一章 ②

 雷雨の夜が明けて──。

「ほー。ここが王都か。流石に立派じゃのう」

 じじいの目の前には見慣れない王都の街並みが広がっていました。

 じじいの現在地は王都の外縁部。見通しの良い広い道路から中心街を眺めていました。

弟子あやつから聞いた話じゃと、異世界の街といえばうず高い壁がぐるりと取り囲んどるはずじゃが……。うむ。どこにも見当たらんのう」

 王都には街を囲う外壁もなければ櫓や見張り台、堀などといった防衛設備も全く見当たりません。あるのは精々個人の家の周囲を囲う低い塀くらいです。なだらかな平地にそのまま建物が整然と建てられているのが窺え、しっかりとした都市計画の下作られた街並みであることが分かります。

 碁盤の目状に太いみちが整備されており、しっかりと舗装もされています。材質はおよそ見た事のない物です。アスファルトやコンクリートからはかけ離れ、どちらかと言えば石の様に見えますが、全く切れ目なく敷き詰められる石などあるはずもありません。謎の物質でした。

 建物も、外縁部には日本でも見慣れた木造の家が多く建ち並びますが、中心地に向かうほど何やら見た事ない形、材質の建物が増えていきます。

 そんな街中を行き交う人々の交通手段と言えば、コマ付きの板に棒が刺さっただけの物やスノーモービルの様な物、中には座面付きの棒など、様々です。共通して言えるのは全てじじいの知るエンジンやモーターで動いてはいないという事でしょう。そしてその多くが空を飛んでいる、もしくは宙に浮いているというのも中々に壮観でした。

「こうして目の当たりにすると、異世界じゃなあという実感が湧くのう。しかし、同じ人間というものが暮らしている以上は、根本的な所は似通っておるものだな」

 じじいはしきりに周囲を物珍しそうに見回しながら、『一人』テクテクと王都の中心街へと向かって歩いて行きました。

 観光客も多く訪れる王都の住民達が、そんなお上りさん丸出しな一老爺に特別な感心を抱く事など、当然ありませんでした。

 そして、じじいの側にケインの姿はありませんでした。


 時は戻り、シーカーが地下を去って直ぐの事。

 名残惜しそうにシーカーの気配を追っていたじじいもやっと諦めが付いたのか、ここで初めて視線をケインの方へ向けました。

「それで、儂は誰と……いや、何と戦えばよいのかな?」

 自分に対する用と言えばこれに決まっていようと、じじいは直球でケインに尋ねます。

「私が仕えていた王を。……倒して欲しかったのですが……」

「何じゃ。歯切れが悪いのう」

「王は相当な達人でして。先程の冒険者が言っていた聖剣持ちの勇者というのも、私が手引きして王と戦わせたのです。彼等はその時私が用意出来た最高戦力でした。しかし結果は……勇者一行の敗北という形で終わりました。もう一年程前の事です」

「良く今までバレずにおったのう。むしろ何故今頃バレたのじゃ?」

「それも先程の冒険者が言っていた事に繋がります。

 王に敗れた勇者一行ですが、勿論そのまま無事に解放されるなどという事はありませんでした。勇者は聖剣を失い、仲間の戦士は利き腕を、賢者と魔法使いは女性であったため暫く王の慰み者にされ、その後の消息は不明という事になっています。実際は王のとある実験に使われ命を落としています。その復讐を果たしに、今王都に二人が滞在しているのです。当然すでに王国軍と一悶着ありまして、その際に失うものを失くした二人の口から私の事が露見しました。こればかりは彼らを責める気にはなりません」

 悪い事をした、と沈痛な表情でケインは語ります。

「負けた奴らの事など今はどうでもい。その王とやらはのだな?」

「……ええ。恐らく王に勝てる人物はこの世界には居ないでしょう。最恐の魔王と畏れられる最古の魔王サクヤも彼と一度戦い敗北したと聞き及んでいます。これはかの王が持つ『力』に依る所が大きいのですが、その『力』と言うのが──」

「王の情報は要らん。他人おぬしのフィルターを通した強さの評価は儂にとっては雑音じゃ。強いという事だけ分かればそれでよい。王の持つ『力』とやらの説明も不要。下手に聞かされると先入観が生まれるからのう。聞かされてない手で不意を突かれる、などという奴は数え切れんほど見て来たのでな。全ては儂の目で見極める」

 じじいはバッサリとケインの解説をぶった切りました。

 因みにその数え切れない程見たマスケは、全てじじいの手であの世に旅立っていました。

「おじいさんも御自身の腕には相当の自身を持っておられる様ですが……。それでもあの王には敵いますまい。本当はあなたの居た世界で最強の人物を呼んだ積りだったのです。それがどうしてあなたの様な……」

「なんじゃ。そういう事か。良かったのう」

「全く良くありません! この場所もバレてしまった以上、新しい隠れ家を考えねばなりませんし、次にまた召喚出来るようになるまでにどの程度の日数を要するか……」

「そうか……儂は異世界転生ではなく、異世界召喚の方であったか。それならじじいの身体のままなのも致し方ないのう」

 ケインの召喚と言う言葉にじじいは事情を察しながらも、凄く残念そうです。

(元居た世界の時より身体が少しばかり軽いが、黙っておくか)

「それと、再召喚は必要ないぞ」

「……? それはどういう──」

「お主の召喚は成功だったという事じゃ」

「──へ?」

「最強が必要だったのじゃろ? なら間違いなくそれは儂の事じゃ」

「はああああああああああああああああああ?」

 カッカッカ。と、自信満々に最強を名乗るじじいに、ケインの口から特大の「はあ?」が飛び出していました。


 その後、ケインからこの世界の事を色々、長々と聞かされましたが、そういった事にはあまり興味のないじじい。テキトウにふんふんと聞いているフリだけしていました。

 要点の一つはシーカーやケインが言っていた冒険者の級。これはじじいにも大体察しが付いていました。少し思っていたのと違う点と言えば、ランクが全部でA~Cの三段階と少ない事。それに加えて、無級を意味するN(ノービス)級と三段評価に収まらない特異な能力の冒険者をS級としている事でした。

 C級は一人前の冒険者。そこそこな依頼をそこそここなします。冒険者の八割はC級に該当します。

 B級は国家に影響力を及ぼすクラスの冒険者です。凄い依頼をバンバンこなします。実力も折り紙付きです。冒険者の一割に該当します。

 A級は世界を救う救世主クラスの冒険者です。ハンパない強さで世界を守っています。両手で数えられる程度しか居ません。

 残り一割がN級で、端数がS級といった配分になっています。

 次にこの世界特有の力、魔法マギの事。

 この世界には元から存在していた魔法と、転生者達が持ち込んだ科学。両方を独自に発展させながらも、その両方を掛け合わせた魔導学が現代社会を牽引しているのだとか。

 じじいの視界で飛び回っている乗り物は全て魔導技術の産物です。謎の素材で出来た道路に、遠くに見える建物の材料も魔導工学が利用されています。ただ、最先端の技術の為、お値段の張る物が多いのがたまきずです。飛行道具くらいの簡単な物なら安価な物も多いようですが。

 その他にも何やらかんやら言っていましたが、じじいは碌に覚えていませんでした。

(まあ、必要になったら思い出すじゃろ)

 くらいに思っていました。

 なんなら、その時改めて誰かに聞けばいい。じじいは実に気楽でした。

「あ奴は姿をくらますとか言うとったし、儂も好きにやらせてもらうとしようかのう」

 ケインは追撃の手を恐れ姿を消していました。じじいの最強宣言を信じていないのでしょう。何も期待していない証の様に、説明をするだけした後はじじいの事は放置でした。

 せめて送還してあげれば? と思わなくもないのですが、意地悪でしなかったのではありません。チカラを温存するためという訳でもありません。ただ残念な事に召喚は出来ても送還は出来ないというだけに過ぎません。

 ケインにとっては幸いな事に、元の世界に戻す方法がない事を話そうとした瞬間にじじいの方から、

「元の世界になぞ帰らんぞ! 無理矢理にでも帰そうとしたらお主には死んで貰う事になるが、構わんな?」

 という激しい拒絶をいただいたので、帰せない問題は何の問題もなく解決しました。

 ケインが一応その訳を尋ねて見たところ、

「あっちにはもう儂と戦おうという気概のある奴がおらん。ツマラン! 実に嘆かわしいことじゃ。そうは思わんか? 折角の異世界じゃ。のびのびと『戦い漬けの毎日すろーらいふ』を送りたいんじゃ」

 との事です。

 実に分かり易い理由でした。全く理解は出来ませんが。

「とは言ったものの、さて何をどうしたものかのう」

 じじいは街の一番大きな路を只々真っ直ぐ歩きながら、周囲の気配を探っています。

 勿論強そうな奴を探しているのですが、平和な街並みにそうそうそんな人物が居たりはしません。精々チンピラかゴロツキかといった程度で、じじいの食指は動きません。

 そうして二~三時間ほどみちを突き進んでいると、とある建物へ行き当たりました。

 正確にはとある建物へと続く道にある格子状の門の前です。みちはその門の前で丁字になっています。そして丁字路に沿って優に五メートルはありそうな壁がずーっと左右に続いていて、その敷地の広大さが窺えます。さぞ名のある人物の屋敷なのでしょう。

 じじいが門の前で「ほうほう。これはこれは」としげしげ中を遠慮もなしに覗いていると、じじいに気付いた守衛が表面上はニコニコと笑顔で近付いて来ます。

「どうされましたか?」

「いやなに、凄い所じゃなと思っての。どなたの御屋敷かな? 中は見学できんのかのう?」

「ここはピースメイカー王家の邸宅です。普段は一般公開は致しておりませんので、見学は出来かねます。直近ですと来週のアメリ様の誕生祝賀行事の際には一般参賀のために一部が公開されますので、その時にまた是非いらしてください」

「おお。ここが……。左様であったか。これはお手間を取らせてしまいましたな」

「いえいえ。王都は初めてですか?」

「ええ。そうですな。あっちもこっちも見慣れぬ物ばかりで目移りしている間に、気付けばここに吸い寄せられていましたわい」

「ははは。ここは目立ちますからね。……そうだ。もうお昼はどうするか決められていますか?」

「いや。全然じゃな」

 時刻はまだお昼には大分早い時間です。

「でしたら──」

 守衛は懐から取り出した名刺の裏に、サラサラサラと何やら書き付けています。

「この路を戻って一つ目交差点を向かって右に曲がって少し行った所に、回楽かいらく亭というお店があります。王家の方々も時々御利用されるお店で、良い処ですよ。その名刺を見せれば少しサービスしてくれるでしょう。王都滞在中に是非一度立ち寄って見て下さい」

「何か悪いのう」

「いえいえ。見学をお断りしたお詫びだと思って下さい」

「突然訪れたじじいにご丁寧な対応、痛み入りますのう。有難く頂戴しておきますわい」

 そう言ってじじいは守衛と握手を交わし、守衛の二の腕を軽くポンポンと叩くとお辞儀をして門に背を向けます。

「お気を付けて。良いご旅行にしてくださいね」

 最後まで丁寧な対応にじじいは感心していました。

 あの守衛、かなり『デキる』な──と。

 ここで言う『デキる』とは勿論、突然の不審者への応対の事ではありません。戦闘の腕前の事を指しています。

 洗練された一挙手一投足はしかと鍛えられた肉体と反復の賜物です。そして上手く隠している武術家特有の足運びと、こちらの動きの一切を見逃さぬと言わんばかりの観察眼。守衛に背を向けたじじいの口許は笑みを形作っていました。

(これはもうるしかあるまい)

 もはや我慢も限界でした。

 門から離れて行くじじいを見送った守衛が詰所に戻ろうと、くるりと背を向けた瞬間──

 凄まじいまでの闘気の膨れ上がりを感じて思わず振り返っていました。

 しかしそこに居るのは先程までと同じ、路を戻って行く老爺が一人。

 これ程までの闘気を発する様な人物は何処にも見当たりません。

 老爺はお年寄りにしてはしっかりと鍛えられた素晴らしい身体をしていますが、それも健康維持の範囲と言えるレベルです。守衛は特に観察眼に優れた者が採用されています。その守衛の眼を以てしても、じじいの動きは素人のソレです。達人と言われる程の武芸者でさえ、いえ、達人と呼ばれる者ほど、その何気ない動作に熟達した武術の片鱗が覗くものです。そう、この守衛がそうである様に。

 守衛が闘気の出所を探るため、視線を素早く左右に飛ばし再び正面に戻した時、先程までそこにいた筈の老爺の姿がありません。

 何処に──?

 その疑問が形になるまでに、答えが示されました。

 低く屈んだ老爺の拳が、的確に守衛の鳩尾を捕らえていました。いえ、正確にはその僅か数ミリ手前で拳は止まっていました。

 じじいが寸止めした訳ではありません。何かに阻まれた様にその拳は服に触れるか触れないかといった位置で止められていました。

「成る程。これが魔力しょーへきとかいう物か。どれ。もう一つ試してみるか」

 魔力障壁まりょくしょうへきとは、魔力に依って作られた身体を覆う防護膜で、あらゆる攻撃から自動で身を守ってくれる優れものです。この世界で魔力を扱えるモノなら必ず使える基本にして奥義とも言える魔法です。

ケインあやつは魔力の篭らん攻撃は一切効かんと言っておったが、あながち嘘ではなさそうじゃのう!」

「貴様っ! 魔人かっ!?」

「魔人? 知らんのう。儂は儂じゃ。只のじじいじゃよ!」

 守衛の反応は早く、腰に下げていた細身の両刃剣を素早く抜き放ちます。

 と同時に、容赦なくじじいに斬り付けます。

「動揺で剣筋が乱れておるぞ。そんな温い太刀で儂を捕らえる事は出来んぞ」

 軽く躱して、今度は守衛に良く見える様にカウンターの拳を顔面目掛けて繰り出します。

 しかし今度もやはり当たる直前で拳は止まってしまいました。

 しかも今度はより手前の位置で。

「ふむふむふーむ。なるほどなるほど」

「無駄だ! 魔力の扱えぬ貴様ら魔人に我等の護りを破る事は出来ん!」

「さぁて……それはどうかのう?」

 魔力障壁が老爺の攻撃をことごとく弾いてくれている事で冷静さを取り戻しつつある守衛の剣筋は、徐々に鋭さを増して行きます。しかし、一向にその剣先がじじいを捕らえる気配はありません。徐々に取り戻した筈の冷静さが失われ、焦りが募り出し冷静な判断を奪って行っていました。守衛は応援を呼ぶという最も基本的な事さえ忘れてしまっていました。

「ほい。ほい。ほいっと」

 じじいは守衛の卓越した剣を、一切の無駄なくヒラリヒラリと躱しながら緩急、強弱、様々に織り交ぜ攻撃を繰り出していました。そしてその全ては魔力障壁で止められ、一切ダメージを与える事が出来ていませんでした。

 ハァハァ……と肩で呼吸を始めた守衛に対し、じじいはむしろ呼吸が止まっているかの様に静かでした。

「貴様は私より遥かに強い。しかし、魔力を操れない魔人である貴様に、私を倒す事は出来ん!」

 そんな守衛の虚勢など、じじいの眼中にはありません。最早守衛との戦いは、じじいの対異世界人戦闘の実験へと成り果てていました。

「大体掴めてきたかのう」

「……何を言っている……?」

「次で決めるぞ。心して受けよ!」

「何度やっても同じ事だと、何故わから──」

 守衛が言い終わるより早く、じじいはいとも容易く守衛の懐へと入り込んでいました。

 そして──

「ぐほあっ!」

 守衛は鳩尾を突き抜ける強烈な衝撃に肺の空気を全て絞り出され、呼吸困難に陥ると白目を剥いて気を失ってしまいました。

「忠告してやったというのに、真面に喰らうとは情けないのう。魔力障壁とやらに頼り過ぎた弊害かの。しかし、よい実験台じゃったわ」

 じじいは何事も無かったかのように気絶した守衛を引き摺り、詰所へと放り込むとそのまま屋敷の敷地内へと侵入して行きます。

 その際、守衛の剣を拝借しておく事も忘れません。

「見たところ至って普通の剣の様じゃが、魔法障壁を相手にする前提で作られた武器じゃろうし、魔法やらの仕掛けが何か施してあるのやもしれんな」

 この剣で魔法障壁を気にせずスパスパ斬れるなら、こんな楽な事はありません。そんな理由でした。武器がないと困るとかそういった訳ではありませんでした。

 隠れようという気が全くないじじいは、抜き身の剣を右手にぶら下げたまま悠々と王邸への道を進んで行きます。

 平時の警備はそこまで厳重でもないのか、屋敷の玄関まで誰にも見咎められる事はありませんでした。

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