第11話
「ただいま戻り……」
ました、という前に、立ち止まる。
電気がついていなかったから、てっきりまだ帰ってきていないものだと思っていた。
しかし、彼女は──朱音先輩は、そこにいた。
大量に置かれた本棚から覗き込むように朱音先輩を見る。
月の光が差し込む窓際のテーブル。カタカタと、パソコンに文字を打ち込んでいるらしい。
その横顔が、衝撃だった。
脳天気な笑顔ではないし、まれに見せる寂しいような顔でもない。
ただ、無感情だった。
真顔で。ひたすら打ち込み続けているのだ。
そんな朱音先輩が……少し、怖かった。
果たしてそこにいるのは、俺の知っている朱音先輩なのか……。
怖いというより、不安だったのかもしれない。
月夜に照らされる彼女の美貌に、少し見蕩れた。いつも見せない表情に、少しドキドキした。
目が離せない。なぜかは分からない。
無感情の、まるで凍りついたような表情。
ただ、彼女を一点に見つめて──
「んぐっ……!?」
突然、頭に激痛が走る。
苦悶の声を漏らして床に倒れる寸前に。
「後輩くん!?」
倒れそうになった俺を、朱音先輩は支える。
「なんだ 帰ってきたなら言ってよ……、大丈夫……?」
「あぁ……はい、なんか、多分貧血が」
「気をつけないと。 鉄分だよ。 十円玉舐める?」
「いや、いらないっす」
朱音先輩は俺の両肩を支える。
距離は、ほぼゼロだ。
……だが。
「ありがとうございます。 助かりました」
そっと、その朱音先輩の手を払った。
「全く。 辛いなら言ってねほんとに」
「分かってます」
さっきまで、あんなに彼女を……取り憑かれたように見ていたのに。
なぜこんなに、俺の心の中で、朱音先輩への態度が変わるのか……。
そんな問い、分かるはずがなかった。
◆ ◆ ◆
「とりあえず、安静にね」
「ですから、もう大丈夫……」
「ダメだよ」
心配そうな表情に、思わず気圧され椅子に座る。
過保護な先輩だ……。 いや出会ってそんなに経ってないのに過保護とかどういうこと? そんなに母性本能が溢れる性格なのかしらん?
……って、そんなことを考えている場合ではない。
「先輩」
「なに?」
「さっきは、執筆中……でしたよね」
「あぁ、そうだよ。 なかなか筆が乗ってね〜?」
「ごめんなさい」
突然の謝罪に、先輩は頭にはてなマークを浮かべた。
「なんで謝るの?」
「先輩の仕事に支障をきたしたら、それは俺の責任です」
至って、真面目だった。
一切ふざけたつもりは無い。
実際、彼女は大人気作家なのだ。
もしその仕事を遅らせたなどとなれば、それは朱音先輩含め多くの人に迷惑をかけることになる。
だから、この謝罪は当然なのだ。
当然、なのだが……
「……ぷっ」
「おい。 なぜ笑った」
「笑ってないよ」
「いや今も超笑い堪えてるじゃないですか!?」
俺のツッコミを食らって耐えられなくなったのか、大声で笑い出す朱音先輩。
「いやぁ……おもしろい!」
「俺は何も面白くないです」
「傑作だよ。すごく面白い」
「僕は一切ふざけてません!」
「ふざけてるとしか思えないよ」
「はぁ?」
「だってさ、」
「私、これでも期待の超新星とか言われてるんだよ?」
……ちょっとだけ。
ほんのちょっとだけ、カッコイイとか思ってしまった。
自分に絶対的な自信を持って、それでもって俺の謝罪を嘲笑ったことが。
なんだか俺には、絶対にできないような気がして。
「……そうですか」
「そうだよ」
「そりゃ……期待の超新星は、笑いますよね」
皮肉げにこぼした一言も、彼女は笑い飛ばす。
「よ〜し、後輩くん。 ちゃんと休んだよね?」
「え、まぁ、はい」
「外、行こっか。 デートしようよ」
◆ ◆ ◆
「夜なのに、暑いですね……」
「そりゃあ夏だからね……あと、君が上着を着てるのもあると思う」
「……脱ぎませんからね」
「こりゃまいった。 言うことが予想されちゃったよ」
たははーと、笑う彼女。 静かな夜の街に、真っ黒の夜の空に、溶け込む程度の、優しい笑い声。
「まだ会って、全然経ってないんですけどね」
「そうだね……そう、だね」
若干歯切れ悪い返事だったが、俺は気にせず続けた。
「最近は、一日が長いんです」
車のクラクションが鳴った。少し渋滞が起きているらしい。
「それは、一日が充実してる証拠だよ。 毎日新しいことに出会ってる、証拠」
「出会うこと、俺にはなかなか不都合なことが多いですけどね」
「よいではないか」
「何も良くないです」
路地裏を抜けると、騒がしくてギラギラとした場所に出る。
「コンビニで、コーヒーでも買おうか」
「もう夜ですよ。 カフェイン入れたら……」
「どうせ、寝れないから」
その言葉の真意は、結局わかることは無かった。
朱音先輩に連れられるように、コンビニの店内に入る。
少し落ち着いたBGMが流れていて、客は1人もいないようだった。
「後輩くん、お菓子とか買う?」
「いや、いいです。 金ないので」
「奢ってあげるってことだよ」
そう言って、俺の答えも待たず、朱音先輩はチュロッキーを手に取った。
「好きだったよね?」
「え……あ、はい」
大好物だ。ドーナツとかの中なら間違いなく1番好きだ。
ただ……俺、朱音先輩にそれ伝えてたっけ……。
まぁ、毎日話してるし、無意識に行っていたのだろう。
「私はチョコのチュロッキーにするから、一口ずつ分け合おう」
「そちらのお金ですから……お好きにどうぞ」
「コーヒーは?」
「カフェオレで」
「……甘党だね、後輩くんは」
レジで会計する朱音先輩を少し見届けたあと、「これ自分で入れといて」と渡されたコーヒーカップに、カフェオレを入れていく。
「駐車場で食べよっか。 先に行ってて」
「了解です」
自動ドアが開き、おなじみの音声がなった。
◆ ◆ ◆
「お待たせ〜」
全然待ってないけどね……。
レジ袋とコーヒーを両手に装備し、トコトコとこちらに走ってくる朱音先輩。
「いい席を取っといてくれたみたいだね」
「いい席も何も、ただの駐車スペースですけど……」
「ここは、あんまり車が止まらないんだよ」
「はいチュロッキー」、と手渡されたチュロッキーの袋を開ける。
「あ、ちょっと待って!」
「どうされました?」
パクリ、と。
光の速さで、俺のチュロッキーは1口かじられた。
「……え?」
「はい! 後輩くんも一口食べて!」
「え、なんで」
「間接キスだよ!」
「バカじゃないすか……」
呆れながら、俺は特に何事もなく、ぱくりとドーナツを食べた。
「え……ちょ……え?」
「あの、先輩。 さすがにこの程度の間接キスはビビんないっす」
「な……なんだよ後輩くん。 いつになく強気じゃないか……」
わなわなと震える先輩。持ち前のセクハラまがいの行為が通用しなかったのが悲しいんだね……。
一瞬、沈黙が場を支配した。
あかん……これは話題を変えなければ
「あ〜……、ん、先輩。 今日満月ですよ」
「え〜……って、おぉ。 すごい、超満月だ」
「なんかラッキーですね」
「だね」
コーヒーのフタを開けて、一口飲む。
ふぅ……と、俺も朱音先輩も自然に声が漏れた。
それが同じタイミングだったから、どこが恥ずかしくて、少し笑った。
「にしても、夜はやっぱりいいですね」
「なにそれ。 誘ってる? 初夜突入しちゃうの?」
「なんだか……夜の街を歩くと、この世界に存在できてるような気がするんです」
「さすがにガン無視はキツいよ後輩くん……」
もう一口飲んで、また息を吐く。
「……まぁ、でも分かるかも」
「朱音先輩は、陽の世界の人間でしょ。 分かるはずない」
「それが、根はなかなか暗いんだよ?」
「嘘つけ」
「君が、一番知ってるよ」
……あぁ。
また……その顔だ。
あなたは時々、その顔をする。
「俺は……何も知らないです」
「じゃあ、誰も私を知らない」
「……」
「沢山、別の自分を作っちゃったからね。 私も、本当の自分がなにか分からないや」
自嘲気味にそう言って、彼女は笑った。
チョコのチュロッキーの袋を開けて、彼女は一口かじる。
「どう? うちでの暮らし。 学校通うの楽でしょ」
「はい。 めちゃくちゃ」
「それは良かった。 ……あと、はい。 チュロッキー」
「あ、どうも」
差し出されたチュロッキーを、一口かじる。
「……なんか餌付けしてるみたい」
「なんですかそりゃ」
てかチョコチュロッキー美味いな。 プレーンだけじゃなくて、冒険も必要ってことですね……。
「もしかすると、いずれ私に依存しちゃうかもね?」
「依存だなんてそりゃ怖い」
「大丈夫」
「何がです?」
「依存は、怖いけど、幸せでもあるんだよ」
「……はぁ?」
「私は、とっくのとっくに君に依存してる」
一瞬、息ができなかった。
「……そりゃ、困ります」
咄嗟に返した言葉が、不正解かは分からない。
……ただ、正解ではないことだけ確かだった。
俺はこの日、朱音先輩がよく分からなかったのだ。
彼女のことが……もっと、分からなくなったのだ。
ラノベオタクの僕が、美少女ラノベ作家な先輩と同居することになった ぼたもち @djdgtdjn
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