一章 ①

 薄明りに包まれた、何処いずことも知れぬ地下と思しき石造りの部屋。足元には怪しげな紋様が円を描き、その円の所々に何という事のない見慣れた雑貨などが点々と意味あり気に置かれている。そしてその円の直ぐ外側でうずくまっている怪しげな男が一人。特にこちらに害意を向けて来る様子はないので今は放置しておいても良かろうと、冷静に意識の隅に追いやります。

「ふむ……。ここはどこじゃ……? 家で寝て居ったら変な光に連れられて……ここがあの世という奴かな? それにしては殺風景に過ぎるのう」

 死期が近い事を感じながら、結果的に山奥でひっそりと暮らす様になっていた男は現状を確かめる様に周囲を見渡します。

 地下室自体には特に変な所はありません。気になる物といえば床に描かれた紋様も然る事ながら、熱源も電源も見当たらないのに光っている壁の灯りを不思議そうにじっと見つめています。

 そこでハッと男は気付きました。

(もしやこれは……! 弟子あやつが最近巷で流行っているとか言っておった異世界てんせーとかいう奴ではっ!)

 そうと分かれば直ぐにでも自身の姿を確認したくなりますが、生憎とこの地下室に鏡などという気の利いた物はありません。

(貴族、美少女、異種族、はたまたモンスターというのもありじゃのう……さて、儂は一体何に転生したのかの!)

 顔は見えずとも身体くらいは簡単に確認できます。

 歳に似合わずワクワクした様子で全身をチェックしていきます。

 身体は一切の無駄なく鍛え抜かれた強靭な物。目線の高さは転生前と同じくらいでしょう。着ている物も実に見慣れた物です。特に動きもしていないのに節々に感じる違和は、転生前よりは少しましになっている気がします。手を見れば年齢が分かると言いますが、どう見てもそれなりの年月を重ねた、これもまた見慣れた手でした。

「じじいじゃっ!」

 奇しくもそれは直ぐ傍で項垂うなだれている男と同じリアクションでした。


 召喚されたじじいの大声で正気に返った召喚主の男が顔を上げました。

 目の前には自分と同じようにがっくりと、見るからに意気消沈したお年寄りが居ます。改めてしっかりと観察したところ、年の頃は六十前後。鍛えられた肉体から若々しさも感じられる点を考慮すれば、七十くらいという可能性もあります。流石に八十を超すという事はない……と思いたいなと召喚主の男は心の中で呟いていました。

「もし」

「なんじゃ?」

 いつまでもこうして居ても仕方がないと頭を切り替え、じじいに声を掛けます。

 じじいは召喚主の男の方を見ようともしないまま、返事だけを返します。

「私の言葉が分かりますか?」

「……分かるな。何故かは知らんがな」

「それは良かった。あなたは通常とは異なるプロセスでこの世界へ来たのでもしかしたらと、多少の危惧がありましたが杞憂だった様ですね」

 これは召喚主の男の本音でした。ホッと胸を撫で下ろしています。

 コホンと空咳をひとつ。両手をガバッと広げ会心の笑みを浮かべます。

「ようこそ! 異世界へ! 私はケイン・ドクトゥスマギと申します。突然の事で驚かれているでしょうが、どうか落ち着いて私の話を聞いて下さ──」

「さっさと要件を言うた方が良いのではないかな?」

 ケインの言葉を遮ったじじいの視線はじっと、地上へ向かう階段があった場所を見ています。じじいはこちらの世界で覚醒してからずっと、明確な殺意を持ってこちらに向かって来る一つの気配を感じ取っていました。そしてその気配はもうすぐそこまで。

「それはどういう──?」

「ホレ。来たぞ」

 じじいがそう言うと同時に、音もなく一つの影が地下へと降り立っていました。

「なっ!? ここは地上とは隔絶された地下空間だぞ! そう簡単に侵入する事など出来ないはず……」

 正規ルートである魔法の階段を使わなければ降りて来られないはずの地下空間。一見洞穴の直ぐ真下にある様に思われますがさにあらず。魔法の階段は空間を超越して特定の場所を繋げているので、実際の地下空間は地上の洞穴とは全く別の場所に存在しています。洞穴の奥を物理的に掘り進んでもここには辿り着く事は出来ません。

「いやいや。簡単ちゃうかったで? 実際。まあ何をどうしたかっちゅうんは企業秘密っちゅう奴やけどな。流石は元宮廷魔導師長はんって事やろなぁ。よーしらんけど」

 ケラケラと陽気に笑いながら一人の男が堂々と姿を見せます。身の丈はじじいやケインより少し高く、身体のラインはほっそりとしています。痩せている訳ではなく、一切の無駄がない必要最低限。そんな印象を受ける体付きです。そしてその男の何より目を惹き付けるのが、何を考えてそうなったのか紫に染め上げた頭髪と、黄と黒の縞模様をあしらった上下。虎が描かれていなのが逆に不自然なくらいです。じじいの頭に浮かんだのは「こやつ大阪人か?」という偏見にまみれたものでした。

 一方で、その男の顔を見たケインは驚愕に包まれています。

「貴様は……っ! シーカー・リウス!」

「知り合いか?」

「違う! あの男はS級の冒険者。その界隈では超の付く有名人だ!」

「ふむ。どの界隈か知らんが……それは強いのかのう?」

「強いかどうかは知らんが、奴は暗殺専門だ。そしてその暗殺の成功率は百パーセント。だからこそのS級だ」

「ほうほう。それは少し……じゃのう」

 ケインの言葉にじじいの目がギラリと光ります。

 突如に変わったヤル気満々なじじいの気配に、シーカーは警戒度をMAXまで引き上げていました。そんな二人の様子に気付いた風もなく、ケインは「もうこれまでかっ」とすっかり諦めムードです。

(何やあのじじい。確かに身体は鍛えてるようやけど、全く、何のオーラも感じさせへん。A級のバケモン共が放ってる様なオーラがまるであらへんのにや……。A級の奴らと対峙したとき以上に俺の勘が『ヤバイ』言うとるで……)

 シーカーは自分の勘を疑いません。シーカーの頭からはもうじじいと戦うという選択肢は綺麗さっぱりなくなっていました。むしろ今はこの場からどうやって逃げるか。それを考えていました。とりあえず何かいい案が浮かぶまでの時間稼ぎに出ます。

「しっかし驚いたわ。まさか気付かれとるとはなぁ。参考までに聞かしてらってもええか?」

 ニコニコと人当たりの良い笑みを浮かべた無害そうな表情で訊ねます。

「あれだけ殺気を放っておれば、一キロ先からでも分かるわい。なぜか今は綺麗さっぱりなくなってしまっておるようじゃが?」

「殺気って……。どこの物語の超人やねん。はぁ~……勘弁してほしいわホンマ」

「さあ。もういいじゃろう。そろそろ始め──」

「へんわアホ! 誰が戦うかい!」

「むう。まあそう言わんと。ちょこっと。ちょこっとだけならいいじゃろ? なあに、儂かお主、どちらかがあの世に行くまででいいんじゃから」

「いいわけあるかい! 何が楽しゅうて命賭けて戦わなあかんねん! 俺は、コレが一番簡単で楽に稼げるからやってるだけやっちゅーねん。無理な暗殺はしない! 戦闘もしない! とにかく危ない橋は渡らへん。それが俺のモットーや」

 そう言い切ると、ビシっとじじい指差して宣言します。

「やさかい、はっきり言うて俺はもうとっととここから逃げたい! ええな?」

「儂は良くないが?」

「暗殺者が何もせんと帰る言うてんねんから、そこは『どうぞどうぞ』言う所やろ! 空気読まな! なあ!」

 シーカーがケインに同意を促すと、命を狙われていたケインは当然「全くその通り」とばかりに頷きます。

「ホレ見い! アレが正しいリアクションっちゅーやつや! 分かったな? ほな、もう一回行くで? 『俺、帰ってもええな?』」

「儂とった後ならかまわんぞ」

「あ──────────────────っ!」

 初の異世界人。しかもそれなりに腕も立ちそうな男を前にして、じじいはどうしても戦いたくて仕方がない様です。このじじい、どんなバーサーカーなのでしょう。ですが問答無用で襲い掛かる様な事はしないくらいの理性はあるようです。

「逃げる相手を後ろから仕留めてもつまらんからな。やはり本気の死合しあいでないとのう」

 訂正します。ただの戦闘狂でした。

「あのなあじいさん。さっきそこのオッサンも言うとったやろ! 俺は暗殺専門やねん! 向かい合ってのチャンバラなんぞ大した事あらへんねん! よー言うてB級の下や! くそ。何言わすねん。ええな? 分かったな? 強い奴と戦いたいんやったら余所当たってくれ」

「儂はお主みたいな搦手が得意そうな奴とる方が何をして来るか分からんから愉しいんじゃがな」

「俺はちぃーっとも楽しゅうない!」

「ふむ。まあここまで拒否されては仕方がないのう。お主とやるのは諦めるとするかの」

 口ではそう言いながらも、じじいの目は未練たらたらです。

 何なら、こう言って隙を見せた所を仕掛けてこんかな、とすら考えていましたが、その希望が叶う事はありませんでした。

「お……おお! よう言うてくれた! やっと諦めてくれたか……なんやめっちゃ嬉しいわ」

 余りの嬉しさに、シーカーは何故かじじいと握手を交わしています。

「むっちゃ気分ええし、ええ話しよか? ここだけの話やで?」

 そう前振りすると、じじいの返事も待たずにシーカーは語り出します。

「いま、王都にな、A級の元聖剣持ちの勇者が居てるらしいねん。なんや復讐しに来てるらしいで。魔王殺しの実績もある実力派の勇者やさかい、じいさんも満足出来る相手ちゃうか。どんな奴かはそこのオッサンがよー知っとる筈やさかい後で聞いてみるとええで」

 そこのオッサンことケインは勇者の話題になると、沈痛な面持ちを浮かべていました。

「ほんなら俺は帰るで。もし何か用事があれば王都の冒険者ギルドに来ぃや。まだ他にも幾つか仕事があるさかい、当分は王都におるんでな。あ、勿論戦い以外やで?」

 ほなさいならと本当に帰ろうとするシーカーにケインが声を掛けます。

「私を……殺さなくていいのか? 依頼を受けたのだろう?」

 その言葉にシーカーは首だけ振り返って答えます。

「依頼は受けた。やけどそれを実行するかどうかは俺の自由や。ゼニの為に命張るなんてアホな事やってられるかいな。そういうんは殺し専門の業者のアホンダラ共がやってりゃええねん。俺はパスや。パス」

「それで逆に命を狙われたり──」

「おいオッサン。S級舐めんなや。そんな連中はとっくに皆なかようお墓の中やで?」

 ニッコリと浮かべる笑顔には流石の迫力がありました。ケインは黙るしかありませんでした。

「そうそうオッサンが言うとった俺の暗殺率百パーとかいうのな。アレ正確には実行した暗殺の成功率やねん。受けた依頼の一割くらいは今回みたいに放棄しとるんやで。知らんかったみたいやけどな」

 そう言うと今度こそ本当にシーカーは、現れた時同様に忽然と姿を消してしまいました。

「ううむ。やはり見逃すには惜しい相手じゃったかのう……」


 ゾクッ──。

 一人地上に戻ったシーカーは突然の悪寒に背筋を震わせていました。

「はぁ~~~……。あーしんど……。あのじいさんの視界にるだけでホンマ、生きた心地せんかったで……。こんなおっかないトコに長居は無用や。さっさと帰ろ」

 雷雨の森の中へ、躊躇いなく足を踏み出して行きました。

 ぬかるんだ地面を嫌って、樹の幹を蹴りながら宙を飛ぶようにして森の中を駆けて行きます。

「はーホンマこの靴便利やな。濡れた樹ぃ蹴っても全く滑らへんわ。最新の魔導製や言うて結構な額取りよったけど、買うて正解やったな。っと、そやそや。ギルドのねえさんに報告入れとかなな。忘れるとこやったわ」

 シーカーの言うギルドの姐さんとは、捻くれ者揃いのS級冒険者を主に相手にするギルドの受付嬢の事です。S級冒険者の上前を撥ねる様な人物で、「姐さん」「姐御」等と呼ばれて畏れられています。

 右手の人差指に嵌めた指輪に魔力を篭めると、指輪に嵌められた小さな石からシーカーの目の前に小さなスクリーンが浮かび上がります。

 通信用の魔導具で、様々な形状の物が販売されています。シーカーが付けている指輪型等の身に付けられる様な小型の物は非常に高価──平均年収相当──なのですが、便利な物にはお金を惜しまないようです。

 スクリーンには暫く何も映し出されていませんでしたが、暫くすると一人の女性が映ります。明るいブロンドの髪に丸眼鏡をかけた、おっとりとした印象の女性です。件の姐さんとは別人かと思われましたが、

「あ、姐さん! おはようございます!」

 姐さんで間違いない様です。

「はい。シーカーさん。おはようございます。御用件は何でしょうか?」

 女神の様な慈愛に満ちた笑みを浮かべる姐さん。どこにも畏れる要素など無さそうに感じますが、シーカーは「ヒィッ!」と小さく悲鳴を上げています。

 じじいと対峙している時とはまた別の恐怖に身を震わせていました。

「こないだ受けさしてもろた依頼の事なんやけど……」

「グラディアス王暗殺未遂、計画の首謀者、王宮魔導師長ケイン・ドクトゥスマギの暗殺依頼ですね」

「それですわ。今丁度行って来たとこなんやけど……」

 歯切れの悪いシーカーに、姐さんは落ち着いた様子で続きを促します。

「御無事な様で何よりです。どうでしたか?」

「すんません! とんでもないヤバイじいさんがおったんで逃げて来ました!」

「……しょうがないですね。シーカーさんが逃げ出す程ですから、相当なんでしょう。分かりました。依頼は放棄されるという事で宜しいですね?」

「宜しゅう頼んます」

「はい。承りました。ではお戻りをお待ちしています」

 ペコリと一礼すると通信が切れ、スクリーンの映像が消えました。

 何事もなく無事報告が済んだ事にホッと胸を撫で下ろしていた瞬間──

 

 ポンポロポン。ポンポロポン。


 ドキン!

 着信を報せる音と表示に、シーカーの心臓が跳ねました。

 三コール目が鳴るまでに受信を選択します。相手は姐さんでした。

「申し訳御座いません。一つ大事な事をお伝えし忘れていました」

「な……なんでしょ?」

「ふふ。戻ってきたらお仕置きです」

 その言葉を聞いた瞬間、シーカーの顔は真っ蒼に染まっていました。

「ではお休みなさいませ。良い夢を」

「あ、ちょ、姐さああああああああああん!」

 プツン。と無常に切れたスクリーンに向かって放たれたシーカーの魂の叫びは、雷雨の森に空しく溶けて行きました。

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