△▼あるつまらない男の半生 △▼

異端者

『あるつまらない男の半生』本文

「つまんない男」

 それが、高校二年になって初めてできた彼女の言葉だった。

「アンタ、勉強はできるし顔も良いけど中身は空っぽだよね」

 そうも言われた。

 その彼女とは、程無く別れた。

 確かに、自分には勉強以外には何もなかった。クラスメートが遊びや「推し」に使う時間も全て勉強につぎ込んだ。おかげで学年でも成績は上位だった。

 でも、ただそれだけで、したいことも目標も何もなかった。


 大学は、親の薦める通りの理系の有名大学に進んだ。ただひたすらに勉学に励んだ。

 彼女も二人と付き合ったが、二人とも付き合ってすぐに別れた。

「なんていうか、知識だけ? 人と話してる気がしないって言うか……」

「もっとこう、夢中になれるものとか無いの? つまんない」

 彼女たちはそう言って去っていった。

 勉強は学生の本分だ。それで何が悪い――そう思ったが、言い返せなかった。

 空っぽ――そう、空っぽだ。ただ機械のように決められたことを学習し、成果を出す。それだけが自分の存在意義。


 そうこうしているうちに、大学も無事卒業し、大企業の地元支社に就職した。

 会社内での自分の評判は概ね良かった。当たり前だ。同僚が無駄話をしている間も働き続け、余計なことは一切しないのだから、これで同期と比べて成績が落ちる方が無理な話だ。

 社内でも一人の彼女と付き合ったが、それも長続きしなかった。

「一緒に居ても、面白くない」

 それが言い渡された結論だった。


 自分は真面目に、真剣に生きてきたつもりだった。

 それのどこが悪い。堅実に生きることに問題があるのか。むしろ趣味や好みがそれより重要だと思っている人の方がおかしいのではないかと悩んだ。


 そうして、仕事をして帰って寝るだけを繰り返して20年程が経った。

 それなりに出世はして役職も就いた。使う当てのない数字が通帳にはどんどん記載されていった。

 もう若くないし、社内ではすっかり仕事にしか興味のない人間だと思われているから声を掛けてくる女性も居ない。

 むしろ自分にとっては、それがありがたかった。自分はただ、必死にしているだけなのに、下手に付き合ってまた「空っぽ」のレッテルを貼られたくなかった。

 ……今の自分には、仕事以外に何もない。それのどこが悪い?

 そんな時、会社が危ないとの噂が立った。

 噂は所詮噂だろうと思っていたが、事実だった。

 それは自分が一人頑張ったところで、到底覆せるものではなかった。

 職を失って、自分には本当に何もなくなった。


 それから1ヶ月後、次の就職先を探しながら街をぶらぶらと歩いていた。

 実を言うと、失業保険はあるし、貯蓄も有り余る程あったので、急いで次の仕事を探す必要は全くなかった。

 それなのに、焦っている自分が居た。仕事以外に何もなかったのに、その仕事をしていなかったら、本当に「空っぽ」になってしまう――そんな気がしていた。

 この日も、とある会社の面接に出向いた帰りだった。


 ぽつり。


 雨粒が額に落ちてきた。

 そういえば傘を持ってきていなかった。午後からは雨という天気予報をすっかり忘れていた。

 雨は激しさを増した。

 とりあえず近くにあった喫茶店へと飛び込んだ。

 席に着くとホットコーヒーを注文する。

 今まで一度も入ったことはなかったが、内装はシックな色調で統一されていて悪くない。それに――

「今掛かっている曲はなんですか?」

 自分はコーヒーを運んできた店員に聞いた。


 この曲のCDを買いたい。

 初めて「推し」ができた瞬間だった。

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