じじい、異世界へ往く

はまだない

王国編

序章

 夜闇に包まれた雷雨の中、森の中を一人の男がしきりに背後を気にしながら駆けて行きます。明かりと言えばやたらと騒がしい稲光だけ。人の手が入っておらず昼でも歩き辛い様な道なき道、そんな不確かな足元をものともせずに駆け抜けるこの男、只者ではありません。

 追手を警戒しては見ているものの、この雷雨ではどれ程の意味があるか。そんな疑問を自身に投げ掛けながらも、つい背後を気にしてしまっていました。この雷雨が追手の目をくらませてくれる事を願いながら。


 男が駆け込んだのは森の奥深くにある小さな洞穴でした。穴の大きさは大人一人がギリギリ立って歩ける程度。奥行きも一分も歩けば行き止まりです。当然の様に分かれ道などありません。

 そんな洞穴の最奥で男が地面に手を当てると、パッっと地面が光ったかと思えばそこには地下へと続く階段が現れていました。男が地下空間に足を踏み入れると同時に、真っ暗だった地下にボボボボボっと一斉に灯りが灯って行きます。それと同時に地上と地下を結ぶ階段が消失していました。

「出来ればここに来るような事にはなりたくなかったが……」

 いざという時の為の秘密の隠れ家です。ここの存在は自身が仕える王にも報せていない、正真正銘の『自分しか知らない場所セーフティーハウス』でした。

 万が一にも知られる事がないよう、ここを整備した時以来一度も訪れた事はありません。そのため、この地下空間には必要最低限の物も然程揃ってはいませんでした。

 時の流れを止める魔法を施した部屋に幾日分かの水と食料。後は大量の紙とペンとインク、そして簡素な机と椅子があるだけです。ベッドさえそこにはありませんでした。

「暫くは安全だとは思うが……油断は出来ん。急がねば……」

 男は懐から一枚の紙を取り出し、改めてそれを読み返します。

 その紙の冒頭には大きくこう書かれていました。

『初めての異世界召喚』

 と──。

「私のチカラでは使えて週に一度。失敗は許されん」

 紙に書かれた通りの手順で男は召喚の準備を整えて行きます。必要な物は逃亡の際も決して手放す事なくここまで持って来ています。抜かりはありません。こんな事もあろうかと以前より何度か異世界から小動物などを召喚していました。儀式の準備などはそれ以上に訓練を積んでおり、手慣れた様子さえ窺えます。全ての準備が整うまでに四半刻さえ要しませんでした。

 床には直径が四~五メートルはあろうかという魔法陣が描かれ、その魔法陣の所定の場所には目的の異世界と繋がりのある物品が置かれていました。

「これで良し。直ぐに儀式に取り掛かろう」

 例の紙を取り出し魔法陣を起動させるための呪文を唱えます。当然その文言は一言一句違わずそらんじる事が出来ましたが、万に一つの失敗も許されない状況である以上は取れる安全策は取っておくに越した事はありません。

 正常に起動したのでしょう。魔法陣から光の柱が立ち上っています。その光の柱に男は手を添え更に続けます。

「彼の地より最も強き者を此の地へといざないたまえ!」

 男の言葉に応える様に、光の柱が一際強く輝き出し地下の部屋を真っ白に染め上げます。あまりの光量に「うっ……」と男は目を晦まされてしまっていました。

「人を召喚したのは初めてだったが……こうも違うとは……」

 男にも想定外の事態に若干の戸惑いを隠せずにいましたが、儀式の流れ自体はいつも通り進んでいるため、その点は安心していました。

「さて……どの様な者が現れてくれるか……」

 光は徐々に収まって行き、薄っすらと目を開けられるようになってきます。

 男の視界には魔法陣の中心に立つ一人の男の姿が捉えられていました。

 身の丈は六尺足らず。筋骨隆々という程ではありませんが、しっかりと鍛えられ引締まった肉体には一切の無駄を感じさせません。身に纏う衣装も機能美だけを追求した様なシンプルで動きを阻害しないデザインです。更に視線を上げればそこには、短く切り揃えらえた白髪に色の抜けた眉、そして髭。深く刻まれた幾つかのシワが、重ねて来た年月を物語っています。


「じじいじゃねーか……っ!」


 それは男の魂からの叫びでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る