第8話
「ここの問題を……よし、宮本。答えろ」
「はい。1582年に起きた代表的な出来事は、本能寺の変ですね」
「正解だ。詳細は?」
「織田信長の家臣である明智光秀が謀反を起こして、織田信長を自害に追いやった、今でも謎多き事件ですよね……あ、信長の首がどこに行ったのかは多くの諸説が存在して……」
「……お前の歴史知識自慢はいらん。座れ」
おずおずと座ると、クラスから向けられていた異様な目線に気付いた。ですよね。陰キャがこういう事したらこうなりますよね。知ってました。
「して、宮本が言ったように本能寺の変とは……」
黒板にカツカツと文字を書きながら、教科書片手に解説を始める橘先生。
黒板の文字を書き写す人や、ラクガキしている人。挙句……本を読んでいる人も……ってそれ俺だわ。
だってさ〜、戦国時代とかオタクだったらみんな好きじゃん? 調べるじゃん? 授業でやること知ってるじゃん?
というかなんなら、男の子みんな織田信長好きでしょ。俺は武田信玄が好きです。
「そして、この事件の後、信長の後を継ぐような形で天下統一をめざしたのは……、まぁ知っての通りだ。じゃあ、上茶谷」
「羽柴秀吉、です」
「……まぁそうなんだけど、というか時系列的にはそれが正しい気もするが……、うん、豊臣秀吉だ」
と、そこで挙げられた名前に、思わず肩を跳ねらせる。
朝から覚悟してたけど……今日からだもんな……部活。
これまで一度も話したことのなかった、ハイブリット陰キャ、上茶谷恵。
窓側の端っこという、最高のゾーンに居る俺から2つ前の席。
つか、羽柴秀吉とか、あの人も戦国時代好きなの? そんなにメジャーでしたっけこの名前。
結局、6時間目を彩る橘先生の社会の授業は、誰も寝ることなく終了した。
……いざ、魔境の地へ。
「……総合文化部、ここか」
辿り着いたのは、最上階の一番奥。
普通の生徒はまぁ通らない、そんな場所に、総合文化部の部室はある。
無駄に達筆な文字で、総合文化部とデカデカと書かれた習字用紙が、ドアにぺたっと貼り付けられていて。
──静寂が、場を支配していた。
陽キャの煩い話し声も、ビッチの甲高い笑い声も、生徒たちの足音すらも、微かに聞こえる程度。
とても学校内とは思えないし……
「この中に人がいるとも、思えないな」
部活と言うならば、間違いなく騒がしいはずなのだが、それがこの教室前からは一切感じられない。
ただ、沈黙が広がっている。
上茶谷が教室から出ていったところは確認していたし、いることは間違いないのだが……。
話し声はおろか、物音すら立たない部室の前で、俺は立ち尽くす。
よし、確認だ。あくまで、確認。
俺はここに入部するために入るわけじゃない。とりあえず、人がいるか確認するだけ。
うわー。確認とかだりーわー。でもやんなきゃなー。
「誰かいますか〜」
ガラッと、勢いよく扉を開けて、教室内に入る。
窓から差し込む強烈な日光は、僅かにオレンジに染まっていて、俺の目を突き刺してきた。
黒板と、大きめのデスクがいくつか。
掃除用具入れなんかもある。
多少は違えど、いつも見る教室の景色。
なんてことない、日常の風景。
……それ、故に。
一つだけ異質なものがあれば、違和感はとてつもないものだ。
確かに彼女は、そこにいる。
黒く、長いその髪を風に晒していた。
窓側を向いて立つ彼女。
しばらくしてから、彼女はゆっくりとこちらを振り返る。
真っ黒な、しかしビー玉のようなその瞳と、整った顔つきが、視界に飛び込んだ。
いつも顔を隠していた前髪の下は、こんなにも綺麗だった。
……美しかった。
「……何か、用?」
髪をかきあげて、俺に向かい合う彼女。
俺は一瞬、見蕩れていたために反応が遅れる。
「……なに」
……と、少し苛立ちを顔に出したところで、意識がやっと戻ってくる。
いやさ、そりゃあビックリしますよ。
髪に隠れてた顔が実は美人だったとか、どこのラノベヒロインだよ。
そんな事を考えながら、何とか言葉を絞り出す。早いところ答えないと、ただのヤベー奴になるからな。
「いや、今日から入部することになったから、来た」
もっと、いい一言目があった気がする。
昨日、寝る間を惜しんで考えていたのだが、忘れてしまった。
それくらいの迫力が、彼女にはある。
俺の答えを聞いた彼女──上茶谷恵は、品定めをするように、俺をじっくりと眺め始めたかと思うと……突然、目を見開いた。
「体育の時、一緒に体操してる人……」
「そ、そうだ。宮本……と言う。よろしく」
やっぱり、そういう認識しかないんですね。
キョドる俺とは対照的に、上茶谷は少し表情を緩めた。
「……知ってる。クラスの中で、宮本だけ覚えてるから」
「……じゃあ、初めっから宮本って呼んでくれればいいだろ」
というか、いきなり苗字で呼ばれたからドキッとしちゃっただろうが。
「いや、その……」
と、俯いてから、
「顔、よく見てなかったから」
上目遣いでそれは、破壊力抜群すぎる。
まずい……このままでは俺が脳死KOされてしまう!(馬鹿)
にしても、このままだと本気で恋に落ちてしまう可能性が出てきた。
ここは、俺の長年の努力で培った、異性を異性として見ない戦法を使うとしよう。
「そ……それは俺もだ! お前、いっつも髪おりょしてりゅし!」
ダメだ。全く使いこなせてない。
そんな俺を見て、上茶谷はプッと吹き出した。
「……おい。なぜ笑う」
「だって、陰キャ感丸出しなんだもん」
「うるせぇ。お前も陰キャだろうが。俺とお前は同類だ」
「だからこそ、わかる」
「は?」
一呼吸置いて、
「久しぶりに人と話すと、そうなりゅよね」
……沈黙せざるを得なかった。
なるほど。やはりお前は陰キャだったか。同類だったか。
いやはや、顔と仕草で騙されるところだった。人を外見で判断しては行けませんね! あれ、これ昨日も思ってた気が……。
「……まぁ、その、なんだ。そんな日もあるさ」
「……宮本に励まされるほど、私はやわじゃない。あと、言うほど陰キャじゃない」
「いや、底辺中の底辺だろ」
「それ、私と宮本が同類って言うなら、宮本も底辺中の底辺だろ底辺ってことになるけど」
「? 当たり前だろ?」
「……わろた」
「さすがに、ワロタって現実で言ってくるやつは見たこと無かったな」
この感じだと友達とメールでやり取り〜!なんて相手もいないだろうし、ワロタって単語が自然に出てきたことを見るに、結構ネット民だったりするのか? ねらーなの?
「というか、わかってるから」
「何が」
「私が、底辺だってことは」
「なんだそれ自虐ネタ?」
「……まぁ、うん」
きっと、ここにいるのが俺ではなく陽キャだったら、この上茶谷の発言による空気を嫌がるだろう。
だが、俺は嫌がらない。
自嘲も、自虐も、なんだってこいだ。なんなら、それを返すのが得意分野かもしれないし。
「自覚のない陰キャが一番キツイからな。凄いぞ上茶谷。自覚があるなんて」
「なんで上から目線なの。馬鹿なの?」
「残念ながら社会と国語の成績だけは学年三本の指に入る」
「そういう意味じゃない」
上茶谷は深くため息をつく。
して、ずっと立っているのが疲れたのか、教室の真ん中にある椅子に腰掛けた。真ん前にあるデスクに置かれたPCも起動する。
「私は宮本と違って、進んで陰キャになったわけじゃない」
パソコンの起動音が鳴り響いて、カチカチとマウスをいじり出す上茶谷。
進んで陰キャに……ねぇ。
そんな人間、果たしているのだろうか。
きっと、いるにはいるんだろうが、
「……俺だって、進んでなりたかったわけじゃねぇよ」
「宮本は、陰キャというものに……今の地位に満足してるでしょ」
「超満足してます」
再び、大きくため息。
「私は、辛いから」
パソコンを弄りながら、ふと漏らした言葉。
「……なんか、すまん」
「……いや、今の忘れて」
きっと、本心なんだと思う。
「わかった。忘れる」
適当に言って、俺は窓の外を眺める。
景色は、入ってきた時と変わらない。
強いて言うならば、僅かに日が沈んだかもしれない。
上茶谷恵は、モジモジして、周りに流されるような、ただの陰キャじゃない。
……やはり、ハイブリット陰キャだ。
「じゃ、私は仕事するから、宮本は黙ってね」
「おいちょっと待て急に理不尽すぎるだろ」
凄い落差。いっそ尊敬すらする。
というか仕事ってなんだよ……。大袈裟すぎるでしょ……。
「仕事って……文芸部の活動の事だよな?」
問うと、ふるふると首を振られる。
なんだ……? と思っていると、上茶谷は何が板のようなものを取り出して……
「……液晶ペンタブ?」
「イラストレーター、してるから」
……嘘だろ。
俺の知り合いに、作家とイラストレーターがいるんですけど。なんなら同じ部活にいるんですけど。この2人でタッグ組ませようぜ。
「どんなイラスト書いてんだ?」
「……ラクガキなら見せれる」
普通逆じゃねぇの? と思いつつ、上茶谷の後ろにつける。
デスクトップをのぞき込むと、書かれていたものは手だった。
うん、手。
「おい。手しかないんだけど」
「手、書くの好きだから」
「……サイコパス的なそれか?」
「違うから。綺麗に手がかけるとスッキリするの」
そう言いながら、またもうひとつ、手を書き始める。
「宮本。このポーズして」
「はぁ? ……なんだそのフレミングの法則みたいな手は」
「特殊なのもいつか使えるかも」
「絶対使わねぇだろ……、……これでいいか」
「うん。止めて」
美少女に指定されて動きを制限される俺……。字ズラだけ見たら物凄いな……。
「あ、さっきの続きだけど」
さっき黙れだなんだ言っていたが、気が変わったらしい。
上茶谷は液晶ペンタブに目を向けながら、無表情で語り出す。
「女の子の界隈だと、陰キャはいじめの標的だから」
はっとさせられる。
「私のお母さん、モデルだったんだって。お父さんも、昔ホストをしてたらしくて」
「……」
「色んな人が、この顔をいい顔だって言って、褒めてきた。男も、女も」
いつの間にか、上茶谷の表情は暗くなっていた。
男からの言葉は、下心が。女からの言葉は、きっと毒が混じっていたのだろう。
……上茶谷自信を、彼女の全てを褒めてくれる人間は、きっと彼女の周りにいなかったのだ。
「求めてなんてない。私が手に入れたものじゃない。勝手な貰い物。それのせいで褒められて、可愛がられて、ご機嫌取りされて、いじめられて、死にかけた」
誇張表現は、きっとしていない。
まだ話して時間は経ってないが、彼女が誇張表現を使って話す人間とは、とても思えなかった。
「顔が良ければ人生楽なんて、嘘」
「……」
「悪い方が、きっと普通に生きれた」
普通ってなんだ、と言いかけてやめた。
きっと……よく分からないから。
俺も、上茶谷も、普通なんてイマイチよく分からない。
やんわりと思い浮かべるイメージが、きっと彼女にとっての普通なのだ。声に出して説明するのは難しい。
手、もういいよと言われたが、動かす気にはなれない。
「一人でいたいってずっと思ってたけど、みんな寄ってくるから、なれなかった」
……恵まれたが故の、苦痛と言ったところか。
彼女はいじめられた時、誰かに助けを求めるのではなく、一人であろうとしたのだ。
さっきの話を聞くに、両親と話す時間も、職業的にあまりなかったのかもしれない。
「人間不信、だったから」
突然呟いた言葉に、思わず驚く。
そんな俺を見て、上茶谷は少し、表情を緩ませた。
「顔に出てる。わかりやすい」
「うわ、マジで?」
朱音先輩だけじゃなくて上茶谷にまで解読されたんですけど。
「……つか、人間不信なら、俺も疑ってんの?」
「ぶっちゃけ、疑いまくってる」
「マジで!?」
「冗談」
クスクスと笑う上茶谷。俺、最近弄られすぎじゃないですかね。
すっかりとシリアスムードが崩壊した俺と上茶谷は、ほぼ同じタイミングでため息をついた。
それがなんだかもどかしくて、これまた同じタイミングで笑い声を漏らす。
「なんか、宮本は今まであってきた人と、全く違う感じがする」
なんだよ感じって……オーラとかそういう話?
「……それは、良い方でだよな?」
「わかんない」
「なんだそりゃ」
「きっと、良い方だよ」
小さく、だが力強くそう呟いて、彼女は突然、液晶ペンタブを手に持つ。
「何となく、だけど」
「おう?」
「私、仲良くできるなら……友達になれるなら、宮本しかいない気がする」
「馬鹿言え。そんなの俺だって思ってる」
朱音先輩は対象外だ。あの人、俺にとってのなんなんでしょう……。
「だからね、宮本」
どこか嬉しそうに、彼女は手に持ったペンタブ画面を、こちらに向ける。
衝撃を受けた。
そこに書かれていたのは……フレミングの法則のそれではなかったから。
いや、それ以上に……
「宮本は、きっと私を見てくれるから」
「っ……!?」
「顔とかじゃない。私自身を見てくれる気がするから」
「なぁ……この絵って……」
「だから、宮本」
俺の言葉を一切聞かず、押し通した彼女は、
どこか誇らしげに、
「文芸部へようこそ宮本。歓迎するよ」
書かれた俺の顔のイラストは、どこかで見たようなタッチで描かれていた。
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