第2話

 その日の早朝、雅尚は胸が押し潰されそうな程の息苦しさを感じて目を覚ました。

「ううん――」と唸りながら寝返りをうとうとしたが、体が鉛のように重くいうことを聞かない。

(肺が潰れたのか、はたまた脳をやられたか――これは重病かもしれないぞ)

そう考えた雅尚が、妻を呼ぼうとしたその時だった。

「きゃはははは!」

 耳をつんざくような笑い声に、雅尚は頭だけを起こし、顔をしかめた。

「唯、そこで何してる?」

 雅尚の目線の先には、まるでメリーゴーランドの馬に跨っているかのように自分の胸の上ではしゃぐ、一人娘の唯の姿があった。

 唯は、苦悶の表情を浮かべる父親の問いかけには答えず、メリーゴーランドを蹴飛ばしながら飛び降りた。

「げふ」と呻き声をあげる雅尚には興味を示さず、彼女は先程よりさらにボリュームを増した大声で「パパ起こしたよー!」と叫んだかと思うと、寝室を飛び出して行ってしまった。

「やれやれ――」

 雅尚は胸から首にかけて擦りながら、一人で眠るには大きすぎるダブルベッドから這い出た。

 購入したばかりのベッドだが、まだ夫婦二人で使用したことはない。というのも、先月の引っ越しの際妻の美佳と話し合い、どうせ必要になるのだからと幼い一人娘に部屋をあてがったのだが、如何せん5歳の唯はまだ一人で寝ることができず、美佳が毎晩添い寝しており、夫婦で夜を過ごす機会が無いのである。

 郊外に近いとはいえ、都内で3LDK、築五年のマンションの家賃は、高校の教員である雅尚の給与では楽ではない。

 転勤がある仕事故何年住むことになるかは分からなかったが、少なくとも娘が小学生になるまでは住むことになるだろうと、少し無理をして子供部屋を用意できる物件を選んだのだった。

 美佳も仕事を探す予定ではいるが、少なくとも唯が一人で留守番できるようになってからの話だ、と雅尚は考えていた。

  雅尚は寝室を後にすると、胸をさすりながら短い廊下を進んだ。すぐにダイニングキッチンと隣り合ったリビングへと到着する。

「あら、おはよう。唯の目覚ましは一発ね」

 そこには、足元でじゃれ付く小さな怪獣を、笑顔であやしながら朝食の準備に追われている、三つ年下の美しい妻がいた。

  雅尚はその光景に目を細めながら、テーブルに用意されていた濃いめのブラックコーヒーを、顔をしかめて一口すすると「今俺は世界中で一番幸せなのではないだろうか」と、微笑んだ。

 

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