二章 ①

 王都に建ち並ぶとあるビルの地下。自ら発光する特殊な壁材で作られた地下空間は昼間の様に明るくなっています。その地下空間の最奥の一室で、今正に凄惨な拷問が行われていました。

 大きな事務机が二つL字に配置されていて、ドアから向かって正面に女性が、壁側に男性が座っています。

「ああ。ねえさん……。もう許して下さい! 頼んますさかい! ホンマ! もう無理ですって!」

「ふふ。そうですね~。じゃあ、あとこちらの書類、全て終わったら許してあげます」

「こちらのて……」

 姐さんが指さすその先には、シーカーが寝ずに書かされ続けた書類に倍する量の書類の山が準備されていました。

「そんなん無理やって! 姐さんかて分かってるやろ! 俺はこういうんは──」

「口よりも手を動かして下さい。シーカーさんが依頼を放棄したお陰で、一体どれだけの人にご挨拶して来たと思っているんですか? いいんですよ? S級の冒険者さんをフォローするのが私の大切な、た~いせつなお仕事ですから?」

 未明にシーカーに叩き起こされてから今まで、各方面に謝罪と事情の説明、依頼の取り下げの要請と、姐さんはシーカーに責が及ぶことがないように全て取り計らってくれていました。今回の依頼が依頼だけに、会わなければならない人物は王を筆頭に高官ばかりで、姐さんの心労は如何ばかりであったでしょうか。

 そんな姐さんに凄みのある笑みで凄まれれば、いつも姐さんのお世話になっているシーカーはぐうの音も出せません。

「それにこれの半分はシーカーさんの始末書ですから、元々シーカーさんに書いてもらう必要がある物なので」

「ええっ!? マジでかっ!? え? うそやろ? そんなん何時いつまでかかるか分からんで」

「期限は明日までだそうですよ」

「はあ? アホちゃうか! こんな量明日までに終わるかいな! そんなアホな事抜かしおった奴は俺がサクっと──」

「私がそれを条件に今回の依頼を、達成不可能案件として取り下げて貰ったんですよ」

「サクッと終わらせて楽させてやろうやないけ!」

 見事な掌返しでした。

「そやけど、何で全部手書きなん? コピーでええんちゃうかと思うんやけど」

「ええ。普段は魔導通信文メールで一斉送信して終わりですよ。今回は勝手に依頼を受けて勝手に放棄しちゃう様なシーカーさんに反省を促すために敢えて無駄な手書きをして貰ってます」

 ニコ。

「あ……。さいでっか……。あ、因みに残りの半分は何の書類で?」

「今朝やる筈だった私の仕事です」

 ニコニコ。

 シーカーに残された道は、無条件による全面降伏だけでした。


「ぐぎぎぎぎぎぎ……。だああああああああああああ! もうっ! もうちょっと姐さん! 休憩くらいしましょうや!」

「うふふ。そうですねー。これが終わったら少し休憩しましょうか」

 姐さんが『これ』と言って示した先には、やっと半分ほどまでに減った書類の山がありました。

 そしてそれとは別に、姐さんが昼から処理するはずだった書類の山が新たに築き上げられていました。それをシーカーは血の気の引く思いでただ見つめる事しか出来ませんでした。

「だあ! もうっ! やってられるかいっ!」

 バン! と机を叩いて立ち上がったシーカーに後ろから声が掛かります。

「ほう! それは丁度良い。気晴らしに儂と一手どうじゃ!」

 いつの間にかじじいがシーカーの背後に立っていました。

「どぅわっ! なんやねんじいさん! いつの間に後ろに!? ──マジでビックリしたでホンマ……。口から心臓飛び出るか思たわ……」

 そこで初めてじじいの存在に気付いた姐さんが、これまで只の一時も止める事の無かった手を止めて、書類から顔を上げました。

「あら。初めまして御爺様。シーカーさんとお知り合いの様ですが、良くここがお分かりになりましたね」

「そやで。ここは上とは繋がってへんからな。別のトコにある専用の出入り口からしかこれへんのに、よー分かったな」

 二人の言葉通り、S級専用の地下室──通称『缶詰』──は地上にあるビルとは構造上一切の出入りが出来なくなっています。問題児の集まりであるS級を出来るだけ人目に触れさせない様にするための処置でした。正に臭いものに蓋をする精神の表れそのもので、冒険者達の信頼を損なわない為の苦肉の策でもありました。

 シーカーはここにじじいが居る事以上に、自分に一切気取られずにいつの間にか背後に立っていた事、しかもいつからそうしていたかすら分からないという事に衝撃を受けていました。いくら大嫌いな書類に埋もれていたからとはいえ、自身の危険察知に絶対の自信を持っていただけに衝撃は大きなものでした。

 そんなシーカーの様子とじじいの一挙手一投足を、おっとりとした笑顔の下で姐さんは冷静に観察していました。当然シーカーの危険察知についても姐さんは能々よくよく把握していました。

(シーカーさんが全く反応出来ていなかったですね。この御爺様、只者では……ああ。そういう事ですか。なるほど。これは全力で逃げを打つのも仕方ありませんね)

 合点がいった姐さんは、そろそろシーカーの事を許してあげましょうかと考えを改めていました。そんな姐さんをチラリと見遣ったじじいはニヤっとホンの一瞬だけ笑い掛けました。

 姐さんは心の底を覗く様なその笑みに、ゾクっとした悪寒の様なものを感じていました。こんな全身に鳥肌が立つ様な気配に吞み込まれるのは、果たして一体いつ振りでしょうかと、内心とは裏腹に小動こゆるぎもしない鉄面皮の下で思考を巡らしていました。

 取り敢えずの結論は、「シーカーさんを生贄に、じじいを様子見」からの「出来れば敵には回したくない」という物でした。

 益々楽しくて仕様がないといった様子のじじいは、意味もなくシーカーの肩をモミモミしていました。

「ええい! やめーや! 気色悪い! あんたとはやらへん言うてるやろ! それよりどうやってここに来たんや? ちゃっちゃと答えんかい! ここは部外者立ち入り禁止や!」

「ふぅむ。答えたら、儂とやってくれるか?」

「やるかいボケ! それとこれとは話が別や! 別ぅ!」

「なら教えん。儂に何の得もないからのう」

「こんのクソジジイ……っ!」

 ケツから手ぇ突っ込んでその縮こまったちっこい脳みそぐちゃぐちゃに掻き混ぜたろか! と心の中で絶叫しながらも、決して「やる」とは言わないだけの冷静さは持ち合わせていました。

 その様子にじじいは、「乗って来んか。つまらん」とポツリ。

 わざとシーカーを挑発していました。

「すいません教えて頂いて宜しいですか? 私、一応ここの責任者なものですので」

 シーカーをフォローする様に姐さんがじじいに声を掛けました。

 じじいはシーカーの肩を抑えたまま、顔を姐さんの方へと向けます。

 じじいの意識が逸れた隙を狙ってシーカーはじじいの手から抜け出そうとしましたが、何故か全く立ち上がれませんでした。力で捻じ伏せられている感じは全くなく、立ち上がろうとする力だけを全て何処かに逸らされている。そんな風にシーカーは感じていました。

(ぐおおおおお! マジで何やねんこのジジイ! これがこのジジイのギフトか何かなんか!?)

 そんな様子のシーカーを視界の端に捉えつつ、姐さんはじじいとの会話に集中します。

「まあお嬢さんになら教えても良いかのう」

「ありがとうございます。今後の参考に致しますので是非宜しくお願い致します」

「おう! 何やソレ! 俺の時とエラい違いやんけ!」

 抗議の声を上げるシーカーに、ニコっと笑みを向ける姐さん。

 お前は黙ってろ。という無言の圧力にシーカーは秒で屈しました。

「あ……ハイ。えろうすんません……」

「カッカッ! 完全に尻に敷かれておるのう!」

「うっさいわ……っ」

「えーっと、それでなんじゃったっけ……? ああ、そうじゃそうじゃ。どうやってここに来れたかじゃったな──」

 じじいはこの場所を教えてもらうまでの経緯を思い出しながら語り始めました。

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