成就
翌日、学校の靴箱はいつもの状態だ。
だが亜耶子は上履きを探そうとはしなかった。この時すでに、亜耶子の頭を占めているのは、
――如何にすれば自分を“見えない女の子”に似せることが出来るのか?
なのだから。
今まで誰にも尋ねたことは無かったが、果たして“見えない女の子”の足元はどうなっているのか。
隠された上履きを探すのは、どう考えても“らしく”はない。
靴を脱いで、そのまま廊下を歩いてみる。校則で定められた白い靴下越しに、リノリウムの冷たさが伝わって来る。
その冷たさが“らしい”。
亜耶子は満足した。そして歩いて行く内に、足音がしないことも“らしい”と、それも喜んだ。
笑いながら、廊下を跳ねるように進む亜耶子。
それは現実感の無い光景。周りの生徒たちはいつも以上に遠巻き……いやそれ以上に、亜耶子から逃げ惑うような動きを見せた。
今の亜耶子は、確かに不気味ではあるが、確かに美しくもあるのだ。しかし、このまま見続ければ、心がどうにかなってしまう。
亜耶子を見ることで、そんな恐れが心に湧き起こってしまうのだ。
だが亜耶子にとっては、それは歓迎すべき状態だった。いや、思い出すべき状態といった方が良いだろう。
自分が進む。そして逃げる者がいる。
それが亜耶子にとっては自然な状態。しかもまだ、本格的には始まっていない。
亜耶子は長い髪を振り乱しながら2-Cに辿り着いた。
はぁはぁと、呼吸と心臓の鼓動を並べるようにして。
その段階で、クラスメイトたちはすでに悲鳴を上げていた。だがそれも亜耶子にとっては自然な事。
追い詰めて、跪かせて、嬲る。
それが亜耶子の本能。今まで「呪い」に怯えていたが、自分と「呪い」を同化することで、全ての問題は解決したのだ。
もちろん、それだけでは済まさない。
亜耶子は性懲りもなく汚されていた机と椅子を持ち上げてひっくり返す。到底そんな事は出来ないと諦めていたことが嘘のようだ。
それとも「呪い」と同化したことで、力も強くなったのだろうか?
そうして強引に自分の机の掃除を終えた亜耶子は席に着くと、一転、慎重な手つきで鞄の中から紙の包みを取り出し、さらに丸い櫛を引っ張り出した。
「な、なんであんたが!」
芽依が叫んでいた。
しかし、亜耶子にとってはそんな事はもうどうでも良い。
どれだけ呪いに近づけるか? それが肝心な事だからだ。そして周囲の反応。これもまた亜耶子の望みをそのまま叶えたような。
亜耶子は、満を持して丸い櫛を自らの長い髪に挿した。
「な、なんで……」「どうしてその櫛を」「どうなってるのよ!?」
そんな声が聞こえてくるが、誰なのかはいちいち判別するまでも無い。こいつらに名前はいらない。
ただ怖がっていれば良いのだ。
亜耶子は満面の笑みを浮かべて、教室を見下ろした。
そこからの2-Cは魔境、あるいは地獄。
教室にいる者は、どうしても死を感じてしまう。何しろ、亜耶子がずっと笑っているのだから。教室内の誰もが悲鳴を上げる――それだけでは無い。
教諭に指定されて答えるというような大義名分があっても、構わず亜耶子は笑い続けるのだ。
さらに亜耶子は授業中でも構わずに席を立ち、自由に動き回る。そしてクスクスと笑いながら教壇の上に立ち、席に座るひなを上から睨め付ける。
それどころか、身を乗り出してひなに迫った。
「ヒゥ……た、助けて!!」
ひなは救いを求め、黎子、そして後ろの席に座る芽依の下に逃げて、その膝に縋り付いた。もう頼れる相手が芽依しかいないのだろう。
亜耶子イジメの首謀者である芽依に。その責任を取れと言わんばかりに。
「ば、やめろ、お前! こっちに来るな!」
お嬢様にあるまじき言葉遣いで叫ぶ芽依。ツインテールを振り回しながら、必死になってひなを拒絶している。
それはそのまま「亜耶子」の拒否であったが、その亜耶子は逃げ惑うひなに興味を無くしたのか、冷めた表情のまま落書きされた自分の席に戻った。
一体、何が目的なのか。
わからない。何もわからない。
授業中であるから、もちろん教諭もその場にはいるのだが、青ざめた顔のまま、ただ――何も見なかったように。
亜耶子が見えなくなったかように振る舞っていた。
それがヒントになったのか、そのまま2-Cは亜耶子を見えない存在として扱う事で一致団結した。
亜耶子が笑っても、歩き回っても、覗き込んでも。
全てを無視した。無視しようと努力した――だが、どうしても見なかったことには出来ないのだ。
亜耶子と。
そして、櫛の輝きの存在感がクラスメイトたちの瞳に存在を焼き付け、どうしても無視出来ない。
教室のバランスは完全に亜耶子へと傾いた。2-Cの全てが亜耶子の思惑に左右され、怯え、阿った。
何の根拠もない。ただ恐怖だけで。
――ただ「呪い」だけで。
そして息をするだけで喉が焼けただれそうな思いで胸を満たし、教室の全員が息も絶え絶えになった放課後。
亜耶子はクラスの状態に満足していた。
このままで良い、とさえ考えていた。しかし「呪い」は「呪い」。亜耶子の中の冷めた部分がこの状態の危険性を感じている。
自分自身が呪いに近付いているという感覚は、亜耶子の満足感と危機感を同時に煽っていたのだ。
それは――亜耶子が必要無いと考えていた「贖罪」という知識を呼び覚ます。
そしてその冷静な瞳が発見してしまった。
芽依によって、おさげを引っ張られ泣き叫ぶ琉架を。亜耶子の与えたストレスが芽依を追い詰めたのだろう。
それを見た亜耶子は呼んでしまう。
個々の名前は必要無いと思っていたのに。
「琉架」
と。
そう呼ばれたタイミングと、芽依に蹴られたタイミングがほぼ同時だったのだろう。バランスを崩した琉架が座ったままの亜耶子にぶつかってしまった。
それはほとんど体当たりの勢いで。
琉架は亜耶子の身体にそのまま縋り付いた。それは当然、亜耶子の髪にも縋り付くと言うこと。
ピンッ
櫛を――あの櫛を亜耶子の長い髪に留めていたピンが弾け、涼やかな音が響く。
そしてその音は連続した。
髪をなぞるようにして櫛は亜耶子の髪から舞い上がり、床に落ち、音を奏で――
ピシィ……
櫛は割れてしまった。
“身代わり”になるはずだった櫛が。
壊してはいけないといわれた櫛が。
壊れたらどうなる? 身代わりが亡くなれば――呪いと一体化した自分は……
「ヒィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!!!」
絶叫。
教室を満たす。
生徒たちが逃げる。全てを捨てて。
――そして、残された亜耶子だった“もの”は……
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