第四章 時速138キロ
甘いマスクから贈られる爽やかな視線に、吉岡は4年前と同じセリフを心の中でつぶやいた。
(俺は・・・・嫌い、なんだよ。
イケメンは・・・)
大谷がアメリカに旅立つ日。
宿舎に尋ねた時に言ったセリフだ。
将来のスーパースターは、努力も怠らなかった。
少しでもスランプに陥ると、吉岡の部屋を訪ね、
キャッチャーをせがんだのだ。
大きなシルエット、どっしりした構えに自然と力が抜ける。
コントロールを取り戻した剛速球が、小気味いい音を立てる。
長年のキャッチングで、吉岡の手や指は何度も腫れ上がり、変形していた。
それでも、痛みを通り越す時速160キロの速球はしびれと共に快感をくれた。
そんな愛する後輩が旅立つ日。
吉岡は気の利いた言葉も、思い浮かぶことができなかった。
だから。
憎まれ口のような、捨て台詞を吐いたのだ。
「ハハハ・・・」
それでも、生まれつきのナイスガイは悪びれずもせず、笑顔の残像を残して去っていった。
そして、今。
ロッテのユニフォームを着て、ウォーミングアップのキャッチボールを続けている。
「ど、どうして・・・
どうして、今、日本にっ?」
球場にいる観客全員が呟きながら、スマホをいじっている。
情報を得るためと、SNSに必死にアップしている。
「いいね!」の自己新記録は間違いない。
ひたすら配信されるニュースは、あっという間に日本中を駆け巡っていった。
ひっそりと、ユーチューブのネット中継をしている山本も信じられない表情でアカウントを数えている。
「ま、まじぃ・・・?」
「ひ、百万・・・・超えてる・・・」
それも、そのはずだ。
ネット中継しているのは、山本の番組だけなのだから。
今日、特別に新庄から連絡があったのだ。
「いつも地味に中継してくれて、ありがとな。
今日はプレゼントだ。
マリンスタジアムの二軍の試合、
中継してみなよ、俺も出るしな・・・」
短いメールに半信半疑で球場にきたのだが、まさか、大谷翔平が投げるなんて。
山本は必死にキーボードを叩いて、コメントをつづっている。
『大谷翔平・・・・ゆっくりと、
ウォーミングアップをしています』
【プレイボール・・・】
審判が大きな声で開始を告げる。
スーパースターを目の前にする興奮が、全身を駆け巡っていた。
大谷はゆっくり振りかぶると、美しいフォームでボールを投げた。
一直線にミットに向かったボールは乾いた音をたてた。
「ス、ストライクッ・・・」
【オ、オー・・・・。】
タメ息のような歓声が沸き上がる。
『第一球はフォーシームのストレート。
球速は138キロ・・・』
打ち込みながら、160キロの剛速球を期待していた山本は、少し、がっかりしたが、すぐに気をとりなおして、入力を続けた。
『大谷はブルペンでも投げていず、
今のがまだ、10球目。
肩があたたまるまでは、このくらいでしょう。
でも、目の前でスーパースターの球を
見られる幸せに浸っています』
続く球もフォーシーム。
142キロ。
幾分、早くなったとはいえ、大谷の球速ではない。
それでも、吉岡にはとてつもなく速く感じていた。
無理もない。
何年ぶりかの試合なのだ。
毎日の素振りは欠かしたことは無い。
だが、実戦とは違う。
「タイム・・・。」
吉岡はボックスを外すと、何度か素振りを繰り返した。
(これで・・・これで、最後の打席なんだ・・・。)
そして、自分に言い聞かせるように呟くのだった。
「絶対・・・・ぜったいに、打つ。翔平・・・・見てろっ・・・。」
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