残心のベーコン炒め

 翌日。

 私はラウルと共に、彼の元いた店で人を待っていました。大通りに面した煉瓦造りの建物は、往時は評判を聞きつけた客で賑わっていましたが、主が王宮へ召し出された今、私たち以外に人の気配はありません。

 テーブルクロスもない机に、ふたり無言で並んでいると、不意にドアベルの澄んだ音が響きました。


「お邪魔します、ラウルさ……って、お城の方!?」


 現れた三人の若者たちが、あわてて私に向けて頭を下げます。

 皆、あまり健康そうには見えません。髪だけは整えていますが、日焼けした肌に艶はなく、所々骨が浮いて見えるほどに痩せています。着ている服も、ずいぶんくたびれた粗い麻です。


「すまん。王宮の野菜くずを持ち出したのが、この人にバレた」


 ラウルが言えば、場の空気が凍りつきます。

 一瞬の沈黙の後、若者たちは口々にラウルの無罪放免を訴え始めました。


「お城の方、ラウルさんは悪くありません! 全部俺たちのわがままなんです」

「ラウルさんは私たちに親切にしてくださっただけで――」

「落ち着け、おまえら」


 深く溜息をつき、ラウルは頭を振りました。


「俺はまだ訴えられてねえ……だがこの人は事情を知りたいそうだ。だから」


 ラウルは、三人の背を順にぽんぽんと叩きました。父親のようなやさしい手つきでした。


「色々話してやってくれ。正直に言やあ、悪いようにはしねえと思う」



 ◆  ◇  ◆



 聞いた話をまとめると。

 この三人はラウルの店の下働きだったそうです。店は繁盛していたから、店員や下働きもそこそこの数がいたのだとか。しかし、店の主が王宮に召し出された後、この三人だけが新しい働き口を見つけていないそうです。

 彼らの仕事は皿洗いや掃除など、修練のいらない――少なくとも世の人々にはそう思われている作業でした。


「確かにその種の雑用には、素性のわかる人間を優先して雇いますね」


 私がつぶやくと、ラウルも頷きました。


「俺もなんとかしてえんだが……こいつらは身寄りがねえから、金持ちの家は駄目。字も読めねえし技術もねえから、商工会からの仕事斡旋も無理だ」

「で、彼らを食べさせるために野菜くずの横流しを?」


 ラウルはまた頷きました。


「ここで店やってた頃は、給料の他に厨房で出た野菜くずや余った食材も渡してたんだ。もちろん食えるところだけな。たまに俺がまかない飯にしてみたり……野菜くずのベーコン炒めとか結構ウケてたな。それが皆、給料以上に『おいしかった』らしい」

「ラウルさん、最初はお金の援助を持ちかけてくださったんです。でもさすがに申し訳ないし、野菜くずくらいでいいって言ったんですが……こんなことになるなんて」


 ラウルと三人は、揃って肩を落としました。

 しばしの重い沈黙の後、ラウルはぽつりと言いました。


「……言ってみりゃあこいつらは、俺にとっての『宿題』だ。片付けなきゃ、先には行けねえ」


 その言葉に、私は少なからず驚きました。

 ラウル、あなた今、「宿題」と言いましたね?

 反射的に立ち上がった私を、ラウルは怪訝な目で見上げました。


「ん。何か変なこと言ったか」

「あなた……『宿題』という言葉、知っているのですか」


 はあ? と声に出しつつ、ラウルは首を傾げました。


「ああ、一応学校には行ってたからな? 料理は師匠に教わったが、読み書きや作法は教会の学校で勉強したぞ。……『宿題』が一番キツかったのは師匠だがな」

「時々聞かせてくださいましたよね、ラウルさん。『三日で、人参を花の形に切れるようになれ』とかの」

「ほんと地獄だったぜ……まあ、おかげで今の俺があるんだが」


 私が呆気に取られていると、和やかな語らいはどんどん脇道へと逸れていきます。

 指先で軽く机を叩いてやると、会話はぱたりとやみました。


「あなた方の事情は分かりました。ですが王宮から許可なく物を持ち出すことは罪ですし、皆さんに仕事を紹介することも私にはできません」


 ラウルが、眉をぴくりと吊り上げました。


「結局どうにもなんねえのか」

「どうしようもありませんね、少なくとも私の力では。唯一ありえるのは、あなたが自分の稼ぎで彼らを養うことでしょうが――」

「もういいです、ラウルさん!」


 若者の一人が、声を上げました。


「これ以上迷惑かけられません。俺たちは自分でなんとかします」

「できるのかよ? 何をどうする気だ?」

「……それは」

「おおかた、そんなこったろうと思ったぜ」


 ラウルも若者たちも背を丸めながら、力なくうなだれています。

 私は少なからず苛立ちました。

 ラウル、あなたは一体何をやっているのですか。天賦の料理の才を持ちながら、つまらない同情に足をすくわれて。

 至高を目指したくはないのですか。

 あなたの料理の真価を、理解できる者に問うてみたくないのですか。

 高みはそこにあるのに、なぜ踏み出そうとしないのですか。

 枷がこの者たちであるなら、いっそのこと――


 そこまで考えて、私の脳裏にひとつの案が浮かびました。

 ああ、そうですね。これであればきっと。


「……ラウル。皆さん」


 私は、頭を抱えて机を囲む一同へ、声を張り上げました。


「なんだよ」

「私から御三方へ、一つ『宿題』を出します」


 全員の視線が私に集まりました。


「これさえ終えられれば、全ては解決するでしょう。やりますか?」

「はい!」

「もちろんです!!」

「これ以上ラウルさんに迷惑かけられません!!」


 三つの声が重なりました。まだ宿題の内容も伝えていないのに。


「わかりました。ですがこの『宿題』、易しいものではありませんよ」


 ラウルも含めた四対の視線を痛いほど浴びながら、私はゆっくりと話し始めました。

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