推しのVTuberと仲良くなるために同じ事務所まで入ったオタクの末路
富士之縁
第1話 推しのVTuberと仲良くなるために同じ事務所まで入ったオタクの末路
「ひかり、珍しく遅刻かぁ。ちょっと連絡入れて自分の配信準備でもしますかね」
この業界では、遅刻は稀によくある現象だ。大抵の場合、寝坊が原因である。
寝坊する時間が長くなるとTwitterのトレンドに載ることもある。遅刻なんてしないに限るけど、ファンとしては推しの睡眠を妨げるのも忍びない。
しかしながら、私は只のファンではない。同じ事務所に入るためにオーディションを受けたら拾われてしまった強火のファンだ。世間ではストーカーと分類されてしまう可能性もある。
ひかりのファン(=ひかり委員)として約3年。後輩として一緒に活動するようになって約2年。
業界では古参と呼ばれる彼女を追いかけ続けてきたが、遅刻なんてほとんどなかったはずだ。リアルでもかなりの回数会ったことがあるし、コラボも頻繁に行っている。その経験から言うと、彼女は公私共に時間を守るタイプの人間だ。時間通りに動けてえらい!
「あれから五十分経ったけど、まだ起きてないのかぁ。気になるけど、自分の配信を頑張ろう」
私は常日頃からひかりのファンを公言していたので、配信中に視聴者さんから遅刻の件について話題を何度か振られた。
「何回か通話入れたけど繋がらなかったし、おやすみモードか充電切れなのかも。最近色んな収録とかレッスンとかで忙しそうだったから流石にお疲れなのかもね。お昼に話した時は元気そうだったよ。たぶん、仮眠して寝過ごしたんじゃないかと思う」
半分は自分に言い聞かせるための言葉だった。
ただの寝坊なら良いのだが、外出して事故や事件に巻き込まれたとか、不審者に家に押し入られた、みたいな悪い方向の想像は幾らでも出来てしまう。
とはいえ幸い、業界全体を見渡してもこれまでそういう前例は存在していない。不安を煽っても仕方ないし、自分の配信に集中できなくなる。
約1時間のゲーム配信。シンプルなリズムゲームだったから余計な心配を頭から弾き出してプレイできた。
「今日の配信はここまで。……あれ? ひかりのマネージャーから連絡来てる。『大変申し訳ないのですが、私事のため物理的に遠くにおり、の様子を見に行けておりません。他の人にも頼んだのですが、現状、の家を知っていて今から動ける人はあなたしかいないので配信が終わったら見に行っていただけると幸いです』だって。まだ起きてないみたいだし、いっちょ行ってきますかね。バイバ~イ」
マネージャーが私に頼むのも無理はない。私は徒歩15分ぐらいの場所に住んでいる。それに何より、とポケットの中のカードを握りしめる。
寒さに震えながら歩き続け、の部屋のインターホンを鳴らす。
数回押してみたものの、反応がない。断りもなくコレを使うのは心苦しいけどマネージャーからも許可が出てるから、と心の中でエクスキューズしつつ、カードをドアノブにかざす。
「ひかり~、入るよ~」
明かりと暖房はついているが、物音ひとつない。
通い慣れたワンルームだから、迷わず進んでいく……こともなく、一目で探索が終わってしまった。
入口近くの浴室から、一人の人間が半身を投げ出していた。
頭部からは出血。時間が経っていたからか、割と固まっていた。
全裸で血まみれな姿は初めて見たけど、間違えるはずがない。本人だ。
匍匐前進の途中のようなスタイルであり、奥の自室を目指していたであろうことが推測できた。何でもネタにしようとする普段のノリなら、ダイイングメッセージの三つや四つぐらい書いていてもおかしくはないところだが、それがないことが何よりも切実さを感じさせた。
「ちょ、ちょっと! ひかり! しっかりして!」
耳元で叫びつつ、何度も揺さぶってみたが、応答はない。
だが、脈はあるし、かなり浅くではあるが呼吸もしていた。
とりあえず救急車を呼び、指示を聞きながら色々準備する。下手な応急処置はできないけど、全裸のまま寒空に運び出すわけにもいかない。
荷造りのために部屋を漁っていると、壁に掛けられていたカレンダーが目に入った。
来月の中盤のある日が赤い丸で囲まれ、その下には「ワンマンライブ当日!」と大きく書かれていた。同時に、彼女が昔話していたことを思い出す。
「私、ダンスの練習は風呂場ですることが多いんですよね。特に夏場とか、風呂場なら練習終わりにそのまま汗を流せて合理的じゃないですか。狭いですけど」
つまり、彼女は風呂場で転倒し、頭を強打。助けを求めるために這って移動しようとしたところで力尽きた、と考えるべきだろう。
クリエイターは風呂場での死亡例が多いと聞くが、まさか溺死やヒートショックではなく、転倒とは。いつも予想を裏切ることに定評があるとはいえ、こんな時までやらなくてもいい。
そうこうしているうちに到着した救急車に同乗する。
「全力を尽くしますが、話を聞く限り、発見が随分遅れたようですので正直難しいとしか言えません。一命を取り留めたとしても、元の生活に戻れるかどうか……」
「そんな!」
かなり冷たくなっていた手を握りしめる。処置を受けていたひかりの瞼が震え、うっすらと目を開けた。
「ひかり!」
小さく開いた唇を見て、耳を近づける。
「ひかり委員のみんなに、ライブできなくてごめんって言っておいて」
それだけ言い残して再び目を閉じた。
まだ処置を続けていた救急救命士の肩をリーダーっぽい年上の人が叩き、小さく首を振った。
もっと治療を続けてくれ、と抗議することもできたけど、血のつながった家族でもない只のファン兼後輩配信者にそこまでの権限はない。それに、彼女はライブができないことを悟っていた。どれだけ生きていてほしくても、推しの意向に逆らってまで延命措置を希望するわけにもいかない。
まだ推しを失った実感が湧かない。代わりに、すぐさま異変に気付けなかった自分に対して怒りがこみ上げてきた。
怒りといえば、ひかりの最後の言葉もそうだ。
救急車を呼んだ私個人に対しては一言もなく、ファン全体に向けた言葉だけを残して満足げな表情で逝ってしまった。
ファン想いなのは知っていたが、今日この時ぐらいは私に特別なファンサがあってもいいじゃないか。
でも、そういう特別扱いを軽々とは行わないのが彼女の美徳でもある。私は、私たちはそういうストイックな一面にも惹かれていたではないか。
最後まで周りを振り回しながら、その間に爆速で私たちの手が届かないところに行ってしまった。
もっともっと長く在り続けるものだと思っていたけど、みんなが少し目を離したスキにもうどこかに行っていたのだ。その速さは光と呼んでも差し支えないだろう。
だから、彼女は最初から最後まで光だったと言える。正真正銘、光のアイドルだ。
部屋で見た時よりも心なしかリラックスしたように見える彼女の顔を見ながら、事務所のマネージャーに連絡する。
私は私の使命を果たさなければならない。
震える指で受け取ったメッセージを打ち込む。みんなに伝えないと。
[代理ですみません。ひかり委員に向けて本人から言付かっています。
『ライブできなくてごめん』と。
ひかりはとてもすやすや眠っていて、寝坊ランキング不動の一位の座を獲得しました。誰にも覆せないでしょう。
詳細は公式のメッセージを待ってください]
誰もいない病院の待合室でマネージャーを待ちながら、ひとり呟く。
「すやすや眠れてえらい……わけないんだよぉ」
ひかりあれ、とどんなに願っても、私は神じゃないから何も起きなかった。
ファンとして推しを支えることは全うできたと思う。
けれど、同業者として彼女に貢献できただろうか。
どこまでも勝手なひかりの輝きが、私の心に大きな影を投げかけていた。
推しのVTuberと仲良くなるために同じ事務所まで入ったオタクの末路 富士之縁 @fujinoyukari
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