櫛(一)

 二日連続の帰宅時間の遅れ。どうやらクラスメイトは言い訳するのを諦めたようだ。田中が心配そうに語りかけてくるが、単純な伝言の行き違いということにしておいた。

 遅れた理由は礼拝堂に寄ったから。

 それを名目に遅れたのだから、当然、亜耶子の濡れて汚れた制服も髪もしっかり乾いている。色々な意味で呆れたお嬢様学校と言うしかない。

 田中と適当な会話をして、学校での異常を悟らせないぐらいのことは簡単だった。

 亜耶子の心は騒がない。学校であれほどのことがあったのに。学校はもう自分の居場所では無くなっているのだろ。亜耶子はもうそう割り切っていた。

 呪いの事もあるし、学校に行くことは無駄――それ以上に危険では無いのだろうか? 

 改めて命の危機を感じて身震いしながら、自分の部屋の扉を開ける亜耶子。

 これ以上は――

 そこまで考えた時、机の上に何かが載っていることに亜耶子は気付いた。

 ある予感を抱きしめながら、それを手に取る。手紙――というよりも、薄い小包のようなものようだった。送り状に記されている名は自分の名と「御瑠川天奈」。

 思った通りだ。天奈は何かを掴んだのだろう。

 出来れば情報のような物では無く……そうだ。これは小包なのだ。

 情報を送るだけなら、こんな手間を掛ける必要は無い。

 さらなる期待を込めて、亜耶子は小包を開けた。中に入っていたのは、折りたたまれた便箋と、紙の包み。

 亜耶子はすぐにも包みを確認したかったが、天奈の書く字にも興味がある。礼儀的に考えて、亜耶子はまず便箋から広げていくことにした。

 便箋は当たり前にファンシーな物では無い。むしろ事務的と言える物だった。ルーズリーフにそのまま挟んでも違和感が無いような……

 そこに失望した亜耶子であったが、次に筆跡を確認。こちらもまた、女性らしさが感じられない事務的なもの。亜耶子は、今度は逆に天奈に対して、優越感を感じた。

 その字からは「大人」という感覚を得られなかったのだ。ボールペンのかすれ具合も気に掛かる。

 そしてその内容は――


「亜耶子さんへ


 まだ周囲が何を隠しているのかはわかってないわ。

 でも、おおよそのところは掴んでいるし、順番がおかしくなったけれど呪いへの対処法が先に判明したの。」


 対処法? それはまさに亜耶子が待ち望んでいたものだ。ということは紙の包みが、その対処法に必要な何か?

 先に便箋を開いたのは正解だったようだ。

 包みを広げてみたいが、読み進めることを優先する。


「ヒントというのもおかしな話だけど、鍵は最初からあったの。

 それは櫛よ。」


 バサバサバサ……

 そこまで読み進めた亜耶子は便箋を落としてしまった。手に力が入らない。冷や汗が吹き出す。

 足からも力が抜けそうになるが、それだけは堪えることが出来た。

 誰に見られているはずは無いのに、思わず周りを気にして部屋の中を見渡す。当然誰もいない。

 いないはずなのに……亜耶子は思わず自分の身を抱きしめた。いつまでもそうしていたい。できるなら、そのまましまい込みたい。

 ……見なかったことにしたい。

 だが、それでは「呪い」への対処法はわからないままだ。だが紙の包みの中に収まっているのは、間違いなく“あの”櫛だ。そう亜耶子は確信している。

 大きさ。薄さ。そして重さも同じ。

 今までは単純に紙の包みと考えていたが、紙の質から随分普段見る物とは違う。奉書紙ではあるのだが、もっと細かい。漉くときによほどの仕事が行われたのか。

 亜耶子が持っている天奈のイメージには、こちらの方が近い。

 そのイメージに助けられるように、亜耶子は震える手で包みを開いた。

 途端、見覚えのある光沢。黒い漆器のような輝きに、朱い色で雲だろうか。あるいは花びらだろうか。そういった模様が描かれ、蒔絵も施されている。

 間違いない。

 “あの”櫛だ。

 あの櫛は、元の家に残してきたはず。それは間違いない。封印するかのように。

 では天奈が手を回して、引き寄せたのだろうか? 出来るはずがない、とも思うが得体の知れない部分がある天奈のことだ。

 もしかして、という可能性がある。そして、引き寄せることが出来たということは……

 救いを求めるように、亜耶子は先程取り落とした便箋を拾い上げる。

 そのまま縋るように便箋の端を握りしめる。亜耶子の目が充血していた。この先に、知ってはいけない――知られてはいけないことが書かれているのではないかと。

 それが記されてない事を望む。

 一方で、知られて欲しくないこと以外が記されていることを望む。

 そんな無茶な事が――亜耶子の視線が文字の上を滑る。


「同封の包みの中に、櫛が入ってるわ。

 似ていると良いのだけれど。」


 ……似ている。

 その文字だけで、亜耶子は安堵出来た。

 似ている。それは即ち「本物では無い」と言うこと。

 亜耶子が天奈に伝えた櫛に似ている物を探したのだ。決して取り寄せたのでは無い。取り寄せた物なら、似ているかどうかなんて気にする必要は無いのだから。

 亜耶子は胸をなで下ろして、続きを確認した。

 こうなると逆に天奈の思惑がわからなくなったからだ。


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