第二章 ブルペンキャッチャー

「ブルペン専用・・・ですか?」

吉岡は、声を押し殺すように聞いた。


「ああ・・・」

わざと無表情に監督が答える。


「お前はドラフト外で入団した割には、いや、それだからこそ、死ぬほど頑張ったと思う」


冷たい視線とは反対に、温もりのある声だった。


「しかし・・・」


監督は続ける。

まるで、自分に言い聞かせるかの如く。


「お前では、一軍は無理だ」


きっぱりした口調に、吉岡は全てを悟った。

5年のあいだ、一日も休まず、野球をした。


雨の日も、風の日も。

嵐の日でさえ、宿舎の外階段を何十回も往復したのだ。


だが、努力で報われるほどプロは甘くない。


いつしか、後輩達に追い抜かれ続け、二軍宿舎の主になっていた。


遅い入団のせいもあった。

今年で、もう、二十八歳になる。


よく、持った方だ。

それもひとえに、黙々と努力する姿が後輩達の手本となると、監督が思っていたからだ。


だが、それも限界だった。

一度も一軍に上がれない男を雇っておくほど、球団に余裕はないのだ。


そんな時。

未来のスーパースターが、入団した。


大谷翔平。

その当時でさえ、知らない日本人はいない。


今は。

世界中の人々が、この甘いマスクのナイスガイを愛している。


3年前。

二軍宿舎で挨拶してきた日のことを、今でも覚えている。


「吉岡先輩、初めまして、大谷翔平です」


礼儀正しい態度は、その声と共に爽やかに宿舎に響き渡った。


「ああ・・・」


ぶっきらぼうに答える男に、嫌な顔ひとつせず、明るく声を出す。


「よろしく、お願いします」


深々と頭を下げると、元気よくグラウンドに飛び出していった。


そんな大谷を、吉岡の視線は眩しそうに追うしかなかった。


あれから、4年。

スーパースターは本当に頂点まで、駆け上っていったのだ。


二刀流。

打者と投手でリーグトップクラスの成績を残して。


来年にはメジャーリーグに行くことが決まっている。


シーズンも終盤戦に入っていた。

リーグ優勝目前で、大谷はプチスランプにあった。


コントロールが、イマイチなので。

微妙な差なのだが、プロではこれが命取りになる。


「そこで、だ・・・。」

監督が本題に入った。


「とりあえず、プレーオフに備え、大谷を短期合宿で調整させる。」


「お前を指名だ・・・」


「えっ・・・?」


吉岡の驚いた表情は読み筋とばかり、監督が畳みかけるように続ける。


「お前は、投げやすいんだよ。まぁ、それが・・・それだけが、お前の唯一の取り柄だ」


テーブルについた左手の指で、コツコツたたいている。


吉岡に、言い聞かせるかの如く。


「入団当初、同じようにプチスランプにおちかけた時、お前相手に投げてリズムを取り戻したんだとよ・・・・。丁度あのころ、二刀流を捨てるか悩んでいた時でもあったしな。」


「だから・・・さ」

吉岡の気持ちを、抱き込まなくてはいけない。


「ブルペン専用のキャッチャーになるんだよ。そうすりゃ、俺が球団に掛け合ってやる」


「お前は、プロで生き残れるんだ。

 ただし・・・」


吉岡の喉が、ゴクリとなった。


「試合は、あきらめるんだ・・・」


天井の染みを吉岡は見つめていた。


いつか、雑誌で読んだことがある。

なるほど、気になるものだ。


「わかりました、監督・・・」

明るい表情で、声を出した。


「俺・・・」

自分に、言い聞かせるように。


「ブルペン専用のキャッチャーに、なります」

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