第30話

「それで?」

「それだけよ。何か文句あるの?」

 純の氷のように冷たい視線と突き刺すような物言いに、水上は両手を挙げて首を振った。

「文句なんてないけど――それじゃあ鈴木の奴、変わっちまってからモテモテ、てことかあ」

「モテモテ?たまたま女の子を一人助けて感謝された、ってだけでしょ」

「だって真島も通ってる、てことは――」

 さらに殺傷能力を増した純の視線に、水上は言いかけた言葉を慌てて飲み込んだ。

 放課後の帰り道。なぜこの二人が一緒に歩いているかというと、水上の想いが純に届いて二人はめでたく付き合うことに……というわけもなく、彼は今日も元気に純をストーキングしていたところ、バス停までの道程で偶然を装って純に近づくことに成功し、彼女が無視したり逃げ出したりできない状況を作り出すことに成功した、だけのことである。

「だけどそれってどうなんだろうな」

「どうって何が?」

 慌てて話題を変えた水上の様子に気付いているのかいないのか、純は澄ました顔で尋ねた。

「こないだ俺もホームセンターでのこと見てたから、大体状況は想像つくけど――あれじゃあこれからの人生、やっていけねえんじゃないかな」

「あれじゃあって何よ」

 純はまた鋭い視線に切り替えたが、水上は全く気付いていない。

「んー、何というか――鈴木の、あの言いたいこと言ってる感じ?何かの自己啓発本でも読んだのかもしれないけど、実際にやっちゃダメでしょ、みたいな。ああいうのは現実でやっちゃうと、ただのイタイ奴、ていうか」

「ああいうの?」

 純は少し表情を緩めた。

「うーん、多分『自分の言いたいことを言え』『人には本音でぶつかれ』みたいなことを書いた本でも読んだのか、そういうセミナーにでも行ったのか――俺、ガキの頃結構内気な子でさ。なかなか友達とかもできなくて、親にその手の本とか読まされたことあったんだよ。で、そこに書かれてた通りに実行したら、クラスでさらに浮きまくっちゃってさあ。ああいう本に書いてあることって、結局成功者の体験談なわけ。何を言おうと何をしようと、何かに長けた奴だから許される部分があって、何かに長けてるわけだから結果的にはそりゃ成功するでしょ、みたいな?結局、そんなのは成功者の戯言だと俺は思ったわけ。鈴木も真に受けちゃったんだろうけど、大人が実行するともっとやばいよ。だって結果、こんな短期間で二回も仕事クビになってるわけだろ。今回たまたまうまくいって、女の子に感謝なんかされちゃって、ますますどツボにはまらなきゃいいな、て思うよ」

「セミナーねえ――私も先生に訊いてみたけど、本人は自分が変わった自覚が無いみたいなのよねえ……」

 純は空中を見つめながら、腑に落ちない顔で呟いた。

「俺、元々鈴木は嫌いじゃなかったし、前の方がいいなって思うよ。なんつうか――建前で、どっかで聞いたことあるような言葉ばっかりだったけど、熱い感じ?当たり障りない言葉ばかりの他の先生より、まだマシだと思ったよ」

 純は水上の言葉を聞いて、閃いた、とばかりに両手を叩いた。

「それよ。先生は建前を言わなくなった。自分の思ったとおり、事実だけを言っている。嘘を言わなくなった。人が変わったようで変わってない。理由はわかんないけど。でもそれって、良いことじゃないの?」

 純の言葉に、水上は「うーん」とまた唸った。

「そりゃあ良いっちゃあ良いけど、世の中相手への気遣いは必要だし、言わなくていいことは言わなくていいだろ?だからみんな、俺や真島も含めて、大したいざこざも無く生活できてるわけだし。嘘をつかずに生きていけたら、そりゃ自分は気持ちいいかもしれないけど、周りは大変だし、みんながみんなそうなったら世の中は成立しないんじゃねえかな」

 純は水上の言葉を真剣な顔で聞き、真剣な声で返した。

「私はそうは思わない。建前や嘘をつくから、人は駆け引きやすれ違い、思い違いをして、余計ないざこざが増えるんじゃないかな。もちろんお互いに嘘をつかなかったら揉めることはない、なんて言わないし、もしかしたらより大きな揉め事になっちゃうかもしれないけど、それでもしなくてもいい喧嘩や余計ないざこざが無くなるなら、そっちの方がよくない?」

「駆け引きがあるから戦争が抑止されてるし、建前があるから慈善事業や福祉があって、助かってる人もいるんじゃねえかな。人間なんて結局、自分のことしか考えてない奴がほとんどだし」

 純は少しの間、感心したような顔で水上を見つめた。

「――あんたって、なんも考えてないようで結構考えてるのね」

「おい、それは言わなくてもいいことだぞ。真島も鈴木に感化されて――」

「元々よ」

「だよな」

「だけど――それでも鈴木先生の生き方が正しいと思う。それで戦争になったり、誰も慈善事業をやらなくなるなら――」

 バス停に到着した純は、また鋭い視線に戻って水上を見据えた。

「そんな生き物、滅ぶべきだわ」

到着したバスに乗り込む純の背中を見つめながら、水上は立ちすくんで呟いた。

「滅ぶべきって……」

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