再びの「カフェ・ピッツベルニナ」(一)

 蹂躙劇が角谷邸で行われてから、おおよそ一月後――

 完全に蚊帳の外であった角谷朋代が、ついに青田との会合にこぎ着ける事に成功した。

 窓口になるのは当然、御瑠川天奈だ。

 天奈は確かに亜耶子の「問題」に対処していたはず。少なくない交流もしていたはずだ。

 それなのに姪である亜耶子が心を病んでしまっていることは明白で、その母親である美和子も似たような状態になっている。

 そうなると朋代としては当然、天奈に対しては不信感しか抱きようがないのだが――他に手は無い。

 さらに大きな変化と言えば、離れに引っ込んでいたはずの両親が再び角谷家を仕切るようになっていたことだ。

 それならば、と朋代が両親に亜耶子たちについて問い糾すと、

「青田さんが収めてくれた」

 という言葉を呪文のように繰り返すだけだった。

 青田――それが、どうやら天奈の恋人の名前だと判明するまでに半月。そして天奈が交渉に応じてくれるまでが、そこから半月だ。

 その交渉の結果、どういう力が働いたのか、僅か三日後に「青田が会うと言っている」と天奈から連絡があり、今朋代は指定された「カフェ・ピッツベルニナ」に向かっている。

 一月前までは色づき始めた街路樹の銀杏も今は最盛期だ。

 山吹色のドームの下を通り抜けるような感覚で、朋代は肩を怒らせながら、ズンズンと進んでいた。肩からかけたバッグを抑え込むのに苦心しながら。

 日曜ではあるのだが、朋代が仕事と変わらぬグレーのスーツ姿でこの会合に赴いたのは、自分がそれだけの覚悟をしている、と相手に伝えるためだ。

 やがて「カフェ・ピッツベルニナ」が視界に入る。朋代はそのまま勢いを殺さずに、ガラス戸を開けて店内に飛び込んだ。

 下調べとして、どういう店内かは検索済みだったので、その開放的な造りに圧倒されることも無い。

 まるで標的を探すように朋代が左右を見渡すと、エプロンを着けた男性が近付いて来た。ウェイターであるらしい。頭を下げながら、朋代にこう告げる。

「――角谷様ですね。席にご案内します」

「あ、あ、はい」

 否定出来ない言葉だけを並べられると、選択肢が自動的に削られて行く事になる。それは何かの機械に巻き込まれたような――

 そんな錯覚が朋代の昂ぶった心を鎮める事となった。そのまま、朋代はウェイターの後に素直に従う。そのまま短い階段を上がると……

「角谷さんですね。俺が青田です」

 声を掛けられる。

 まず朋代はその自己紹介で先制パンチを食らってしまった。いや、先制パンチというならその前にすでに浴びせられてはいたのだ。

 青田の出で立ちがまず尋常では無い。

 アイボリーにピンストライプのスーツ。真っ黒なウエストコートはサテン地なのかぬらぬらと光沢を弾いていた。

 さらに胸元には緋色のリボンタイだ。

 青田自身は髪を七三に固め、わかりやすいほどに定型文に即しようとしている。だが、それは完全に失敗しているのだ。

 控えめに言っても「堅気では無い」。それが精一杯の表現と言うところだろう。

 それは一緒にいた天奈も同じだ。一見、ダークローズのドレス姿にも見えるドレープがたっぷり施されたトップスに、ボトムスは黒のスキニージーンズ。足元は白のハイヒール。

 髪はアップにまとめ、口紅は差し色としてなのかパープル。

 こちらも完全に「堅気では無い」という雰囲気を纏っている。


 ゴクリ……


 朋代は自らの喉が鳴る音を確かに聞いた。階段を登り掛けていた朋代の足が止まってしまう。いや、それどころかそのまま足を逆に動かして逃げ帰りたくなった。

 何よりまず、この状況が朋代をさらに追い込んでいる。位置的にも完全に二人から見下ろされている状態なのだから。

 そうであるのに、朋代を立って出迎えるという礼儀には適っているところに性質たちの悪さが覗き見える。

 天奈は、やはりこういった人間だったのか――朋代の胸には「納得」が去来していた。何やら整合性が確立したような……

「実に、始末が悪い。これが御瑠川の手でしてね。一般的に言うのなら“パワードレッシング”というやり方です。衣服で交渉相手を圧倒する手段です」

「私はここまでやらない。というか私へのイヤミでこんな格好させたんでしょ。これじゃ、逆効果よ」

 だが、その納得を青田と天奈が崩してしまった。

「え? えっと……これは……これは一体何なんですか?」

 パニックに陥る朋代。だが青田は平然としたまま朋代に席を勧める。

「実は、まだ仕掛けがありましてね。――やってみろ」

 天奈は顔をしかめながらも、その指示に従い、この場所の奥まった席に腰を下ろした。そのやり取りだけで、この二人の力関係が見える。

「そして角谷さんはこちらに」

 青田が椅子を引いたのは、その正面。階段を登ってすぐのところにある椅子だ。

 朋代は圧倒されたまま、勧められた席に座ると――

「どうです? 御瑠川のプレッシャーが増すでしょう? 御瑠川はこういった状況を作り出して優位を獲得していたわけです――中学生の女の子相手に」

 青田の説明は親切に過ぎるというものだった。

 想像を働かせる余地は無い。では青田の目的は、天奈に代わっての贖罪なのだろうか? 朋代が青田を見上げる。

 すると青田は再び口を開いた。

「ですが、御瑠川に相談すると言うことは、自動的にこういった状況になることを意味している。それは知らなかったでは済まされない。そういった危機感は持っていなければならない」

 そして、まるで逆の言葉を紡ぐ。

 その非難が向けられた相手とは間違いなく朋代なのだろう。

 今、何かを言いかけた朋代の機先は完全に制されていた。

「そして御瑠川の用心は、果たして正しかった。彼女が抱える問題を複雑化させていたのは彼女自身だったのですから」

「え? ……それは」

「そのあたりは順番に行きましょう。この場所がカフェという、建前は守らないと。この時も何か言ったんだっけ?」

 いきなり、青田の顔が天奈へと向けられた。

 その天奈は肩をすくめながら、台本を読むように応じる。

「“スイートはちょっとしたものなの”」

「実際は」

 間髪入れずに青田が尋ねると、天奈もすぐさま応じる。

「言うほどのことは無いわね。ここのカフェは『場所』がウリだから」

「……という具合に、優位である様に絶えず調整しています」

「ちなみに、こんな風に一人だけ知らない、という状況を作り出すのも“やり方”の一つね。挨拶が遅れたわ、朋代さん。こんにちわ」

 朋代は完全に煙に巻かれていた。

 一体、何が始まるのか――いや、それはわかっている。問題は、説明の角度が予想も付かない、という点だ。

 まず第一に、二人がこんな格好をしている理由が謎。

 あまりに大袈裟……確かにこの「カフェ・ピッツベルニナ」で、亜耶子と天奈は初めて会ったということは知らされているのだが。

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