第17話

 雅尚が退職を決めた翌日、一時限目の授業を終えた純は、自分の机に肘をついて窓の外をぼんやりと眺めていた。

「純、次移動教室だよ」「行かないの?」クラスメイトが次々と、純に声をかけて教室を出て行く。

「うん」聞こえるか聞こえないかの声で純が返事をするが、声をかけた当人はとっくにいない。

 毎日繰り返される光景だ。誰も純の返事を待ちはしないし、無理に連れて行こうともしない。しかし声だけはかけていく。純はそれがありがたくもあり、煩わしくもあった。

「真島」

 頭上からの声に顔を上げると、金髪の男子生徒が、純を見下ろすように立っていた。

(この子は確か、クラスメイトの――名前は何だっけ?チャラそうな奴だな。何の用だろう。まあ、いっか――)

 純は一瞬のうちにそれだけ考えると、顔をくるりと反転させ、また窓の外を眺め始めた。

 完全にシカトされたにもかかわらず、金髪の男の子は少し緊張気味な様子で、もう一度純に話しかけた。

「真島、ラインのID教えてくれないか?」

 たっぷりと五秒は経過してから、純は冷めた視線を金髪に向けた。

「何で?」

「何でって……。そりゃあ――」

「私、ラインやってないの」

 また窓の外に目を向けた純に、追いすがるように金髪は続けた。

「じゃあメールで、メアド教えて――」 

「携帯持ってないの」

「え?だって前にスマホ持ってるの、見たけど――」

 狼狽する金髪をよそに、純は自分の視界に校門をくぐる雅尚の姿を捉えると、おもむろに立ち上がり教室を飛び出した。

 一人残された金髪は、突然飛び出して行った純にしばらく唖然とした後、百八十センチはあろう巨体に似つかわしくない、小さな声で呟いた。

「ちくしょう」

  

         *


「真島、どうした」「もう授業始まるぞ」「あら、どこ行くの」

 純は、次々とすれ違う二時限目に向かう教師達を華麗にスルーすると、職員室へとたどり着いた。その瞬間、二時限目を知らせるチャイムが校内に鳴り響いた。

 純にも、雅尚が何の為にやって来たか、ある程度予想がついた。

 純が職員室の前を三十分ほどうろうろしていると、ボストンバックを肩に担いだ雅尚が、扉を開けて出てきた。

「あれ、真島さん。授業はどうしたの?」

 いつもの薄手のカーディガンにスラックスといった軽装の雅尚が笑顔で話しかけたが、純はそれには答えず無表情で言った。

「辞めるんですか」

 怒りにも近い感情が込められた純の声にも、雅尚は笑顔を全く崩さない。

「聞いての通りだよ」

「今日は立ち聞きしてません」

「珍しいね」

「辞めるんですね」

「そうだね」

「こんなことで」

「またそれか」

 楽しそうな雅尚を見て、純は少し訝しげな表情になったが、すぐに無表情に戻った。

「私は鈴木先生が正しいと思います」

「ありがとう」

「正しい方が辞めなくちゃいけないんですか」

「続けたらみんなが迷惑するみたいだから」

「それが大人の世界ですか」

「そうだね」

「間違いや勘違いを認めない分、子供より性質が悪いわ」

「君は今のままでいてくれ」

 そう言って笑った雅尚を見て、純はわずかに目を細めた。

「これからどうするんですか」

「何をしたって生きていけるさ。真島さんももう授業に戻りなよ」

 晴れやかな笑顔で歩き出した雅尚の後姿を見ながら、純はまた無表情で「ちゃんと挨拶できなかったな」などと考えていた。

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