民主主義の敗北
不穏当な二人(一)
亜耶子が破滅する木曜日の四日前。即ち、夜には亜耶子と朋代が話すことになる日曜日の
御瑠川天奈は走っていた。空振りに終わってしまった土曜日を取り戻そうとするかのように。それが無意味だとわかっているのに。
髪を襟元でまとめ、パールのタートルネック。ブラックのショート丈ジャケット。それにベージュ色のフレアパンツ。
そんな活動的な印象を覚えさせる出で立ちだが、天奈は昨日から動きっぱなしであることは間違いない。
アスファルトの隙間から、伸び放題に伸びている雑草。その上、そのまま雑草が枯れてしまうような荒れた道を天奈は突き進んでいた。胸元のペンダントと方から吊したバッグが踊る。
普段の彼女であれば、ここまで自分の身体を使うことは無い。しかし今、彼女が連絡を取るべく動き回っている相手は最悪の部類だ。天奈自身が出向かないとピクリとも動かないだろう。
だが、ようやく見つけた。
彼女の恋人――即ち「青田」を。
だからこそ見つけたからには容赦しない。挨拶もしない。
「ちょっと来て。ご飯なら奢るから」
「意味が無い。俺はこの店に用があるんだ」
腕を掴んで、天奈が青田を行列から引っ張り出そうとする。
天奈の調べでは、この男はしばらく連絡を絶っている間に何をしていたかと言うと、あろう事かあちこちのそば・うどん店を巡っていたのだ。それも辺鄙な場所にある、電波も通らないような場所にある店ばかりを。
寂れた街中。そんな場所で突然変異のように現れた行列に、青田は並び続けていたのだ。
もっとも連絡が取れなかったのは、電波の問題では無く、青田がスマホの電源を切っていたからだろう。
その青田は今、世捨て人のような状態だ。肩まで伸びた髪に、無精髭。
紺色のパーカーに、アーミーグリーンのパンツ。そのまま「見本」にしたくなるような格好だが、それを青田の姿勢が裏切っていた。
立ち姿が、あまりにも真っ直ぐすぎるからだ。そのまま地球に喧嘩を売っているような姿勢の良さ。そしてぼさぼさの前髪の向こうから覗く目は、とにかく爛々としている。
一言で言えばその姿は「奇矯」。出来れば近付きたくない――この辺りが衆目の一致した見解になるだろう。
「お願いだから後回しにしてくれない?」
それでも天奈は引き下がるわけにはいかないし、下手に出るだけの理由がある。ここで青田につむじを曲げられると……
「ふむ」
幸いなことに、青田はそこまで機嫌は悪くないようだ。さすがに天奈も声の響きだけで、その辺りを推し量れる程には付き合いを重ねてきている。
ここからもう一押しで、何とか行列から連れ出したいところだが、言うまでも無く体格的には及ばない。男女差というものがあり、青田はそれを使うことに躊躇いはしないだろう。
つまり物理的には無理だ。
さらに周囲からの視線が痛みを伴ってきた。天奈の表情に余裕が消えてゆく。
「――それでは、行くとしようか。オードリー・ヘップバーン」
その天奈のいたたまれなさを読み取ったのだろう。青田がとんでもない「名前」で天奈を呼んだ。安易に名前で呼ばない慎重さはさすがとも天奈は思うが、この瞬間の弊害が大きすぎるのだ。
だが、とにかく今は下手に出なければならない相手。ここで意趣返しに俳優の名で呼ぶわけにも行かない。いや本名で呼んだところで青田のダメージにはならないだろう。
だがこれで青田は話を聞いてくれる。そう青田自身が認めたことになるのだ。
天奈は手を離し、先に立って歩き始めた。振り返ることはしない。青田が付いてくることはわかりきった事だからだ。
天奈が青田と共に入ったのは「
だが個室であることは絶対。そして和食という条件を満たそうとするなら選択肢はさほど多くは無い。料亭がどうしても第一候補になってしまうのだ。
そして、個室を求めた事がつくづくまで正解だった事を天奈は思い知る。
「はぁ? 麻の実?」
「そう。熱処理されていないものを七味に混ぜているという話があってな。その店を見つけてみようかと。今のところ俺はかなり暇だし」
「暇は良いけど、何故麻の実なの?」
「戦争と言えば麻薬だろ」
何処からどう切り取っても、不穏当な単語だけで構成されていることがわかる台詞。その発言者は狂人のようにも思えるが、青田は狂っていたとしても、その狂い方までも整理されている。
「それはそうだけど」
そして、その点は天奈も同じだ。
「それで麻を栽培しようと? それは……足か付かないかも知れないけど……いえ、多分ダメね」
「そうだな。流通経路を押さえる方が良いかも知れないが、それは俺の目的とは違う」
青田の目的。
それは「軍師」になること。
特に「劉基」に憧れていて、自らの人生もそれに
そして、青田がもっとも厄介であるのは、その目標に見合うだけの能力を持っている点だった。
「あまり予定を早回しにしてもな。それに麻薬所持で捕まるのはさすがに予定とは違いすぎる。今の状態でもあまり上手くは行ってない」
「……まぁ、そうね。どうやっても上手くは行かないんだと思うけど」
今、二人の前には漆器の椀に入れられた素うどんが並んでいた。
紫檀のテーブルが置かれている、この部屋の広さは十畳はあるだろう。これでも小さい部屋を天奈はリクエストしたのだが。
床の間には癖のある山岡鉄舟の書がかかっている。そして日本庭園が覗ける丸障子。確かに格調の高さが窺い知れるが、それでも器の中は素うどんなのである。
そのギャップが、この会合の異常さを表していた。
いやそれを言うなら、天奈と青田の取り合わせがそもそも異常なのだ。そして異常な二人が話し合うこととは――
天奈は下げていたバッグの中から、ICレコーダーを取りだした。そして再生ボタンを押す。まずは青田にそれを聞けと言うことなのだろう。
青田もまた、うどんを啜りながらレコーダーが再生する天奈と亜耶子の言葉を黙って聞いていた。元々、青田が“誰か”の話を聞くときは、概ねこういう状態になる。
素うどんを食べ終え、つゆを飲み干したは青田の姿勢はますます良くなっていた。
目は伏せられ、その姿は仙人のようにも見える。だが、その脳中で渦巻いているのは、あらゆる「欲」の計算だ。
今回は亜耶子の訴えが「自分で自分を呪う」事についての相談であったせいなのか、普段なら時折挟み込まれる質問も無い。
ただパーカーのポケットに入っていたスマホを引っ張り出して何事かを検索していた。
いや、何事も何も無いと言うべきだろう。
青田が検索したタイミングを見ていれば「丸い櫛」について検索したことは、すぐにわかる。天奈自身もそうしたのだから。
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