第16話

 翌朝雅尚が目を覚ますと、美佳と唯の姿は既に無かった。どうやら雅尚が眠っている間に出て行った様子だった。

「せめて起こしていってくれりゃいいのに」

 雅尚がそう呟きながら時計を見ると、もう昼近くになっていた。

「平日にのんびりと朝食をとるのもいいもんだな」

 熱したフライパンに卵を割りながら、雅尚は満足げに微笑む。

 十分ほどで朝食を終え、普段は見ることのないワイドショー番組を雅尚が興味深そうに眺めていると、その電話は鳴った。

「いいところだったのに」

 不倫が発覚した女優の記者会見が始まったのを横目に見ながら、雅尚は口惜しそうに電話をとった。

「はい、鈴木です」

「国清です」

 校長である国清の、抑揚のない声が聞こえた。

「おはようございます」

「うん、昨日の件なんだが」

「はい」

 一拍おいてから国清は続けた。

「今しがた教育委員会の方から、事実確認をしたいのでこれから本校に伺う、との連絡があった」

「そうですか」

 国清は少しの沈黙の後、続けた。

「教育委員会の人間の前でも、同じ持論を展開するつもりかね?謝罪はしない考えに変わりないのか?」

「謝罪をする理由がありませんから」

「そうか」

 国清は再び間を置くと、ことさら穏やかな調子で語り始めた。

「あれから教頭とも話し合ったんだが、君に謝罪の気持ちが無いのなら、教育委員会の方と会ってもらっても意味は無いだろう」

「なぜですか。事実確認がしたいのでしょう?」

「すべて事実なのだから、事実確認だけで済むわけがない。こういっては何だが君に反省の気持ちが無いのなら、我々としてはあちらと直接話をさせないほうが得策だろうと考えている」

「はあ――それでは僕はどうしたら」

 国清はまた暫しの沈黙の後、これまでとはうって変わってはっきりとした口調で言った。

「あちらには君の考え方も正直に伝えたうえで、学校側で君に指導・教育を実施し、反省を促していることを、私から説明する」

「と、いいますと」

「君が考え方を改めるまで、教壇に立つことは許可できない。もちろん今回の経緯から言って、他校への転任も難しいだろう。君が出勤することを禁止することはできないが、来ても仕事は無い。私としては休職を進める」

 今度は雅尚が少しの沈黙の後、爽やかな調子で言った。

「分かりました。ご迷惑をかけているようなので、僕は退職しましょう」

 二人共しばらく黙り込んだ後、国清がまた静かに口を開いた。

「本当にそれでいいのか?こんなことで今までの、そしてこれからのキャリアを棒に振るのか?」

 国清の言葉に、雅尚は心底楽しそうに笑った。

「みんなそう言うんですよね。こんなこと、こんなことって。だけど僕が一番そう言いたいんですよ。いや、もっと言えばつまらないことだと」

「そう思うなら――」

「こんなつまらないことにこれから先何十年と、皆さんは僕に、とても付き合っていただけないでしょう。だけど彼、貝切君にとってはつまらないでは済まないし、僕が辞めたところで解決ではないでしょうね。僕はこの問題から降りますが、しっかり大人達で解決してやってください」

「君――」

「ではまた明日にでも、退職届の提出と荷物の片付けに参ります」

 国清の言葉を遮って、雅尚は受話器を置いた。

 涙ながらに記者の質問に答えるテレビ画面の中の女優を見つめながら、雅尚はまるで夏休みの自由研究を終えた子供のように微笑んだ。

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