第22話

 翌朝、雅尚は採用された警備会社に赴いた。電話で対応した担当者に、朝八時までに履歴書持参で会社に来るよう言われていたのだ。

 お世辞にもきれいとは言えない、五階建ての古ぼけたビルの二階にある雑然とした小さな応接室に、雅尚は通された。一応自社ビルらしく、この業界ではそれなりに名の通った会社のようだった。

 業務管理課長の吉岡と名乗る、四十前後のやや太り気味の無精ひげの男に、雅尚は簡単な面接、というより説明を受けた後、さっそく配属先の現場に連れて行かれることになった。

 吉岡の簡単な面接兼説明によると、配属先はどうやら総合病院らしく、そこで朝九時から翌朝九時までの二十四時間常駐して、館内の巡回や出入り管理などの警備業務、時間外の来客や電話の対応、救急患者の受付などの付帯業務等、かなり幅広い業務に携わるとのことだった。

『警備改革株式会社』とペイントされた薄汚れた社用車の後部座席に乗せられて、雅尚はぼんやりと窓の外を眺めた。

 しばらくそうしていたが、運転席の吉岡の「着きましたよ」という声で正面を向いた。

「あ」

 雅尚は車を降りる前に、思わずといった様子で声を上げた。

 そこは国松総合病院だった。たった二か月前に自分が運び込まれた、つい昨日院内のカフェで妻の美佳と会った、そしてその美佳が出産する予定の病院でもある。

「どうかしましたか?」

 不思議そうな顔で雅尚の顔を覗き込む吉岡に、雅尚は「最近縁がある病院なんです」と答えた。

 吉岡はさして興味の無さそうな顔で「そりゃ良かった」とだけ言うと、警備員たちが詰めている一階の防災センターへと、雅尚を案内した。

 吉岡と雅尚が防災センターへと入って行くと、ちょうど九時前であったこともあり、勤務者交代の為の引継ぎを兼ねた朝礼が行われていた。

 二十畳はあろうかというスペースだが、監視カメラのモニターや『火災受信盤』と表示された壁際に設置された機器、各警備員のロッカーなどがところ狭しと並んでおり、かなり手狭に感じる。

 そんな中で大の男十人前後が円になって直立不動している様は、少しばかり相関に見えた。

 雅尚と吉岡が突然入室したことによって、朝礼は中断してしまった。皆吉岡の姿をちらっと見るなり、少しばかり緊張した面持ちになったように見える。

 吉岡が「続けてくれ」と促すと、円の中心にいたリーダーらしい男が朝礼を再開した。どうやら昨日から今朝にかけて起こった出来事や注意点を、これから業務開始の人間に伝えているらしい。

「吉岡課長、どうぞ」

 リーダーらしき男は一通り話し終えたらしく、円の中央を指し示して言った。

吉岡は軽くうなずくと、円の中央に歩み出た。

「皆さん、日々のお勤めご苦労様です。こちらは本日入社した鈴木雅尚さんです。小堤さん、鈴木さん双方異論無ければ、三日間の新任教育を受けた後、この現場に配属されることになります」

 小堤と呼ばれて「了解しました」と答えたのは、やはり先程円の中心で話していた男だ。

 何が何だかわからない表情をしている雅尚を尻目に、吉岡は「じゃああとはよろしく」とだけ言い残してさっさと行ってしまった。

「隊長の小堤だ」

 雅尚に向かってそう名乗った男もまた、吉岡ほどではないにしろ、少々ぽっちゃりした男だった。ただ、吉岡が幾分小柄なのに対して、小堤は身長が百八十センチはありそうだった。年の頃なら五十前後、まさに警備員といった風体である。

「鈴木雅尚です。よろしくお願い致します」

 雅尚も挨拶を返すと、小堤は人懐っこい笑顔になって言った。

「まあ、そうかたくならずに、のんびりやりましょうや。こういった仕事は初めて?」

 小堤の飾らない口調に、雅尚の表情も幾分和らいだ。

「そうですね。あの、先程新任教育がどうとか仰っていましたけど?」

「何だ。吉岡さん、そんなことも説明してないのか」

「何しろ昨日本社に応募の電話をして、今日出勤ですから」

 雅尚の説明に、小堤は苦々しげな表情で言った。

「そりゃあ、いくらなんでもひどいな。いや、申し訳ない。この業界は慢性的に人手不足なんだけど、理由の一つは離職率が高いことなんだよ。そうだなあ、感覚としては二、三人に一人は一か月もせずに辞めちまうかな。だから会社としては、モノになるかどうか会社が判断する前に、まず本人に続けられそうか判断して欲しい、ていうとこだろうな」

「離職率が高い……。どうしてですか?」

「そうさねえ……。まず舐めてかかってくる人間が多いことが挙げられるかなあ。楽で簡単な、誰でも出来る仕事だとね。確かにそういう現場も多いんだが、そういうところは大体年寄りか、極端に能力が低い人間が配属される。うちみたいに結構多岐にわたる業務を受け持っている現場に配属されると、舐めていた人間はついてこれなくて、大体潰れる。それに、そもそも憧れて入ってくるような業界じゃないからね。最初から一時的な収入源、次の仕事までの腰掛け程度にしか考えていない人間も少なくないんだよ」

「会社としては続けるかどうかわからない人間をいちいちまともに相手できない、と」

「まあはっきり言うとそうだ。悪く思わないでくれ、それが現状ということだ。まあ、君のやるべきことは変わらない。説明を始めよう」

 小堤は真顔に戻って手をパン、と叩いた。

「まず警備員というのは、新任教育と呼ばれる研修をあらかじめ受けなくてはならない、という規則がある。それに三日間かかるから、君がここに努めるのは早くとも四日後となる。その三日間も給料は発生するわけだから、現場に勤務してから合わないと言って辞められても正直困る。だから最初に現場を見てもらったんだろう」

「なるほど」

 雅尚は頷いた。

 その後、通常の業務をこなしながらも、小堤の説明は昼食を挿んでたっぷり夕方まで続いた。

 一通りの業務を話し終えた小堤は「どうかな」と、雅尚の顔を窺った。

「問題ありません。お世話になりたいと思います」

「そうか。じゃあさっそく本社に連絡しよう。待っててくれ」

 小堤は人員不足が解消されるからか、嬉しそうな顔でスマホを取り出した。

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