第3話

「光が指す〜未来へ〜進め〜」


風呂場から聞こえるシャワーの音に悶々としていると、いきなり朱音先輩の歌声が聞こえた(割とうまい)。


……さすがにこのまま、風呂場の音を聞き続けたら頭がおかしくなりそうだ。


そう思いつつ、意識を逸らすためにスマホを開いた。


「……おぉ。新刊明日発売か。電子書籍で買っとかないと……いや、まだ読んでないのが数十冊とあるし、まだいいか……」


ネットでの新刊ラノベ情報を適当に流し見しながら、シャワー音をかき消す為にブツブツと呟く。


「あー……書店特典かぁ。行くの面倒だけど……欲しいなぁタペストリー……行くかー。買いに行っちゃうかー」


と、そこでシャワー音が途切れた。


これで無駄に苦しむこともなくなったわけだ。ミッションコンプリート。



『後輩く〜ん。タオル取ってもらっていい?』




何もコンプリートしてなかった。というか、ここからが本番だったのかもしれない。


さすがにシカトを決め込む訳にも行かず、風呂場の前に行って問う。


「……どこに入ってますか」

『寝室のクローゼット。開ければわかると思う』

「分かりました」

そう言いつつ寝室へと戻り、クローゼットを開ける。

『あ、下着とか入ってるけどあんまり気にしないでね』

「なんだろうな……俺がどんどん汚されていく……」


ちらりと目に入ったような気もする、ピンク色のそれを記憶から抹消し、手に取ったやけにふかふかなタオルを、風呂場の前に置いた。


『直接届けてはくれないの?』

「裸を見る気はありません。むしろ見せたいんですか? 痴女か何か?」

『失礼な……でも、実際見たいんでしょう?』

「ははは。めっちゃ見たいです」


そう返して、俺は風呂場から離れた。めんどくさい。


洗面所から、嘘だ〜!と喚き声が聞こえた気がするが、気のせいだろう。


俺はそう思いつつ、この部屋のリビングへと向かった。


再び視界に入ってくる、異様な数の本棚と、そこに差し込まれた書籍。


俺はそのうちの一冊を、ふと手に取った。


その本は……偶然か、必然か。



《幻想の創成龍》ジェネラルバハムート



著者──アカネ。イラスト、ばかなめこ。


他でもない、朱音先輩が書いた小説。


ジャンルはいわゆる異世界もので、名前の割にはコメディー要素多めのライトノベル。


表紙、イラストを担当しているばかなめこ先生の圧倒的画力がさらにヒットの原動力となり、



「……50万部突破の、大人気作……か」



たった5巻で、累計発行部数50万部。


異様なほどの売れ行き。それゆえ呼ばれる、ラノベ界の超新星。


俺がこの本を手に取った時、何よりも心に刺さったのは、第1巻ラストのあとがきだった。



『なんのために生きているかと聞かれた時、すぐに答えることが出来る人は、きっとリア充。ちなみに私は直ぐに出てこないので、非リアです……』



コメディー調のその一文は、俺にとってはよく刺さる一文となっている。


なんのために生きているのか……。


ペラペラとページを捲りつつ、改めてそんなことを考える。


俺の……生きる理由……。


「二次元に生きるため……かな」


ぽつりと、自然と口をついた言葉に、自分でも若干驚く。


一般人からは理解されないであろうその生きる理由。


二次元に生きるというのは、俺にとっては、小説を読むことだった。


作品に入り込み、キャラクターに感情移入して、その世界に生きるような感覚を得る。


現実逃避のようなものでもあるが、俺にとっては確かに、それが生きる理由で……



「わっ!!」

「……足音。結構聞こえてましたよ」


えー。と、悔しそうにする朱音先輩。俺を驚かせようとしたのだろうか。


「なんか暗い顔してたから、元気づけてあげようかなって思ったんだけどな〜」

「そりゃどうも。余計なお世話ですが」


サラリと返すと、彼女は一瞬寂しそうな笑みを浮かべる。


ただそんな表情は、直ぐにいつものハツラツな笑みにかき消されて……


「じゃ、もう遅いし寝ますか!!」













「君は壁側で寝る?」

「床で寝ます」

「年齢詐称……」

「実は、壁側で寝るのが趣味なんですよね〜」


この人、すっかりと脅しを使いこなしてやがる……。


軽く震えながら、布団の中に入ると、ふかふかとした感触が身体中に伝わる。


朱音先輩に背を向ける形で寝転がっていると、背中に柔らかい感覚が……


「って、何やってるんですか!?」

「ラッキースケベってやつ?」

「いや全然違いますけど!?」


ぴったりと密着する朱音先輩。


顔が熱い……。耳まで真っ赤になっているんだろうな……と、何となくわかる。


「……後輩くん。こっち見て」

「ぴったりくっつかれてたら、振り向けません」


俺がそう言うと、ホールドを緩める朱音先輩。


後ろを振り向くと、すぐそこに朱音先輩の顔があった。


「やっと、目が合ったね」

「……陰キャは目を合わせるのが苦手なんですよ」


すぐそこにある、学校一の美少女の顔。

朱音先輩の吐息がこちらに届いてくる。


甘いシャンプーの香りが、俺の鼻腔もくすぐってきて、平常心を保てる気がしない。


「顔、真っ赤」

「……でしょうね」

「恥ずかしいんだ?」

「まぁ、それなりに」


可愛いね、と短く行って、くすくすと笑う朱音先輩。


この至近距離。


そこで俺はふと、聞こうと思っていたことを思い出した。


「……その、ですね」

「ん?なに?」


朱音先輩が浮かべた柔和な笑みに、思わず胸が跳ねるが、何とか持ち直し、


「……その、なんで俺を泊めようと思ったんですか?俺、朱音先輩と話したこととかなかったし……」

「特に、深い理由はないよ」

「じゃ……じゃあ……」


俺が答えを急かすようにすると、朱音先輩は一息ついてから、


「なんて言うか、話すと長くなっちゃうんだけどさ」


深夜テンション……と言うやつだろうか。


彼女は天井を見上げて、自然な笑みで語り出す。


「私さ、両親が帰ってこなくて……あ、死んだとかそういうんじゃなくてね?」


無言で頷く。


「それで……丁度去年の今時期、ネカフェ生活してたんだよね」


その言葉に、俺は思わず息を飲んだ。


思い浮かべたのは他でもない。自分自身だ。


「今はさ、小説家としての収入とかがだいぶ入ってきたり、親からのお金とかでいいマンション借りて生活してるけど……」


そこで一旦言葉を切ると、


「1人ってさ、寂しいじゃん」


儚げに。


それまでの、ハキハキとした、元気な言葉とは違う。


弱々しく、それでもってどこか切ない。


恐らくこれが……静華朱音の本音。


「君も、寂しかったでしょ?」


突然問われて、一瞬戸惑う。


「……いえ?俺はそんなにこと無かったですが?」

「死んだ魚のような目してたじゃん」

「そ……そうだったのか……」


俺がそう言うと、朱音先輩は再び、元気そうに笑う。


「だから、過去の自分と重ねた、みたいな。君も寂しいんだろうなって。理由なんてそんなくらいだよ」

「そう……ですか、」

「あ、あと、顔が好みだったから。これ6割」

「ほぼそれじゃねぇか……」


やっぱりこの人のいる中でシリアスすることは難しい気がする……。


「……ま、散々語ったけど、明日も学校だしもう寝ようか」

「ですね。 ……というか、俺は最初からそのつもりで……」

「はいはい。おやすみ〜。……あ、襲ってきてもいいからね?」


襲う理由がない……とだけ返して、俺は改めてまぶたを閉じる。


疲れていたせいか、直ぐに意識が遠のいていった。


まぶたが重くなって、ついぞ開けなくなった時、俺は意識を手放して、完全に眠りにつく……


































前に。

























「……本当に、覚えてないんだね」


曖昧な意識の中で。


……そんな声が聞こえた気がした。



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