第3話 振った彼女

 久しぶりの都内は平日にも関わらず多くの人であふれていた。


 暇な老人である。

 佐伯と話した翌日午後、尾行以外に予定のない私はぶらりぶらりと彼の会社の最寄駅周辺を散策していた。


 駅の近くからは、ついこの間まで通勤で使用していた電車が見えた。

 もう、懐かしく感じてしまう。あんなに長く勤めていたのに。


 そして夕方、彼の職場へと向かった。


 佐伯の職場(つまり野田の職場でもあるが)は意外と大きい会社だった。ビルの最上階は頭を後ろに倒さないと見えない。


 ガラス張りの立派なエントランスを抜けて正面玄関から退社する野田の後を追う。


 今日の野田はくすんだ色のカーディガンに薄いコートを羽織っている。


 時間は定時の16時を少し過ぎた頃。清掃員の彼女は早くに来て仕事を開始する分、一般の社員に比べて帰宅も早いらしい。


 尾行なんてはじめてのことだが、野田は全く気づいていない。


 駅に向かい電車に乗る。5つ目の駅で彼女は降りた。

 そのまま駅の近くのスーパーに入って食材を買い、ドラッグストアでシャンプーを買い、住んでいるアパートに向かう。途中で彼女の電話が鳴った。


 新たな彼氏か⁉︎


「あ、もしもし、お母さん?」


 母親か…。


 結局その日は浮気現場を確認出来なかった。


 佐伯にメッセージを送り報告する。

 なぜ65を過ぎてこうも探偵じみたことをしているだろう、私は。

 そうこう思っているうちにメッセージに既読がつき返信が来た。


『もう一日だけ、どうかお願いします』


『それ以降はなんとか時間作って僕がします』


 まぁ、収穫は無かったし、一日だけで浮気はないと判断するのは早すぎる。

 仕方ない。

 私はOKした。



 翌日、再び職場から出て行く彼女をこっそりつけて行く。

 しかし今日は昨日とは違う。


 今こそジジイの見せ所…!


「うわ〜あいててて」


 私は腰を押さえ、その場で苦しみながらしゃがみ込む。

 悲しきかな、周囲の人は私を気にかけはしない。


「えっ、あの、大丈夫ですか?」

 気づいた野田がとっさに駆け寄る。佐伯が言った通り優しい人なんだろうな。


「だっ、だい、大丈夫、大丈夫です。お気遣いなく。……うっ、あいてててて」

「本当に大丈夫ですか⁉」



「少し休みましょう、歩けますか?」

 そう言うと彼女は、私の体を支えながら会社を出てすぐのベンチに座らせた。


「病院、行きますか?」

「……ありがとう。ちょっと休めば歩けると思うよ」


「すまないね、歳のせいか、最近よく腰を痛めるんだ」

「大変ですね」

「仕事を辞めて家に籠ることが多くなったし、太ったことも原因かもしれない。

 妻からは運動しろとしつこく言われて、最近になって散歩を始めたんだけどね」

「はぁ…」


 さぁここからが勝負。


「そういや先日、散歩してたら喧嘩をしている若い子がいてね、なんだか昔の私を見ているようで少し懐かしくなったよ」


 彼女の表情が少し固まった。


 そして私はまるで今思いついたかのように言った。


「……おや、思い出した!公園にいたのは、もしや君では?」


「どうして…?」

 野田は目を見開いて言った。


「君たち迫力があったからさ。真っ昼間に堂々と喧嘩してたしね。

 あ〜やっぱりそうだよ、その声だ。どうりで聞き覚えがあると思った」


 嘘に嘘を重ねていることは分かっている。

 切羽せっぱ詰まって変なことを言っているような気もする。

 うっかりボロが出てしまわないか不安だ。

 もし、振った彼氏と会ってやりとりしているなど、知られたらどうなることか。


 気まずくなって俯く彼女に私は言った。

「…これは私の勘なんだけどね」


 申し訳ない、勘ではないです。


「あのとき、君、“嫌いになった”って言っていたようだけど……、あれ、本心じゃないだろう?」


 数十秒の沈黙の後、俯いたまま彼女は言った。


「実は……」

「実は?」

「彼は、彼とは……、異母兄弟なんです」



 ……なんてこった。

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