

「カッカッ! まあそれもあるのう!」

 グラディアスの皮肉を全力で肯定します。

「じゃがそれだけではないという事じゃ。なんと、儂もお主と似た様な技があるんじゃなあ」

 じじいの言葉に、アメリはピンと来る物がありました。

「なん……だと……?」

「勿論、お主の技とは全く違うモノじゃが、発想の根幹は似ておる。じゃから、少しコツさえ掴めばお主の技も簡単に真似できるという訳じゃな」

 じじいは勝負の決着をつけるべく、刀を構えます。

「冥途の土産にすると良いぞ」

 じじいの身体から目に見えぬ闘気が膨れ上がるのを、グラディアスは肌で感じていました。何か動かなければ、何か行動を起こさなければ、このままじじいの刀に貫かれ、その命を落とす事になるのは必定です。

 そしてそこでグラディアスは気付きます。

 己の身体がピクリとも動かない事に。

「な……何を……」

 した。と口をつく前に気付きました。

 これがじじいの言っていた、ムゲン刃に似た技だと。

 それは勇者達に使った、あの技でした。

 全身を隈なく包み込む様なプレッシャーに、グラディアスの身体は身動き一つ取れなくされていました。

 正しくは、あらゆる身動きを同時にこなそうとした結果、何も出来なくなってしまっているのが、今のグラディアスの状況でした。

「ぐ……ぐおおおおおおおおおおおおお!」

 動く場所と言えば口くらいです。

 とはいえ、いくら気勢を吐こうとも身体は一向に動こうとはしません。いえ、出来ません。

 その間も、ゆっくりとですが確実に、刀はグラディアスへと近付いて来ます。

 わざとゆっくりしている訳ではありません。

 じじいの技もグラディアスのムゲン刃と同様に、高い集中力を要する技なのです。

 技を維持しながら身体を動かそうと思うと、どうしても身体の動作が遅くなるのがこの技の欠点でした。

「私はまだ……まだ、こんなところで死ぬ訳にはいかんのだ……っ!」

 どうすればこの技を破る事が出来る?

 グラディアスはありったけの知識と経験から、僅かな時間で思考します。

 じじいは僅かな時間でグラディアスの技を会得して見せました。

 技の根幹は似ているとじじいは言いました。そこにヒントがある筈です。

 グラディアスとじじいの剣の腕はほぼ互角。ならば、グラディアスもじじいの技を会得、もしくは打ち破る事が出来てもおかしくはありません。

 そこまで思考して気付きました。この技の正体に。

「そうか……分かったぞ……!」

「ほう! じゃが、分かっただけでは意味がないぞ?」

「タネさえ分かれば……やりようは……ある!」

 有言実行。

 グラディアスは目前まで迫った刀の切先から身を躱す為に、大きく後ろに飛び退いて見せました。

「はあ……はあ……。どう……だ……! 貴様の奥義、破ってやったぞ……! 貴様の技の正体は、全身を覆い尽くす様な殺気による私の反射を利用した物だ。だが、私ほどになれば反射よりも早く思考し、身体を動かす事も可能。タネさえ分かれば御覧の通りだ」

 グラディアスの言葉にじじいは疑問符を浮かべます。

「正解じゃ。良く見破ったのう! じゃが、お主がいつ、儂の奥義とやらを破ったのじゃ? そもそも儂は奥義なぞ使っておらんのじゃが」

「は……?」

「お主が言う奥義とやらはよう分からんが、今の技を破れたのはお主で二人目じゃ。褒めてやろう」

「待て。待て待て待て。は? 今のが奥義じゃない、だと? しかも私より先に破った奴が居ただと……?」

 今の技は確かにグラディアスの奥義と同等、もしくはそれ以上に高度な技でした。

 しかしそれはじじいにとっては奥義ではないと言います。

 つまりは、通常の流れで使う様な当たり前の、ただの技でしかないという事です。

「うむ。儂の弟子じゃ。ああ。アメリの事ではないぞ。儂の故郷に居る弟子の方じゃ。あ奴はヒントもなしに一度で破った挙句、使いこなしてみせおったがな」

「は……ははははははははははははははははは!」

 グラディアスは笑いました。

 こんなじじいみたいな化物が、奴の星にはまだ、少なくとももう一人は居るのだと知らされて。如何に自分が狭い井戸の中に居たのかと知らされて。

「ははははは! そうか! そうか……」

 グラディアスは持っていた剣を床に突き刺すと、右手を懐へ突っ込みます。

「認めよう。貴様は私より強い。剣では太刀打ち出来ないだろう。だが……」

 懐から抜いた右手には、『銃』が握られていました。

 拳銃です。自動装填式で、銃身の内側にはライフリングが刻まれています。

 じじいも良く見た事のあるタイプの拳銃でした。

 その銃口は今、じじいにピタリと狙いを定めています。

「最後に勝つのは私だ」

 そう言い放つグラディアスの顔にはもう、剣士の誇りはありませんでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る