再びの「カフェ・ピッツベルニナ」(三)

 家での亜耶子からは、そんな様子を窺うことは出来なかった。

 よほど自分の目が節穴だったのか、それとも……朋代は頭を振る。

 しかし美和子の振る舞いや、亜耶子があの学校に転校したこと。さらに、まるで監視されている様な亜耶子の行動パターン。そういった傍証が全てを裏付けていた。

 亜耶子は地元を追われたのだ。それも自らのな行いで。

「御瑠川も、その点はすぐに気付きました。まず証言が偏っていますからね。何かを隠していることは明白。ですが、御瑠川はそれを糾弾する役目を請けおったわけでは無い。『自分が自分を呪う』などという考えに取り付かれた原因が、過去の姪御さん自身の行いだったとしても、いきなり叱るのは下策だ」

「それは……そうですね」

 朋代としても、その判断を受け入れるしかない。

 だが引っかかる部分がある。言うまでも無く「櫛」だ。

 いったい、何処から出てきたのか……

「その点については、まずは姪御さんの立場から説明しましょう。問題の丸い櫛ですが、これは元々、野倉美咲の持ち物です」

「え……」

「彼女の祖母の形見であったようですね。お守り代わりにしていた。だが、イジメている側がそれを見過ごすはずは無い。取り上げて……少し休みますか?」

「い、いえ……」

 朋代が考えていた以上に、亜耶子の悪事は暗く深い。しかし説明を望んだのは朋代なのだ。深呼吸して、朋代は心を落ち着ける。

「……続けて下さい」

 青田もそれを受けて小さく頷いた。しかし変わらず容赦はしない。

「どうも、手下とフリスビーのように櫛を飛ばして野倉美咲の前で弄んでいた形跡もあります。そして問題の櫛は返却されていません。どうやら、姪御さんが自分で秘匿したようですね。物証が無ければ罪に問われないとでも考えていたのか……」

 朋代は言葉を失った。もはやイジメという言葉で済まされる振る舞いでは無い。

 ただひたすらに邪悪。

 そう言葉でしか、亜耶子を表現出来ない。

「この櫛については、確かに偶然の一致と言うべきでしょう。そして“見えない女の子”について。これは一体どういう現象であるのか? この点は御瑠川が見過ごしていました。ですが仕方のない面は確かにある。最初に御瑠川が接触したのが姪御さんですから、その証言を何処まで信じれば良いのかがわからない。これは推理小説ミステリーにおいて“信頼できない語り手”と言われるジャンルに相当します」

「“信頼できない語り手”……」

「もっと言えばこの段階で、姪御さんの精神が健全であるかもわからない。全てが妄想の可能性もある。だが“見えない女の子”については本当にあった。――君からの報告にするか?」

 いきなり青田が天奈に話を振った。天奈もそれを予想していたのか慌てずに頷く。そんなやり取りを、朋代は茫洋とした目で追っていた。

 すでに朋代の精神は疲労困憊で、胸中に渦巻くのは、ただ後悔。

 そして目の前の二人は決して容赦しない。まず、天奈はこんな説明から始めた。

「まず、2-Cというクラス。こちらでも亜耶子さんが転校してくる前にイジメが行われていたのね。違うのは、いじめられていた側が学校から逃げ出したと言うこと。この時期が、亜耶子さんが追われた時期と一致してるのよ。ピッタリでは無いけれど、大体同じ」

 朋代は息をのんだ。

「あの……学校でも?」

「元々、イジメが発生しやすい環境だった――と断定は出来ないけど、閉鎖的である事は間違いない。さらに寄付金を積めばどういう履歴の持ち主でも受け入れてしまう。そういう学校なのよ」

「それは……確かに納得してしまいそうになるわ……それで亜耶子ちゃんもあの学校に?」

「そうなんでしょうね。それで一人減った分をあの学校は亜耶子さんを配置する事で補った。おおよそ最悪な手段だけれど、一度問題を起こしたクラスだから、問題を抱えた生徒はまとめてしまえ、という考え方があったことも想像しやすい」

「本当に最悪だわ……」

 あまりに衝撃が強すぎたのか、朋代は全てを他人事のように感じ始めていた。疲労で心が麻痺したのか。はたまた心を守るためであったのか。

 どちらにしても天奈としては淡々と続けるだけだ。

「2-Cの生徒たちはもちろん叱責された。家からも責められた子も多くいるでしょうね。ただ、外には漏れなかった。それだけが救い――だが、それは容易く『呪い』に転ずるわ。結果、部外者に敵意を向け、自分たちを探りに来たのか? という疑いの目で見てしまうことになる」

「……ありそうね。残念ながら」

「さらに最近では簡単に情報発信が出来る。例えばユーチューブとか。そして動画の閲覧数を増やすために、過激な内容を投降する人も多くいる。彼女たちはまず、亜耶子さんがそういう発信者であることを警戒したの」

「それで?」

 麻痺し始めた心で、朋代は先を促した。

「それで最初はね。受けが良さそうな話題を提供しようとしたみたい。クラスメイトが一丸となって“見えない女の子”を作り出す。それが始まり」

 朋代は絶句するしか無かった。

「傍から見てみると。あるいは後から考えると。――そんな言葉を付けたしたくなるほど、どれほど愚かなことをしているのかは明らかね。自分たちでイジメをバラすような真似をしているわ。ただ彼女たちは必死で、幼く、そしてやっぱり一人を全員でイジメていたぐらいだから、そういったものに惹かれる性質たちで」

 天奈は言葉を切った。よほど悲痛な表情を浮かべているのかと朋代が顔を上げると、パープルに彩られた天奈の唇が描いているのは笑みだった。

「“見えない女の子”に櫛を挿したのも本当に思いつきみたい。単純に『女の子』と設定しただけでは特徴がなさ過ぎるから、適当に付け足しただけみたい。だから基本的には幽霊ね。足の無い、和風な感じ。その点『櫛』はうってつけ」

「あの櫛に関しては、とある神社の土産物ようなものでして、そこまで特殊なものでは無いんです。誰かが持っていた……いや、知っていただけで十分でしょう」

 青田のフォローが飛んだ。

 確かに設定だけなら、現物を持っている必要は無い。  

「でも亜耶子さんが見せた櫛への反応。それに設定があやふやだった事が事態を複雑化させた。まさか亜耶子さんが“見えない女の子”に対して事細かに尋ねてくるとは考えていなかったのね。そうするとクラスの子たちはどうしても、その時、目の前にいる相手――亜耶子さんの見た目に引っ張られて証言してしまう。そして、その情報を集めることで亜耶子さんは“見えない女の子”が自分に似ていることに気付いてしまった。結果として、亜耶子さんはさらに追い詰められたというわけね」

「それが、『自分に呪われる』……」

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