推し活の相手は暗殺スキルを持つ地下アイドルでした!

兵藤晴佳

推し活の相手は暗殺スキルを持つ地下アイドルでした!

「ねえ、何見てるの? 返見へんみ君」

 白いマスクで顔を覆ってはいても、笑うりんの細められた目を見るだけで僕は充分だった。

 新型コロナウィルスの蔓延が原因で誰もがマスクをする御時世だから、大手コーヒーチェーン店の一角で僕と彼女が顔を隠しているのを、誰も不審には思わない。

 隠さなければいけないのだった。顔も、僕たちの交際も。

 だって、彼女はアイドル・関江凛せきえ りんなのだから。

 ……といっても、まだテレビなんかには出ていない、いわゆる地下アイドルだ。

 地方から東京の大学に進学してきてすぐ、この店でバイトしていた僕がハマったのは、いわゆる「推し活」だった。

 凛の歌唱力だけじゃなく、華奢な身体つきからは信じられないほどのアクロバティックなパフォーマンスに、僕はすぐ夢中になったのだ。

 ライブハウスに通っては出待ちを繰り返して写真を撮りまくり、その日のうちに推し活用に立ち上げたブログ「It`s Sayイッセイ」……僕の名前一生いっせいを取ったんだけど……にアップする。

 地道な活動が実を結んで、ライブには客も増え、凛への注目度も上がっていった。僕は出待ちの度に名乗っていたから、凛もスタッフたちもブログ主だと気付いてくれたらしい。僕はとうとう楽屋に招かれて、凛から直にお礼まで言われてしまったのだ。

 それがきっかけで、いつの間にかこんな風になるとは夢にも思わなかったのだが……。

 いつか、全てがなかったことになってしまうのではないかと思うと、怖いくらいだ。

 今晩行われるライブの準備中に、お茶でも飲もうと凛を連れて抜け出してきたのだが、ちっともくつろげない。

「返見君のおかげだよ、大物プロデューサーの槍貝辰於やりがい たつおの目に止まるなんて」

 凛が上機嫌なのは、多くのアイドルを世に出してきた大物プロデューサーが、僕のブログを見てライブに足を運び、凛に目をつけた……じゃない、素質を見出したからだ。

 だが、この槍貝とかいうオッサン、たしかに敏腕だが、とにかくデビューを餌に、アイドル志望の女の子に手を出している黒い噂が絶えないのだ。

「気をつけなくちゃね……」

 心配になってくるのはそれだけじゃない。ストーカーやアンチのいやがらせだってあり得る。

 でも、いちばん気が気じゃないのは、凛がメジャーデビューしたら僕の目の前から消えてしまうんじゃないかということだった。

 実際、僕は事務所までは連れて行ってもらったことがない。

僕がそれっきり黙り込んでいると、凛も急に真面目な顔をした。

「で、相談したいことができたんだけど」

 ジャンパーのポケットの中で、スマホが振動する。僕は凛の話を聞きながら、手探りでそれを止めた。

 凛は気づいていない。マスクの向こうに、微笑む唇が感じられる。

もし、その唇に、僕のを重ねるときが来たら。

でも、それが妄想に終わるだろうということは、ある程度、覚悟はしていた。


 喋るだけ喋った凛は夜の待ち合わせの場所を告げて、ひとりで店を出ていった。

 残された僕は、目を凝らして辺りを見渡した。

「やあ、一生君」

 店の入り口の辺りを見張っていたら、背中をポンと叩かれた。

 首をひねって振り向いてみると、すらりとした身体つきの少年が立っている。黒のウレタンマスクの端から白い不織布のマスクが覗いている。目つきは柔らかいが、その奥の眼にはどこかしら冷たさが感じられた。

「何だよ、急に呼び出したりして」

 上京した僕をこの道に引っ張り込んだのは、もともとこの店のバイト仲間だったコイツだ。

 だが、初めのうちは優しく見えたその眼差しが、いつしか冷たく狡猾なものになっていくのに、僕は何となく気づいてもいた。

 狐塚は、そんな目で僕をじっと見据えて囁く。

「単刀直入に言うと、金、貸して欲しいんだ……バラされたくなかったら」

 推し活をやっていると、金がいくらあっても足りない。大学の授業料とは別にもらっている親からの仕送りも全部つぎ込み、さらにここのバイトをやめて夜中の道路工事で働いて、ようやく賄っているのだ。

 黙ったままでいる僕への狐塚のリアクションは早かった。

「そう……」

 言うなり狐塚は、店を出ていく。

 僕は、ずっと通話中だったスマホを取り出して、その向こうの凛に囁いた。

「これでいい?」

「充分」

 凛は、満足げに答えた。

 

 ライブが終わった後の待ち合わせ場所は、人のいない夜の公園だった。

 その入り口の街灯の下で待っていると、マスクの上に覗く目をサングラスで隠した凛がやってきて囁く。

「行こうか」

 僕と腕を搦めて足を向けた先には、公園の向こうにひっそりと立つ、小さなラブホテルがある。

「いいの? 本当に」

 おずおずと尋ねると、凛は自信たっぷりに答えた。

「大丈夫……私に任せて」 

 そこで聞えたのは、微かなシャッター音だった。

凛がシュッと息を吐いて、しなやかな脚を蹴り上げると、地面の小石が暗闇の中に飛ぶ。

 悲鳴が上がると、僕の腕を振りほどいた凛は、その先へ向かって姿を消す。

 何かが壊れる音がして、慌てて駆け寄ってみると、そこには長い望遠レンズをつけたデジカメが、木の茂みの前で無残に破壊されていた。

 そこへ地蔵倒れに転がってきたのは、全身黒ずくめの、いかにも盗撮者と言った姿の少年……狐塚だった。

 いつの間にか結束バンドで手足を縛られ、猿轡までかまされている。

それを瞬く間にやってのけたらしい凛が、狐塚の潜んでいたらしい低木の生垣の向こうから現れる。

「困るのよね、デビュー前にこういうことしてくれると」

 凛の相談事というのは、こいつのストーカー行為だったのだ。

 狐塚が呼び出した店にわざわざ凛と入ったのは、僕たちが交際している様子を見せるためだ。

 嫉妬のせいか、それとも最初から狙われていたのか、そこで僕が脅迫されたことで、凛はストーカーが狐塚だと確信したのだった。

 僕がスマホを取り出して110番通報しようとすると、凛は止めた。

「メジャーデビュー前に、そういう騒ぎは困るの。それより……」

 もがく狐塚は凛に襟首を掴んで持ち上げられ、その耳元にこめかみあたりに揃えた指先を突き立てられて動かなくなった。

 狐塚の拘束を解いた凛は、さらにひとことだけ言い残して、暗闇の中に姿を消した。

「デジカメ処分しといてね」


 それっきり、凛のライブが開かれることはなかった。

 ライブハウスの管理人に聞いてみると、あの晩を境に、急に全ての予約がキャンセルされたのだという。

 メジャーデビューが近いのではないかというので、事務所の場所を聞き出して行ってみたけど、そこには古い廃工場があるだけだった。

 狐塚に何かされたかとも思ったが、そのスマホの契約は打ち切られていたようで、連絡が付かなかった。

 僕のブログ「It`s Sayイッセイ」でも、情報提供を呼び掛けた。でも、逆に問い合わせの書き込みやメールが寄せられるばかりで、僕には返事のしようがなかった。当然、参加者は次第にいなくなる。

 凛がいなければ推し活をすることもないわけで、僕はブログを放置したまま、普通の学生生活を始めた。

 もっとも、バイトは道路工事現場のほうをやめて、もとのコーヒーチェーン店に戻った。いつか、メジャーデビューした凛がこっそり僕を尋ねてくるのではないかと、微かに期待をしてはいたのだ。

そんな、ある日のことだった。

「久しぶり」

 バイトのシフトが終わる時間を見透かしたかのように、店のカウンターの向こうに凛が現れた。

 相変わらず、マスクで顔を隠してはいても、細められた目で笑顔が分かる。客が騒がないのは、まだメジャーデビューしていないせいだろう。彼女が関江凛だと分かるのは、僕ひとりしかいない。

 シフト空けの時間が来て、僕は凛と店を出る。

 手を強く掴まれて、引っ張って行かれた場所があった。

 ライブハウスだ。

 誰もいないのに管理人には話が通してあるのか、ステージまで上がることができた。

そこで凛は、僕の顔を見つめた。

「マスク外してよ……ふたりしかいないんだから」

 そう言って見せてくれた口元の笑顔は、やっぱり可愛かった

僕もマスクを外したところで、ようやく尋ねることができた。

「何してたんだよ」

「いろいろあるのよ、デビュー前は」

 心配をさらりとかわす素っ気なさに、僕はむっとした。

「みんな忘れちゃうだろ」

 本当はそうなってほしい。

だけどそこは、何考えてんだ槍貝と敏腕プロデューサーを罵ってみせる。

「そういうこと言わないの」

 厳しく釘を差されて、押し黙ったときだった。

 凛の可愛らしい手が僕の瞼に伸びて、視界が真っ暗になった。

 僕の唇に、柔らかく、甘いものが触れる。

 こんなん、あり……? 不意打ちのキスなんて。

 再び目の前が明るくなったとき、そこには無人のステージがあるだけだった。

 だが、本当の事件は、これからだったのだ。


〔大物プロデューサー槍貝辰於、電撃引退〕


 次の日のトップニュースに、僕は放置していたブログのことを思い出した。

 確かめてみると、久々のメッセージ投稿があった。

 投稿者の名前は……凛。


〈今までありがとう……そして、ごめんなさい。昨日のあれが、私の精一杯の気持ちです。

 アイドル活動も暗闇での技も、槍貝に近づいて復讐するためのものでした。彼に関わった哀れな少女たちの中には、私やスタッフたちの家族がいるということだけ、知っておいてください。途中で狐塚君が邪魔をしてきたせいで槍貝の身辺を探るのが遅れましたが、最後にちょっと協力してくれた彼を許してやってください〉

 

 詳しいことは書いてなかったが、だいたい察しはついた。

 槍貝が今までやってきたことが、凛に対しても起こったのだ。その現場が凛に怯える狐塚に盗撮されて、メジャーデビューの声が掛かってから調べ上げられた証拠と共に、槍貝につきつけられたといったところだろう。

 でも、そんなことはもう考えたくない。

 とてもアイドルとは思えない暗殺スキルをどこでどうやって身に付けたのか、そんなことはどうでもいい。

 彼女はもう、僕の前に姿を現すことだけはない。

 暗闇の中で感じたキスの感触だけが、僕に残された全てなのだから。

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