今日も今日とて夢をみる

香澄るか

今日も今日とて夢をみる


「あっ。更新されてる!!」


 一件の新しい通知に気付きSNSをみた。

 煌びやかな衣装を纏った五人の青年が、画面の向こうで弾ける笑顔をみせている。

 写真の下には『昨日は配信みてくれて本当にありがとう。すげー楽しかった!!!! byZEUS』とあった。


 とっさに口元がにやけるのを我慢できず、ハッとして辺りを見渡したが、周りはパソコン作業や友人とのおしゃべりに夢中な様子でほっとする。

 午後の珈琲店。

 今井悠希いまいゆうきは、胸を撫で下ろしながらカフェラテを飲む。その流れで、今見たばかりの投稿に‘‘いいね”をつけた。


 ZEUS《ゼウス》とは、五人組の男性ダンスヴォーカルグループのこと。

 華やかなビジュアル、存在感のある歌声、ダイナミックなパフォーマンス。そのポテンシャルの高さから、今若い世代を中心に絶大な人気を誇っている。

 もちろん悠希も魅了されたその一人で、好きなものはZEUS。趣味はZEUSの推し活。脳のエンタメ八割をZEUSが占めている。

 

 個性豊かで全員カッコいいけれど、ひときわ輝いてみえるのは、一宮真緒いちみやまお。悠希の最推しだ。

 アッシュグレーの髪に豊かな睫毛に縁どられたぱっちり二重で、いつどんな時も笑顔を絶やさない。グループにおいてはムードメーカー的存在だ。

 ZEUSと真緒に出逢って三年、彼らは生きる意味であり、未来だった。


「いつか、ライブで逢いてえー……」


 ずっと推し活をするかたわらライブも申し込んでいるが、なかなか運に恵まれない。いつか、あの夢の聖地で歌って踊る彼らを生で観ることが、悠希の最大の夢だ。


 そんな時だった。一件の通知が新しく入る。


『夕ご飯を食べたくば、一八時までに帰宅すること』


 脅迫めいた家族からのメッセージ。ガラスの外はすっかり日も暮れていた。

 今井家は一度言ったことは絶対。悠希は時刻を確認するなり急いで店を飛び出した。


***


「きみ、待って!」

「……なんでしょう?」


 店を出てすぐのことだった。

 黒いキャップに黒マスクで丸眼鏡という、二〇代くらいの若い男に呼び止められた。

 身長は悠希よりやや高くて、服装はオシャレで、すらっとしている。マスクの上からでもなんだか妙に雰囲気があり、振り向いた瞬間思わず視線を奪われた。


「さっきの店にスマホを忘れてたよ」

「え⁉︎ わあっ⁉︎  すみません、ありがとうございます……っ!!」


 ポケットに手をあて青ざめる。言われるまで気づかなかった。

 慌てて受け取ろうと手を伸ばすが、男はなぜかスマホを握ったまま動かない。


「えーっと、……あのー?」

「きみ、ZEUSのファン?」

「えっ……」


 驚きは、すぐに納得に変わった。

 悠希は、スマホの待ち受けをZEUSにしている。ケースの後ろにもロゴステッカーを貼っているし、鞄の缶バッジやキーホルダーも、ZEUS公式グッズの物。しかも真緒のメンバーカラーで統一。存在さえ知っていれば、誰だってファンだと気づくだろう。

ただ、男には少しだけ警戒心を抱いた。


わざわざ訊ねる意図がわからないからだ。仲間かもしれないが、ただ男のファンをバカにしたいやつもいる。その場合はまだいいが、アンチだったら面倒だ。

 しかし、構えて待つこと数秒。彼はとろけそうに目元を和ませたかと思うと、ほぼ吐息のような小声で言った。

 

「嬉しい……」

「え?」


 意表をつく表情に驚いていると、男が少々不躾なほど近づいてきた。

 香水が甘くかおる。悠希が思わず退こうとしたとき、悠希にだけわかるように男がマスクを下げた。

 


「初めまして。オレ、ZEUSの一宮真緒です」

「ふぇっ!?」

「驚かせてごめんね? でも……、どう見てもZEUSオレたちのファンだし、それも自担だし、なんか嬉しくなっちゃって! ねえ、きみ、名前は!?」

「えっ、い、今井悠希ですけど……って、いやいやっ。ちょっ、あの、待って!? 頭が追いつかない……なに??」


 信じられない。でも、何百回何千回とその顔を見てきている。だから変な自信がある。絶対に一宮真緒だ!

 どう考えたって、目の前にいるのは俺の推し!


 ――これは、夢だ。

 とっさにそう思った。

 だって、さっきまで画面越しで眺めていた。いつかライブで逢いたいと思っている雲の上の相手だ。目の前にいるなんて、こんなこと、現実にあるはずがない。


「くそっ。逢いたい欲求が溜まりすぎてんだな!?  だから、こんな夢なんてみるんだ……!!」

「え? 夢……?」

「それにしても、俺、欲深いな!? 推しを自分の夢にわざわざ登場させるなんて……っ。しかも、認知してくれる展開とか、都合よすぎじゃねえか!?」

「あのっ……、えーっと、悠希くん……!?」


 真緒がこっちをみて慌てふためいている。

 その顔をぼんやりみつめていると、目頭が熱くなってきた。


「こ、今度はどうしたー⁉︎」

「うっ、ううううううっ……」


 だって、この世に、本当に、真緒が存在している!

 同じ地上に立って、同じ空気を吸っている!

 その事実に、たまらなく泣けてくる。


「どうしたの⁉︎  お腹でも痛い⁉︎」

「ち、ちがっ……。うわあああああん。ありがとうございますっ!!」

「へっ!?」

「同じ時代に生まれてきてくれて~……っ。ゼウスになってくれて~……っ、ズビッ……。本当に……大好きですっ!!」

「……!?」


 真緒が息を呑んだ気配がした。

 もしかしたら激重感情にドン引きしたのかもしれないけど、でも、どうせ夢なんだから、ちゃんと伝えておきたかった。

 単調だった毎日がどんなに変わったか、どれほど、ZEUSと真緒に、先の見えない人生を生きる意欲をもらっているか。大袈裟でも何でも。

 散々語ったすえ、全部を受け止めてくれた真緒は、泣きそうな顔で笑っていた。

 

「悠希くん、本当にありがとうね!」


***


 あれから一ヶ月、普段通りの日常を送っている。

 あの時のことは正直記憶が曖昧だ。本当に夢だったのかもしれない。


「悠希、ちゃっちゃとご飯食べちゃいなさいよ」

「へーい……」


 呑気に返事をしながら、朝食の合間にふとテレビを見たときだった。

『ZEUSの一宮真緒。骨折』という衝撃のニュースが飛び込んできた。


「えー!?」

「悠希どうしたの!?」

「あっ、いや、俺じゃなくって……」


  それ以上、言葉が続かなかった。


 真緒が骨折!?

 だ、大丈夫なのか!?  


 悠希は、なるべく情報を得ようと、公式のホームページやファンクラブサイトへ飛んだ。そこでようやく詳しい事がわかった。

 真緒は、最近演技でも活躍の幅を広げている。骨折も、映画の撮影中のアクシデントだったらしい。怪我は幸い大したことないようだが、このままだと、代役を立てることになるようだ。


 それに、真緒は、ZEUSの結成三周年ライブを控えていた。ファン待望のライブだ。もちろん、悠希も申し込んでいる。このままだと、ライブにも間に合うかわからない。


 いや、こんな時にイベントなんかどうでもいい。

 真緒は、真緒の心は大丈夫なのか!?


 いつも明るくみんなを照らしてくれる真緒。もしかしたら、今つらい最中でも、周囲を気遣って、気丈に振る舞ったり、あるいは自分を責めているかもしれない。

 そんなふうに考えると、胸が締めつけられ、居ても立ってもいられなくなって、気付いたら行動を起こしていた――


***


「真緒、どうだ?」

「越智さん……」


 様子を見にやってきたのは、真緒のマネージャーの越智だった。

 真緒はギプスで固められた足を軽くさすりながら笑顔をみせる。

 実を言うと、さっきまでは負傷とドラマの降板が濃厚になったダブルパンチで散々泣きごとを言っていた。それを、彼が受け止めたうえで「まだやれることならある。ライブがある。お前には、ファンだってついてる!!」と、熱い叱咤激励をくれた。お陰で、今はだいぶ落ち着きを取り戻していた。


「心配かけてごめんなさい。もう大丈夫」

「そうか、よかったよ。真緒にいいもん持ってきたんだ」

「え? いいもんすか……?」

「ファンレターだ。みんな、お前を心配して書いてくれたんだろうな」


 そう言って、越智が、手紙の山となった段ボールからいくつか手渡す。

 受け取った真緒は、楽な体勢をとりながら手紙に目を通していく。すると、その中の一通を見てハッとした。


「これっ……」

「どうした?」

「やっ、何でもない。ありがとう越智さん、元気が出てきた。オレ、頑張るね」

「おう。まあ、でも、今は焦らずしっかり治せ? 仲間や、ライブを楽しみにしているファンたちのためにもな」

「はいっ!」



 後に、真緒の映画降板とライブ延期が決まった。

 でも、真緒はふっきれた様子だった。悠希を含むファンも、下手に騒がず、彼が復活するのを待っていよう。戻ってきたら、笑顔で迎えよう。そんな想いでいた。


 ――そして、半年後。


「みんなー!!!! 心配かけて本当にごめんね!!!! もう大丈夫だよ!!!! ただいまー!!!!」


 広いホール、満席の観客、たくさんの歓声、きらきらのライト、そのすべての真中に、笑顔の真緒が立っていた。

 豪華な衣装を纏って、マイクを手に仲間とともに歌って踊る。ずっとずっと見たかった、夢に見た世界で、悠希は推しをみつめていた。


「真緒ー!!!! おかえりー!!!!」


 たとえこの声が他の歓声にかき消されても、想いはみんなと一緒に伝わるはず。腹の底から声を出して、言いたかった言葉を伝えた。


「みんな、ありがとーう!!!!」


 真緒は笑って、泣いていた。メンバーも、ファンも、同じだった。

 同じ気持ちのひとたちで埋め尽くされたこの空間が、改めて悠希は好きだと、最高だと思った。


 アナウンスが夢の時間の終了を告げても、観客の歓声は止まなかった。

 数日後、悠希は街中の大画面越しに報じられるZEUSのライブ映像を眺めていた。


「本当に、俺もあの場所に居たんだよなー……」


 信じられない。でも、あの時の熱が記憶と共にじわじわ戻ってくる。

 また、必ずあの場所へ行く。


 そう決意の拳を握ったとき、悠希の横をふわりと甘い香りがかすめた。


「ありがとう」




 END

 







 



 







 

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