第五章 最後の一球
大谷はピッチャーマウンドから、バッターを見下ろしていた。
右手はボールの縫い目を確かめるように、回転を繰り返している。
(吉岡さん・・・)
武骨で一途な野球バカは、一度も一軍になることなく、引退する。
新庄から連絡を受けた大谷は、ある頼み事をした。
「よしっ、分かった・・・」
新庄は明るく即答した。
「その代わり・・・費用は、お前持ちだからな・・・」
「今度、大型契約するんだろぉ・・・?」
いたずら小僧のような表情は大谷には見えていないが、クスっと笑った。
「ええ・・・200億円、くらいかな・・・?」
「はっはっはー・・・。」
「ウチのチーム、買えんじゃ、ね・・・?」
商談は成立した。
大谷は、この試合を買ったのだ。
スタジアムの使用料も。
二軍選手のギャラも。
審判、ウグイス嬢などの経費全てを。
だが、その大金も大谷の日給にも届かない。
大金持ちなのだ。
それで。
吉岡の引退試合ができる。
そのことが、何よりも重要なことだったのだ。
再びバッターボックスに戻った吉岡は、違う人間に思えた。
さっきまでの固さがとれている気がする。
この勝負に遊び球はない。
大谷は振りかぶると、今日一番の球を投げた。
あとで見たら、152キロだった。
「フンッ・・・」
一閃したバットから快音が鳴った。
【オオォッー・・・】
どよめきと共に、ボールはレフトスタンド脇のポールに向かって飛んでいく。
「ファール・・・・。」
【ホォー・・・・。】
観客は安堵のようなタメ息を合唱した。
スーパースターが、二軍に打たれるはずはないからだ。
しかし、再び鋭い打球がレフトに飛ぶと、悲鳴があがった。
「ファール・・・」
【ホォー・・・】
同じシーンが再現フィルムのように繰り返される。
4度目の後、観客は不思議そうにバッターを見てる。
必死でスマホで検索するサンダル学生にも、プロフィールが見つからない。
「いったい・・・誰、なんだ・・・?」
いくらウォーミングアップ不足とはいえ、大谷翔平の剛速球を4度もホームラン級の当たりで返している。
「吉岡って・・・誰?」
この日、バズッた「SNS2位」のコメントだった。
「ストライークッ・・・」
5度目は、無かった。
フルスイングした吉岡のヘルメットがずれ、倒れ込んだ体に、遅れて落ちた。
スコアボードに「158キロ」と表示されていた。
大谷翔平は7球全て、フォーシーム、ストレートを投げた。
「終わった・・・」
吉岡の目に、青空が広がっている。
満足そうに微笑み、眺めている。
美しいと、思った。
夜空のカクテル光線は見れなかったが、こんな美しい青色を見れて、しあわせだった。
そう。
幸せな10年だったと、吉岡は思った。
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