五章 ①

「儂のギフトはな、『永世六十歳エタかん』じゃ」

「エタ……かん……?」

「カッカッ! 余りにも反則級のギフトじゃ。驚くのも仕方がないのう」

 得意満面なじじいと困惑を隠せないグラディアス。予想の斜め上を行くしょぼい、というか酷いギフトです。

 アメリもこの中々ないくらいのハズレギフトに、口をあんぐりと開けてその衝撃を表現しています。

「エタ……かん……完? 棺? 還?」

「エターナル還暦じゃ。棺桶じゃないぞ」

「そうか。還暦か。……それで?」

「……? それで、とは?」

「いや、だから、そのギフトにどんな凄い効果があるのだ? 名前からはイメージが付かないが、何かあるのだろう?」

「……? いや、ないが? 名前の通りの効果しかないぞ」

「名前の通りとは……」

「名前の通りじゃ。ずーっと六十歳を保つギフトじゃな。凄すぎるじゃろ?」

 自信満々にそう言い放つじじい。

 どう見ても何か隠している様には見えません。実際、ギフトに関して隠している事などありませんでした。

「何せ齢八十を過ぎて尚、最強無敵の名をほしいままにして来た儂がじゃ、二十以上も若返ってしまうのじゃからなあ。それはもう一体どれ程の強さだと思うかね?」

 そう言ってわらうじじいの顔に、グラディアスは一瞬とはいえ気圧される程のプレッシャーを感じていました。

 じじいのギフトは無効化されていません。それはじじいのギフトが直接グラディアスに影響を及ぼす類のギフトではないという事と、直接的に身体能力を向上させる様なギフトでもないからです。肉体年齢を六十で維持するだけ、というクッソ地味な効果は見事にグラディアスのチート級のギフトの盲点をついていました。だからどうだというのはまた別の話ですが。

「……相手に取って不足なし、と受け取らせていただこう」

 上段に構えたまま剣を握る手に、力が少し篭められます。

「油断した。などとツマラン事は言うてくれるなよ?」

 鯉口を切り、いつでも抜き打てる構えで、ジリ……と間合いを詰めて行きます。

「いざ……」

「尋常に……」


「「勝負!!」」


 先に動いたのはグラディアスでした。

 上段に構えた剣を、一歩踏み出しながら力強く、じじい目掛けて振り下ろします。

 じじいはグラディアスに僅かに遅れて刀を鞘走らせます。反応が遅れたのは歳の所為でしょうか。勿論そんな訳ではありません。

 筋力に勝るグラディアスの振り下ろしの一撃を、じじいの腕では受ける事は困難でしょう。一合、二合であれば真面に受ける事も可能でしょうが、直ぐに限界が来るのは火を見るより明らかです。

 じじいはわざと遅らせて振り始めた刀の柄尻で、振り下ろされる剣の横腹を叩いて逸らすと、そのまま振り抜く動作で刀の切先をグラディアスに向け、体ごとぶつかる様な勢いで床を蹴って突き掛かります。

 受ける事が現実的でない以上、軌道を逸らして来る事はグラディアスも想定済みです。渾身の初撃をいなされた事にいささかの驚きもありません。

 狙いを外され身体が左に回転する力を利用し、身体を反らしながらグラディアスはそのままくるりと左回りに回転。じじいの突きを回避すると、回転の力を利用しての横薙ぎを繰り出します。

 一転、今度はグラディアスの剣に自ら斬られに行く形となったじじいは、向かって来る剣身を柄で受け止めると、振り抜かれる力に逆らう事無くふわりと後ろに跳んで凌ぎます。

 これで一旦仕切り直しかと思われましたが、グラディアスは着地の隙を逃しません。

 後ろに跳んだ慣性を殺し切るまでじじいはその場から動く事は出来ません。それまでの僅かな時間さえ、今のグラディアスにとっては十分な好機でした。

 一足飛びに間合いを詰めたグラディアスは、腰だめの剣を逆袈裟に斬り上げます。

 これでじじいが斬られてくれるならグラディアスも苦労はなかったでしょう。

 しかし、これは受けるしかあるまい?

 グラディアスはこの一撃で、一撃分じじいの腕にダメージを与えられると計算していました。

 簡単に斬れるとは思えない以上、筋力、体力において勝る自身の優位を生かし、じじいの体力を削る事で、致命的な隙を作り出す。

 これがグラディアスの立てた、対じじいの必勝策でした。

 その為に、詰将棋の様に剣を受けざるを得ない状況へと追い込む。戦いの流れに応じて即興でそれを組み立てる事を、魔人グラディアスは得意としていました。

 そしてそれはこのじじいを相手にしても通用する。

 この短いながらも一連の流れは正にグラディアスの想定通りであり、そう確信を抱かせるに十分でした。

 しかし、その想定を越えて行くのがじじいです。

 じじいは身体を後ろに持って行こうとする慣性に逆らわず、器用に膝から上だけを後ろに倒す事でグラディアスの追撃を回避します。

「ほっ!」

 更にその態勢のまま片手を地面について蹴りを繰り出し、空振ったグラディアスの剣の柄尻を蹴り飛ばして武器をすっぽ抜かせてやろうとさえしていました。

「チィッ!」

 想定外の反応に、グラディアスは咄嗟にじじいの蹴りを躱し、更なるじじいの追撃に備えるため一旦距離を取りました。

 じじいは振り上げた蹴りの勢いそのままに、バク転するかの様にくるりと一回転して素早く立ち上がります。

「カッカッ! 流石にやりおる! 伊達に最強を自称してはおらんな!」

 実に楽しそうに笑うじじいとは対極に、

「この妖怪じじいめ!」

 絶対の自信を持っていた戦闘プランを崩されたグラディアスは、苦々しい思いでじじいを睨んでいました。

(戦いの流れとしてのプランは間違っていないはず。つまりは『私』が奴の実力を見誤っていたという事か)

 グラディアスはかなり高くじじいの実力を評価していましたが、それを更に引き上げる必要性を感じていました。それは自分に勝るとも劣らない剣の達人である、というレベルにまで引き上げるという事を意味していました。

(これ程の強敵……。『私』の星に果たして居ただろうか……。まさか異世界に来て自分より強いかもしれん相手と出会おうとはな!)

 永らく錆び付いていた剣士としての魂が、じじいという好敵手と出会い再び燃え上がるのを、グラディアスは感じていました。

 年甲斐もなく、ただがむしゃらに強さを追い求めていた頃を思い出していました。

「ふぅぅぅぅぅぅぅ……」

 グラディアスはゆっくりと長く息を吐き出し呼吸を整えると、再び剣を上段に構えました。戦いを最初から仕切り直すかのように。

 じじいもそれに応じる様に、今度は刀を正眼の位置に構えます。

 そのまま睨み合う事、一分……二分……五分……、二人とも時が止まったかのようにピタリと静止したまま身動みじろき一つしません。時間と共に周囲の空気だけが、ドンドンと張り詰めて行くのを、唯一の観戦者であるアメリは息苦しさを覚える程に感じていました。

 そのまま更に五分ほどが経過し、グラディアスの額から一筋の汗が頬を伝って落ちて行きます。しかしグラディアスの表情に焦りはありません。じじいの笑みは益々迫力を増し、もはや獰猛な肉食獣の様です。その身体からは、うっすらと蒸気が上がっています。

 互いに先の先の先の先を読み、牽制し合い、動かずにいるこの時間は、二人の体力と集中力を凄まじい速度で削り取っていました。

 この膠着状態を破り、先に仕掛けたのは──

 じじいでした。

 グラディアスの視界の中で、じじいは不意にゆらゆらと前後左右に身体を揺らしています。それに一体何の意図があるのかと、いぶかしみながらもより一層警戒感を高めて、じじいの様子を窺います。

 そうしてグラディアスの注意がより高まったのを感じたじじいは、更に一歩状況を動かしに掛かります。

 独特の歩法で横に移動し始めたかと思うと、スーッと大気に溶け込む様にしてじじいの姿がグラディアスの視界から消え失せたのです。

「──っ!?」

 幾ら注意して視線を巡らせても、やはりじじいの姿を捉える事は出来ません。

 しかしこの技を見るのはこれで二度目。

 一度見せられた技に、何の対処も出来ないほどグラディアスは甘くはありません。

「その技は相手の認識の外に行くものだな? 死角に入るのではなく、視界に居ながらにして路傍の石の様に相手の脳にその存在を認識させない。仕組みを理解すればするほどに恐ろしい技だ。人間技とは思えん……。が、私のギフトで無効化されない以上、この技が人間の力だけで行われている事を証明してしまっている」

 じじいからの返答はありません。

 喋れば自分の位置を教えていも同然です。グラディアスもそんな事は期待していません。

 グラディアスは自分の言葉の反響具合を確かめて居たのです。

 グラディアスの推察通り、じじいは消えた訳ではありません。

 グラディアスにだけ見えなくなる様に動いているだけで、実体はここにあります。

 空気の振動が当たれば当然、それを反射、吸収する事になります。

「この技の弱点。それは──」

 グラディアスの視界では無人の空間に目掛けて、一気に剣を振り下ろします。

「移動する際の空気の流れ。音。匂い。それらを完全に消し去る事は不可能! 五感の内の三つを使う事で、十分にその存在を捉える事が出来ると言う事だ!」

 グラディアスの言う事も、正に言うは易しです。

 しかしそれを実際にやってのける鋭敏な感覚と洞察力は、グラディアスもまたじじいに決して引けを取らない怪物である証左とも言えるでしょう。

「ほほっ!」

 触覚と聴覚を出来るだけ刺激しないようにするために、ゆっくりとした動作しか許されなかったじじいを、グラディアスの一撃は正確に捉えていました。


 ガッ! ッチィィィィィィン!


 刹那。噛み合った刀と剣。

 じじいはすかさず刃を滑らして受け流します。

「ほっ。流石のパワーとスピードじゃな。あと一瞬でも遅れて居れば刀が折れておったじゃろう!」

「刀ごと叩き斬ってやる積りだったのだがな」

「カッカッ! 刀を折った程度で儂が斬れると思うておるとは、まだまだ認識が甘いのではないかな?」

「はっは! 確かにそうかもしれんな! ではこの剣が貴公の身体を斬り裂くその一瞬まで、決して油断せずにいるとしよう!」

 そこからグラディアスの怒涛の猛攻撃が始まりました。

 連撃に次ぐ連撃。

 息もつかせぬ硬軟織り交ぜた斬撃の嵐を、じじいは一つ一つ確実に躱し、流し、掠り傷一つも与えません。

 軌道すら変えながら繰り出されるグラディアスの多彩な斬撃も、じじいには決定打とはなり得ません。

 しかし隙なく繰り出され続ける斬撃に、さしものじじいも効果的な反撃に移る余裕はないようでした。

 回避しながらのカウンターも幾度か試していましたが、十分に力の乗ったものにはならず、カウンターに合わされ逆に態勢を崩されそうになる始末。今はじっと耐え忍ぶべしとひたすら受けに回っていました。

 じじいを斬るまで続くかと思われた連撃も、およそ百を数える頃には陰りを見せて来ました。

 気力と体力の消耗から徐々に剣筋が鈍って来ていました。

 そろそろ機が来るかのう。と、じじいが目を光らせ始めた瞬間、グラディアスは大きく飛び退りじじいと間合いを取りました。

「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅ……。どうした。もう掛かって来んのか? 若いモンがだらしないのう」

 無理に追撃せず、じじいは若干乱れ始めていた息を整えます。

「私もあと二十ほど若ければ、貴公を仕留めるまで続けられたのですがな。流石にもうそこまでの体力も気力もありはせん」

 短い呼吸を繰り返しながらグラディアスも息を整えると、大胆にも対峙するじじいの目の前で服を一枚脱ぎ、流れる汗を拭って放り捨てました。

「貴公相手に攻撃が甘くなれば、それは即座に私の敗北を意味するだろう。それを考えれば疲れが見え始めた連撃など続ける意味はない」

 グラディアスは冷静に自身の状態を把握していました。

 常に最高のパフォーマンスを維持し続ける。

 これが出来なければじじいと斬り結ぶことは出来ないと、グラディアスは正しく理解していました。

 それが維持できないと判断したのなら、どんなに優勢に立っていても即座に中断してみせる決断力。その機を見誤らない洞察力。これほどの実力者に出会ったのは、じじいの生涯でも片手で数えられる程でした。

(こうやって息を乱し、がむしゃらに戦うのはいつぶりじゃろうな……)

 元のせかいではもうじじいに挑む者すらなく、挑戦者が訪れていた最後の十年でさえ、強くなり過ぎたじじいを相手に『戦い』になる者すら居ませんでした。

 数十年振りに訪れた、真の好敵手。互いの命と命、意地と意地、武の極みのぶつかり合いに、じじいの興奮は留まる事を知りませんでした。

 その点に関してはグラディアスも同様です。

 元のせかいでひたすら磨き続けた剣の腕。それをここまで引き出されたのは、ひとえにじじいという好敵手が居たからこそ。持てる全ての力、技を以てしても容易に討取る事が出来ないという事実に、グラディアスも胸の高鳴りを抑える事が出来てはいませんでした。

 今や二人は周囲の状況など一切感知するものではありませんでした。

 その目、その耳、その全身の感覚器官、そしてその魂──

 それら全てが捉えるのは、ただ互いに目の前で闘志をたぎらせる男、唯一人でした。

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