第2話

「はい。到着〜」


あのネカフェから、仙台駅方面に歩いて数十分……。

俺は目の前にあるクソデカタワマンに、思わず度肝を抜かれていた。


「……何階建てだこれ」


天を突き刺すかの如く上に伸びるタワマン。

驚愕している俺をよそに、


「ほら。早く入るよ〜」


と、朱音がこれまたデカい自動ドアを通ってマンションの中へと入った。

俺もそれに続くべく、自動ドアへと向かう。


やけにテカテカした黒い石で作られた壁と、高級感溢れる灯り……。

自分が前に住んでいた家は築30年の、言っちゃ悪いがボロアパート(3階建て)。


俺からすれば、「こんな家に住んでる人間がこの世に存在するの?」というレベルにしか思っていなかった高級マンション。


自動ドアをくぐると、いくつもあるエレベーターと、謎に広いエントランス。ソファや、なんか高そうな壺があったりで、さながらホテルのようである。


「す……すごいなこれ……」


醸し出る金持ち感……。溢れ出る場違い感。 俺、本当にここにいていいの?良くないですよね……。


「ちょっと。置いていくよ」

「あ……すいません……」


トコトコと、某RPGゲームみたいに朱音先輩ついて行く俺。

家にエレベーターとか憧れだったなぁ……今乗ってるのはさすがに格が違うけど……。


そしてさりげなく、最上階のボタンを押す朱音先輩。薄々気づいてたけど、やっぱり最上階なんすね……。


あんまり振り回され過ぎてもアレだ……と、平常心に戻るためスマホ画面を開く。

いくつも届いていたネ友からのメールに日常を思い出し、ふと正気に戻る。


さっさと返信を打ち込んでいると、朱音先輩がこちらを見ていることに気が付いた。


「なんですか」

「……いやさ、仮にも美人な先輩と密室に2人きりなわけじゃん?襲ったりしないのかなって」

「エレベータープレイはさすがに受け付けません」

「ただ単に襲う勇気がないのかな?」

「それもあるかもしれません」


一切の感情を入れずにそう言うと、朱音先輩もそれに気付いたのか、軽くため息のようなものを吐いた。


と、エレベーターがベルの音を鳴らす。


「ついたついた。降りるよ」


その投げかけに無言で頷き、再び後を追った。













「と、言うわけで本当に到着でーす」

「……テンション高いっすね」

「後輩くんが来てくれたからね!」


その言葉に困惑しながら、朱音先輩の背中に張り付いて、部屋に入る。


「……うわぁ」

「ちょ……そんな声漏らさなくても」


玄関部分から早速、アニメのタペストリーが飾られていて、オタク成分満載。これ、オタク知識ないお友達とか来たらドン引きされちゃうんじゃないの……。


「大丈夫。呼び込むような友達いないから」

「え、なんですかテレパシー?テレパッてるんですか?」

「顔に書いてあったよ」

「そんな明確に書いてあるのか……」


いっそ、そこまで的確に書いてあるように見せれるのは一種の才能なんじゃないかと思う。俳優目指そうかな。


横幅が異様に長い廊下を真っ直ぐ進むと、そこには広々としたリビングがあった。


……だが、どうにもおかしい。

普通の部屋においてあるべきものが、この部屋には存在していないのだ。


例えば……


「えっと……朱音先輩。テレビは?」

「ん?ないよ?」

「じゃあ、炊飯器は?」

「それも、ないかな」

「あると信じたいですが、冷蔵庫は……」

「ないない」

「……もしかして、自炊はされてない感じで?」

「毎日宅配サービス使って朝昼晩食べてるよ」


う……嘘だろこの人。

完璧超人というイメージが、あっさりと崩れていく。


「ち……ちなみに、置かない理由は?」


そう問うと、朱音先輩は人差し指を唇に当ててしばし考えてから、


「使わないから、かな? 電気代無駄だし。いらないものは削いでいかないと」

「削ぐて」


私には必要ないの〜と、能天気に騒ぐ朱音先輩だが。いや、必要でしょ……。


他にも異質なところは沢山ある。

まず、リビングのほとんどを締めているのが本棚という事。

そして置かれている家具も、机とかソファとかがちょこちょこ並ぶ程度で、ぶっちゃけ生活感というか、人が住んで生活してる家って感じがまるでしない。


「昔は料理とかしてたんだけどさ〜……すっかりしなくなっちゃった」


唇を尖らせてそういう朱音先輩。


「毎日宅配サービスとか、太りますよ」

「太らない体質なんだよ」

「そう言ってる人に限って、将来太るんですよね」

「というかそもそも、女性にそういう事言わないの。デリカシー無さすぎ」

「事実を述べているだけなのに……」


女性というのはつくづくわからん……。


その後、風呂場やトイレ、使われていない馬鹿みたいに広い空き部屋など家中を軽く案内してもらった訳だが……もう、いずれもデカすぎる。トイレとか、こんなに広かったら逆に落ち着かねぇだろ……とか思うレベル。


「と……ところで、ここの御家賃はおいくら万円で……」

「えっと確か……14万?」

「じゅうよ……!?」


まぁ、そうだよね!!駅近でこんなに広いんですもんね!仕方いよね!


……とはいえ、あまりにも格が違う。


昨日までネカフェ暮し……どころか今日もネカフェに泊まろうとしていた男が、脅されているとはいえここで寝ることは許されるのだろうか……。


「じゃあ後輩くん。そろそろ寝室に行こうか」

「あ、もしかしてもう布団とか引いてたりしますか?」

「布団というか、ベッドだね」

「ベッド。 設置大変だったですよね、なんか申し訳ないです」

「いやいや。別に。私も使うし」

「え゛。朱音先輩が使ったことあるベッド使うんですか?」

「いや、使ったことあるって言うか、毎日使ってるし、今日も使う予定あるよ?」

「……はい?」


この人は、何を言っているんだろうか……と、一瞬思考が停止する。


えっと……? 俺が使うベッドは、朱音先輩が毎日使うベッド……なんだな? ここまでOK。いや、実際は何も良くないけど、理解度的にOK。


……で、今日も使う予定がある?

俺が使うベッドで、今日も朱音先輩は寝るってことか……?


……あれ。それって……


「ひとつのベッドで、2人寝る……的な?」

「御明答だよ後輩くん!」

「いや出来るわけあるか!」

「いやいや。布団とか買ってないし。ベッドひとつしかないし」

「だったらいっそ床で寝るわ!朱音先輩と同じベッドでとか殺されてしまう!」

「誰も殺さないよ?」

「情報が漏れたら学校で殺されるし、何よりも朱音先輩に殺されます」

「殺さないよ? 怖いこと言わないで?」

「セクハラしてくるだろ絶対……!」


それは分からないよ〜と、カラカラ笑う朱音先輩。

この人は果たして悪魔なのだろうか……いや、悪魔です。間違いありません。


「あ、同じベッドで寝るならお風呂入らなきゃ」

「……俺、先に入りますね」

「一応、私を先に入れて、私が入ったお風呂を……」

「セクハラが過ぎるぞこの先輩!?」


このままでは本当に殺されてしまう!?と、急いで洗面所に駆け込む俺。


洗面所についてるドアの鍵とか、いつ使うんだよ……とか思ってたけど、こういう時に使うのかもしれない……と、しみじみ思いつつ、周りを見渡す。


化粧品やタオル、そしてこの家には珍しい白物家電──まぁ洗濯機など、ある意味この家で一番生活感がある場所だと言える。


……まぁ、人の家の洗面所をジロジロ眺めるのもなんかあれだが。


『早く上がってね〜』と、催促の声が聞こえたので、俺は1人で「はいはい……」と呟いて、Tシャツを脱いだ。


そしてその体を……鏡に写す。


決して、ナルシストではない。


鏡に映る惨めな自分を、目に焼き付けているだけだ。


瘡蓋とリスカ跡のようなもの。腹についた大きな傷跡。

他でもない自分の姿に、非難の目を向けて、風呂場に入る。


シャワーを流すと、相変わらず、水がよく染みた。


傷をつけられたあの時から……ほぼ4年。


『空白』の期間も入れればそれくらいの月日が経つのに、俺の傷は一向に治らなかった。


傷が深かったのが、何よりの原因である。

目の前で肉親が壊れていくというのは、意外とくるものがある……今でも鮮明に思い出せる。


誰が……母さんを狂わせたのだろう。

俺のせいかもしれないし、俺じゃない誰かが、母さんを壊してしまったのかもしれない。


過去を振り返ったところでどうにもならないのに……。

相変わらず、過去を振り返って、また笑うことしか出来ない。


そんな、あまりに滑稽な自分に、俺はただ、小さく苦笑いをうかべることしか出来なかった……





『ねぇ後輩くん? 私も入っていい?』

「……はっ!?」

『聞こえてるー? 後輩くーん』

「ちょっ……若干シリアスに耽ってたんですけど! ぶち壊さないでください!」

『いや、急にひとりで笑い出すから、可哀想だなって……』

「ほっといて! というか、すぐ上がりますから! そんなにせっかちに……」

『やだせっかちなんて……えっち』

「なんでだぜ!?」



本当に、過去を振り返ったところでどうしようもない。


……過去を振り返る前に、今はまず、この現状をどうにかしなくては。


このセクハラ先輩から、どうにかして逃げる術を手に入れなければ……!


俺の当分の目標は、彼女から許しを貰い、再びネカフェ生活へと戻ること。


あの日常を、取り返してやるんだ……!


そこでふと、風呂場に設置された鏡を見る。





不思議だった。





大変なはずなのに。



めんどくさいと思っているのに。



早く脱却したいと思っているのに……








俺は、意外といい顔をして笑っていた。

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