02 Aiko

 ユーウツ。

 生理が来ない。

 三人いるパパたちには絶対にナマでヤラせないから、考えられる相手はふたりだけ。

 シンイチロウか、タクヤ。

 失敗した。マジで。

 シンイチロウには、ナマでヤラせるべきじゃなかった。少なくとも中出しだけは、絶対に拒否するべきだった。だってこんなことで妊娠とか、何て言うの? 本末転倒? とにかく、意味ないじゃん。シンイチロウにヤラせたのは、タクヤに振り向いて欲しかっただけだったのに。

 でも、ホントはさ、わかってんだ。

 そんなことしたって、タクヤは嫉妬なんてしない。

 アタシがどんなにあがいたって、小細工したって、なにしたって、タクヤがアタシを見るなんてこと、ない。

 タクヤが誰か一人を見続けることなんて、絶対ないんだ。

 そう。タクヤは、そういうヤツ。

 でも、それでも、アタシはいつも悪あがきする。空回るのがわかってても、あの手この手の小細工を繰り出す。だって、アタシのこの好きって気持ちをフルシカトして、何にもしないなんて、きっと、もっと、辛いことになる。そうだよね? モエ。

 ふと、生ぬるい風が吹く。

 アタシの髪を、ふわりと揺らす。

 揺らしてインナーメッシュの赤を、ちらりと視界のはしっこに走らせる。

 広場の隅っこにしゃがみこんで、ユーウツなことばかり、ぐるぐるぐるぐる考えてるアタシの、下がりきった顎をぐいっと持ち上げさせる。

 嫌な風。

 生ぬるくて、湿っぽくて、身体にまとわり付く感じが、めっちゃウザい。いつも、アタシがアタシの辛気くさい妄想に浸っている時に、目を覚ませと、お前それでいいの? マジで? と、鬱陶しくお伺いを立ててくる感じが、ホント、ウザい。

 上げた視線の先の、いつもの広場。

 もう陽は暮れて、歌舞伎町の無秩序なネオンがちかちかして目が痛い。

 しゃがんだまま、辺りを見渡す。

 今日は仲間たちが、ざっと見て、20人くらい。アタシが仲間認定していない、アタシたちと同類っぽいのが、10人くらい。

 あとはマーキュリーのメンバーが、ぽつぽつと。

 まあ、こんな感じか。正常運転。

 マーキュリーが仕切ってるこの広場には、当たり前だけど、マーキュリーに『害人認定』されたタクヤの姿はない。最近、マーキュリーに目を付けられだしたシンイチロウも、見当たらない。

 そして、モエも。

 まあ、そうだよね。

 モエはこの場所が嫌い。てか、マーキュリーが、嫌い。

 だからここには寄り付かない。今は誰もいなくなった、あの映画館脇の路地に、きっと今夜も、ひとりでいる。

 思い出す。

 誰に止められるでもなく、みんなでバカ騒ぎしてた去年の夏。

 狂ったみたいにテンション高くて、暴走気味に悪ノリして、思いきり叫ぶくらいの勢いで、みんな笑ってた。それまで、どこかの誰かが押しつけてきたリミッターが解除されたみたいに、アタシたちは自由だった。

 でもそんなガヤガヤの中で、モエだけは、いつも冷めてた。

 最初は空気読めよ、コイツ、とか思ってたけど、違うんだ。そういうんじゃない、モエは。


 一年近く前、アタシが初めてタクヤに抱かれた次の日の夜、タクヤは別の女と、歌舞伎町の奥の方へ消えていった。

 『アイツ、また女と消えたよ、きゃはは』

 『昨日はあんたが消えたじゃんか、アイコ』

 『うっせえわ、きゃはは』

 何だかワケのワカラナイ胸の痛さが、イヤでイヤでイヤで、そこから目をそらしていたくて、いつもの仲間とそんな風にはしゃぎまくって、無理やりでっかい笑い声を上げて、疲れて地面に座り込んだ時、すっとモエが、そのすぐ横にしゃがみこんできた。

 『なに?』

 少し棘のある声をアタシがぶつけると、モエは急にアタシの手を握った。

 『なんなの? それ』

 もっと棘っぽい言葉をぶつける態度とは裏腹に、アタシは、モエの手を振り払うことができなかった。ちっちゃいくせに、柔らかくて、暖かくて、少し汗ばんでて、優しくアタシの手を包んでくれるその手を、アタシは、離せなかった。

 『わたしたちはさ、たぶん、自分に嘘をつくのだけは、やっちゃだめなんだ。ここに辿り着いたヤツらはさ、いろんな連中に見捨てられて、裏切られて、傷つけられてきたワケじゃん? 自分まで自分の気持ちを裏切ったら、世界に味方なんて、誰もいなくなっちゃうよ。そんなの辛いじゃん』

 言ってモエは、笑った。

 その笑顔の眩しさに目が眩んで、アタシは泣いた。

 思いきり泣いた。赤ん坊みたいに。

 アタシだけのものにできないタクヤ。

 その現実を前に、悔しさと寂しさと悲しさと怒りがごっちゃになって、胸の中に溢れて、アタシは、みっともないくらい派手に、泣いた。

 その時、気づいたんだ。モエはこの界隈で静かに佇みながら、その時のアタシみたいに、ここよりもっと下の暗がりへ転げ落ちそうになるヤツがいないか、注意深く見守って、そんなやつらに、手を差し伸べてくれる存在だったんだって。

 だからアタシも、その時誓った。

 アタシはもう、自分でアタシの気持ちを裏切らない。

 誤魔化さない。

 揉み消さない。

 

 「アイコ、どうしたよ? 元気なさげじゃん」

 頭の上から声がして、見上げた。

 マーキュリーのエルメス、とか、呼ばれてるヒト。マーキュリーのボス、みたいなヒト。正直ちょっと、ウザいとこもあるヒト。

 例えば露骨にタクヤやシンイチロウを指して、ああいうオトコには近寄るな、とか、アタシたちがよく寝床にしてるネカフェ、カスタマには泊まるな、とか、パパは囲うな、とか、なんとか。

 アタシたちのためを思って言ってくれてるんだって、それは、まあ、わかるんだ。ボランティとかなんとか言って、見返りもなくアタシたちみたいなガキを助けてくれてることも、それなりに、感謝はしてる。けど、どこか、窮屈。

 「別に、ちょっと体調ダルいだけだし」

 今日はエルメスの相手をする気分になれなくて、適当に返す。

 「そっか」

 言って、エルメスはアタシの横にしゃがみながら、タバコに火をつける。左手には携帯灰皿。広場を汚すようなことだけは、この人たちは、マーキュリーはしない。そういうとこは、正直、他の大人とは違うなって、思う。少なくとも、今はどこにいるとも知れない、アタシの本当の親と比べたら、圧倒的に、良い方に。

 「オレさ、こう見えて鈍感なほうじゃないから、何となく今日のアイコはいつもと違うって思ってさ。気のせいなら、いいんだけど」

 どきりとする。この人は前から、こういう鋭いところがある。

 「そんなに違うかな?」

 「どーだろ。なんとなく、勘で」

 「勘かよ」

 「勘だな。まあ、どーにもならないようだったら、相談してよ」

 「うん、どーにもならなくなりそうだったら、相談する」

 「してして」

 笑いながら言って、エルメスは立ち上がった。

 その背中を見ながら、思う。

 モエにするみたいに、無条件には甘えられない。けど、確かに、頼れるな、とは思う。余裕があるというかなんというか、それが大人、ってことなのかな?

 「そうだ」ふいにエルメスが立ち止まって、アタシを振り替える。「シンイチロウ、最近見た?」

 聞かれて、そういえば見てないな、と思う。どれくらいだろう。一週間くらい?

 「んーん。最近見てないかな」

 「このところさ、アイツに辛くあたっちゃってたから、見かけたら声かけるように言ってよ。何か色々、誤解もありそうだし」

 そう言ってエルメスは、柔らかく笑った。

 何だかんだこの人は、ちゃんとアタシたちを見ててくれるし、気づいてくれる。そんな大人、今まではいなかった。だからちょっと、救われた気分になる。

 「うん、わかった」

 そう返すと、エルメスは笑みを深くした。

 優しい笑み。

 けど、なんでだろう。

 去年の夏にアタシを救ったあのモエの笑みとは、根本的に何かが違うように、アタシには見えた。

 そんな風に思ってたら、急に、とてつもなく、モエとダベりたくなった。

 アタシは立ち上がると、あの路地に向かって駆け出した。

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