大人
結局、この週末には何の動きもなかった。
自宅への無言電話なども警戒していた亜耶子であったが、結局何も無かった。布施が独自に対処している場合もあるが、それを自分から確認するようなことは出来るはずもない。
先週末には天奈との会合があったわけで、それを思い出すとたった一週間で、随分世界が変化したように感じる。
その天奈からの連絡はなかった。やはりあの学校関係は手こずるものらしい。自棄になったりするのなら、それはそれでやり様はあるのだろうが、何しろ正体を掴ませない。
成果を上げるよりも、正体を掴ませないことを優先させている感覚がある。これでは力押しとは言っても、どこに力を込めれば良いのかわからない。
そんな事を考えながら、亜耶子は土曜日を過ごした。もちろん、美和子には学校での出来事を話すことは無い。話してどうなるのか? という思いが先にあったのは確かではあったが、やはり大した事は起きていない、という思いも亜耶子の中にはあったのだから。
幾つか出ていた課題を片付けて、予習もやっておく。あの学校で、勉強以外の事は全て空振りになるのだろう。だとすれば、成績だけは――数字だけは残しておきたいと亜耶子は判断したのだ。
そして日曜日。それも終わりかけになった時間帯になって、朋代が帰ってきた。
そう言えばいなかったな、ぐらいの感覚しか亜耶子は無かったが、勉強し通しで少し休憩が欲しかった亜耶子は、朋代に付き合って居間でテレビを眺めることにした。
もうお風呂も済ませていた亜耶子は、ライトグリーンのパジャマ姿だ。朋代も週末の間、何処に行っていたのかわからないが現在は大きめの柄シャツを羽織っているだけだ。
それなのに観ている番組は大河ドラマなのである。その古くささに亜耶子は朋代に角谷家の因習を感じた気がして、どうにもイヤな気持ちを覚えた。
だが、それも俳優の表情に一喜一憂して、スマホを懸命にスワイプしている姿を見てしまうと逆に幻滅に似た感情を覚えてしまった。ドラマの内容はあまり関係無く、出演俳優の容姿にしか興味が無いらしい。
だが、それは確かに亜耶子の持つ朋代のイメージそのままの姿だった。ため息をつきながらも、それで亜耶子は狙い通りに心を休めることが出来たわけだ。
そのまま亜耶子がドラマを眺めていると、主人公は何だか孤軍奮闘している。見る限りそれは、主人公が意固地になっているように思えてきて、亜耶子は折角の休憩が台無しになる思いを味わうことになった。
最初から、俳優の容姿だけを追いかけていた方が良かったのか――それもまた社会人の心構えだったのだろうか? そしてドラマ本編が終わったタイミングで、朋代がまたぐるりと振り返った。
「ね? 天奈さんから連絡あった?」
そして、前と同じ呼びかけ。よほど天奈のことを気に入っているらしい、と亜耶子は苦笑を浮かべながら返事をすることにした。
「あったよ。彼氏さんの話をいっぱい聞いた」
「いっぱい!?」
朋代は振り返るだけでは収まりが付かなかったようで、身を乗り出して亜耶子が上半身を預けているちゃぶ台に襲いかかって来た。
それに引きながら、亜耶子は応じる。
「そ、そんなに気になる?」
「そりゃそうよ。どうしたら、あの人と付き合えるんだろうって、そこは素朴な疑問だし」
その朋代の物言いから、朋代もまた天奈についてはただ憧れている、尊敬しているという評価では無いことが見て取れた。
その辺りに話の舵を切りたくなった亜耶子であったが、まずは天奈の彼氏について説明してみる。こちらも興味がある事は間違いないし、実在を疑ってさえいるのだ。
朋代も話を聞いているようだし、二つ並べてみたいという思いがあった。
しかし説明しようとしてみると、自分の疑いを裏付けるように、まったくとりとめのない人物像が出来上がってしまう。
「ああ、年下なんだ。それならそれもアリかなぁ」
ところが朋代は、初めて知ったと思われる、相手は年下という情報に納得してしまっていた。
「アリって?」
「天奈さんって、しっかりしてるでしょ? そういう女の人が、信じられないぐらいおかしな男と付き合っているパターン、結構見かけるのよね」
「そう言えば、ダメって言いかけて……それをすぐに取り消したけど」
「それは亜耶子ちゃんだからじゃないかな? 実際はダメに間違いは無い、みたいな」
そう言われると、確かにそんな感じの話し方だったような気がする。亜耶子は、あの時の天奈の言葉を思い出しながら、逆に朋代に尋ねた。
「叔母さんはどんな話を聞いてるの?」
「切り札だって」
「切り札?」
「具体的な事はもちろん教えてくれなかったんだけど、劇薬なんだって」
毒か薬。
確かに天奈は彼氏を評価するときにそう言っていた事を亜耶子は思い出した。
まったく違うタイミングで、ほぼ同じ表現をしているのだから、実在は間違いないのだろう。
朋代は火が点いたのか、あれこれと勝手な推測を並べ始めていた。その中で一番耳に付いたのは、俳優の誰に似ているか? という部分だ。
亜耶子にはあまり重要なものだとは思えなかったが――天奈は気にしないだろうという推測で――確かに想像を巡らせやすい部分だ。
亜耶子も、名前はわからないが、如何にもダメそうな俳優を想像してみる。そうなると容姿は整っていた方が説得力が出てくるのか、と一人で納得していた。
「……ああ、でも良かった。天奈さんとそういう話出来たんだね」
いきなり、朋代の声のトーンが変わった。不意打ちを受けた形になった亜耶子は、マジマジと朋代を見つめてしまう。
「亜耶子ちゃんの問題って、そういう恋愛関係のことだと思ってるのよね、私」
「え? え?」
「そういう話って身内には、しにくいものでしょ? それで天奈さんにそういう風に忠告してもらって、私はそう思ってたんだけど……違うの?」
「それは違う……ね」
亜耶子としてはそう答えるしか無い。そうなると当然の流れとして――
「それじゃ、問題は?」
こう朋代に尋ねられることになる。亜耶子は覚悟を決めた。
「まだ……御瑠川さんから、方針の変更をするって言われたところ。ちょっと、難しい部分があるみたい」
「そうか~そんなにややこしくなってたんだね。それじゃ、亜耶子ちゃんが勝手に好きになられて、その彼女がやっかみをかけてきてるとか? 私も色々考えてはいるんだけどねぇ。これもやっぱり身内が出ちゃうと難しくなっちゃう可能性が結構あるから。それに……例えばだよ? 亜耶子ちゃんが行ってる学校って、基本的にお嬢様ばっかりでしょ? 問題がそれに関係してるとなったら、それで家同士の諍いになちゃう可能性もねぇ」
「あ……」
朋代がこれほどに自分の事を考えてくれていたこと。そこがまず亜耶子に驚きをもたらした。だが、そもそも亜耶子に天奈を紹介したのは朋代なのだ。家同士の諍いになることを考えた上で。
朋代もやはり“大人”なのだ。その事実にどうしようも無く苛つく亜耶子。
だが、もう一つの気付きは、亜耶子に納得をもたらしていた。
――あの学校の生徒は基本的にお嬢様ばかり。
亜耶子が知っているイジメにならないのは、それが理由だと考えると色々説明出来そうだ。あの瓶の底に溜まりきった澱のような――亜耶子が嫌いで嫌いで堪らない、煮え切らない空気。
亜耶子はその正体が見えた気がした。
「お? もしかして当たった?」
亜耶子の様子を見て、朋代がおどけながら話しかけて来るが、亜耶子はもちろん首を横に振った。あるいはそれは亜耶子なりの礼だったのだろう。
その問いかけを肯定してしまえば、朋代はそれで納得するはずだから。これでこの話を終わらせることも出来る。
しかし真摯であるのならば、やはり否定するしか無かった。さらにもう一つ確認したいことがあったことも亜耶子が首を横に振った理由だ。
「叔母さん、あのね。御瑠川さんのことなんだけど……」
「うん? なに?」
次に観るドラマの時間が迫っているのか、朋代の集中力が途切れてきている。
「御瑠川さんって、もしかして怖い……人?」
亜耶子がそう尋ねたときの朋代の表情。それこそが、今まで亜耶子に見せたことが無い“大人”としての朋代の表情だった。
その表情を見ることが出来ただけで、亜耶子の心は昂ぶった。
朋代のこちらを探る表情。戸惑った表情。そして嫉妬。そんな感情を見せるのは相手が“大人”だからこそ。――つまり対等だ。
「ど、どうしてそう思うの? 何か聞いたの?」
「ううん。ただそう思っただけだから。今も、わたしのために色々やってくれてるんだから、わたしが怖がってるわけじゃ無いし」
「ああ、そうか。そうなんだ。うん、そう思ってくれるなら大丈夫だよ。実際、時々私もそう感じることはあるけど、それも天奈さんの魅力だと思うし」
「そうだね」
言い訳じみた朋代の言葉。あっさりとそれを受け流した亜耶子。
その構図を感じ、亜耶子は再び昂ぶった。あのクラスメイトの間を悠然と歩いた時のような、凱旋気分を味わっていたのだ。
亜耶子はそれを感じながら、ゆっりと立ち上がった。そして当たり前の挨拶を、勝利宣言のように告げる。
「それじゃ叔母さん。もう少し、勉強するよ」
「お、頑張ってね。それじゃ、おやすみ~」
返ってきた朋代の言葉には、さっさと自分から逃げたい――そんな含みがある様に亜耶子には思えた。
もちろん、それを指摘したりはしない。
何しろ亜耶子は“大人”なのだから。
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