重い思い
@ns_ky_20151225
重い思い
「君、ここは研究室だよ、そのような趣味の品は控えたまえ」
もちろん、本気ではない。大賢者の口調はおかしげだった。
「いいでしょう? この『星の踊り子』は最高ですよね」
弟子はおなじように笑っていつもの返事をし、触腕で端末画面の上に飾った模型をやさしくなでた。
「でも、その子以上の踊り子なんていくらでもいるだろうに。それに触腕が短すぎる」
「そうではないのです。失礼ながら、大賢者様はこの子のことをお分かりではない」
こんどはちょっとむっとした口調だった。大賢者はまずいと思った。また講釈を聞かされたらたまらない。それにこの会話を始めた目的はそれではない。軌道をもとに戻さねば。
「まあまあ、悪かったよ。ところで、例の観測結果だが、生データからだいぶ削ったようだね」
「あ、あれですか。あまりにノイズ値が多かったので。ほかの研究室でも無視して処理しているようです」
一瞬で研究者にもどった弟子が説明する。深宇宙観測衛星からのデータは宇宙の年齢について新たな知見をもたらすものだった。そして、この宇宙は膨張し続けているという従来からの学説を補強した。観測された質量からはそう考えるしかない。
「だが、あの一連の値、ほんとうに切り捨てるべきだったかな」
「しかし、今回の観測で急に現れたものです。もし意味のある値なら過去のデータにもそういう傾向はみられたはずです」
「それはそうだが、ひとつ作業仮説として、観測値にまちがいはないとしてみないか」
怪訝そうな顔の弟子は、しかしすぐにその話に乗った。大賢者は時々そうやって弟子を試すことがある。今回もそうだろう。
「値がすべて宇宙の実体を表すものだとすると、急に質量が増加したことになります。それは宇宙の膨張が停止した後、収縮に転ずる可能性を意味します」
触腕が不安げに揺れた。永遠でない宇宙の可能性。その恐れは耳膜をさざ波のように震わせた。大賢者が大きくうなずいて話し出す。
「わたしはね、今回の観測は正しいと思っている。急激に質量が増加しているのだ。今、ここで」
触腕をひらめかせ、弟子の画面に一連の計算結果を動画で表示させた。この惑星を中心に発生し、超光速で広がるエネルギーの存在。
「たしかにこれなら観測値を説明しますが、急に現れた理由にはなりません」
大賢者は、弟子の『星の踊り子』を指し示しながら言う。
「思考がエネルギーなのは分かるね」
「もちろんです。我々の神経細胞を駆け巡る電気信号はエネルギーと言えます。しかし、その思考する活動のもとになっているのは摂取した食物です。つまり閉じた系を考えればエネルギー、つまり質量の総量は変わりません。物理の初歩の初歩です」
また触腕が振られ、別の計算結果が示された。
「わたしは別のエネルギーを発見した。これは質量やエネルギーは保存されるとした法則の例外となる。まるで湧き出ているようだ」
そう言った大賢者の耳膜が震えた。弟子は式にざっと目を通した。
「理屈はあっていますが、現実ですか。あくまで理論の上だけでは?」
「君がそのエネルギーを生みだしているのに?」
驚きのあまり固着形態に変形しようとした弟子を押しとどめ、説明を始めた。
「その『星の踊り子』、怒らないでほしいんだが、さっきも言ったとおり一般的な目で見れば大した子じゃない。でも君には、君にだけは刺さった。それは保存法則を超えた思考エネルギーとなったのだ。仮に超思考と呼ぼうか」
「わたし、ですか」
「君だけじゃない、おなじように様々なモノやコトが刺さった者たちがいる。すべて超思考エネルギーの生産者たちだ。そして、こんな超思考をする者が現れたのはごく最近のことだ。違うかね」
「たしかに、わたしがこの子に感じる気持ちは親子や異性への愛情とは違う。もっと大きくて豊かで尊いと思っています。でも、だからといって」
「観測値は事実だし、この式に間違いはない。我々の宇宙はいずれ収縮に転じる。大爆縮といってもいいだろう」
「それから、どうなります?」
恐れよりも好奇心、そして学者として理論を突き詰めたいという感情が弟子の心を落ち着かせた。
「これはまだ荒い理論だが、爆縮の後、再度大爆発に転じると思われる。新たな宇宙が誕生するだろう」
その言葉をかみ砕いた弟子は画面の式と上の模型を見た。
「次の宇宙にも我々のような知的生物は生まれるでしょうか」
「分からんな。それに、生物が発生し、知的であったとしても超思考をするところまでたどり着くかどうか、それも分からん」
「仮にその知的生物が超思考をしたとすると、かれらの宇宙も大爆縮で終わるのですね」
弟子は残酷な結論を言った。すべての終わりは存在する。次の宇宙でさえその可能性がある。終わりのない世界は現れないのか。
「それはそうだな。この思いはそれほどまでに重いのだよ」
大賢者は『星の踊り子』を見ながら答えた。
了
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