第六章 引退

吉岡は足を引きずるようにして、ベンチに向かった。


監督の新庄と目を合わせると、ヘルメットをとり、一礼した。


そのまま、ベンチの奥に向かおうとする男に、高い声が告げた。


「マスクをつけろ・・・。」


「えっ・・・?」


聞き取れぬほどの小さな声で振り返った。


「何度も言わすなよっ・・・。」


いたずら小僧の目が、笑っている。


「次の最終回。守備・・・キャッチャーをやるんだ・・・。」


「か、監督・・・・。」


吉岡は不覚にも、涙が出そうになった。


当然、さっきの打席で終わり、引退だと、そう、思っていた。


あの大谷から、ファールとはいえ、4度もホームラン性の当たりをしたのだ。


これ以上の思い出は無い。


なのに。


キャッチャーを、やれるのだ。


ブルペン専用ではない。


本当の試合で。


「わかりましたっ・・・。」


精一杯の大声を出すと、ベンチ裏においてある自分のバッグに走った。


ミットやマスク、プロテクターを取り出すと、もどかしそうに身に着けるのだった。


もう、一イニング、試合がやれる。


キャッチャーとして、続けられるのだ。


吉岡の大きな肩が、歓びで震えていた。






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る