始まり(一)
翌日、さらに天候は回復した。秋晴れという言葉に相応しく、加路女学院の校舎内にも爽やかな陽光が差し込んできていた。まるで光から、清らかな香りが漂っているようにすら感じてしまう。
亜耶子は一番後ろの席で、教室全体を視界に収めながら、実際には差し込んでくる光にだけ興味を覚えていた。今はとにかく待つしかないとしても、天奈は確かに頼りになるし――何か怖い面があるとしても――今が何もかもが悪いというわけでは無い。
いや、そもそも現状は悪いのだろうか? そんな根本的な部分にまで疑問を差し込むことが出来る。
確かに、この教室はおかしい。それは確かな事だ。今も視界の隅でクラスメイトたちはおかしな動きをしている。時には小さく悲鳴を上げたりもしている。
そして社会担当の教師も、それを綺麗に無視して授業を進めていた。この教室がおかしい、というよりも学校全体がおかしいのかもしれない。
そして、この学校は美和子が無理をして、亜耶子が通えるようにしてくれた学校――あれこれと複雑な情報が絡まり合って、何が真実かがまったく見えてこない。
むしろ調べれば調べるほど、複雑さが増しているように思える。天奈はそれでも目標を定めたようだが……
とにかく心を強く。
それだけは間違いない。だから今、亜耶子はこのクラスに溶け込めずにいることをむしろ誇りに感じていた。部外者であるからこそ、ここまで自分は超然と出来る。
だから呪われていたとしても――やはりそれはどうと言うことは無いのだ。
今日の最後の授業は「音楽」だった。当たり前に別教室になるので、教科書、ノートに筆記用具を抱えての授業も終わり、再び一式を抱えての移動だ。
午後になっても天気は崩れることも無く、廊下に面した窓から差し込んでくる光は変わらず爽やかなままだった。僅かな高さの違い――音楽室は四階にある――でどうと言うことは無いだろうが、より明るくなったような印象がある。
こういう天気の時には、放課後にどこかに寄っても良いのでは無いだろうか? 田中に頼めば、何とかなるかも知れない。亜耶子の心は浮き立っていた。
天奈が事態が週末に重なることが幸運かも知れないと言っていたが、亜耶子も今そんな感覚を味わっていた。学校という施設が停止するのだ。そして物理的にも亜耶子は教室にも近付かなくても良い。
もしかしたら週明けには天奈からの連絡が――
「深草さん、ちょっと良い?」
背中から声を掛けられて、亜耶子が反射的に振り返ると、そこにいたのはひな。そして琉架だった。
「ん? 何?」
その言葉もまったく反射的に、亜耶子は口にした。それは機嫌が良いようにも思えるが、実際の所は興味を無くした、と言った方が正確なのだろう。
ひなと琉架が今までとは違う亜耶子の様子に気圧されたのか、その場で硬直してしまっていた。亜耶子はそんな二人を不思議そうに眺めてから首を傾げる。
亜耶子の長い髪が揺れた。光をすかして黄金色に輝く。
「――何も無いなら行くけど」
「そ、そうじゃなくて、亜耶子ちゃんが止めないんなら、何か協力出来ないかと思って」
琉架も何かに突き動かされているかのように、一気にまくし立てた。
「協力って……それなら六月に何があったか教えて?」
そう亜耶子が尋ねた途端、さきほどの勢いを逆転させるように、琉架が「ヒィ」と悲鳴を上げて、バタバタと後退った。
そんな様子を冷めた目で見ていた亜耶子はゆっくりと振り返る。その視界の中に並んでいるのは、今から教室へと帰る
それを確認した亜耶子は再び琉架に向き直ると、こう告げた。
「やっぱり、わたしには見えないみたい」
だがそれに応じたのは、ひなだった。
「ち、違うよ。そうじゃなくて……最初からいないから。ただ六月の事についてはわたしたちも協力出来るんじゃ無いかって……深草さん、六月の事知っていたの?」
「具体的には何も。ただ、それを気にして調べている人がいるから」
その言葉に、二人の顔色がますます悪くなった。汗すら噴き出している。
「あ、あの……それはどういう……事?」
「どういうことも何も」
それでも必死に声を絞り出した琉架に、亜耶子はあっさりと声を返す。
「この問題をわたしが一人だけで、対処するはずは無いでしょう? 当然、助けてくれる人はいるわ。何だか怖い部分がある人だけど、それだけ頼りになるって言うか……」
「そ、そうなんだ。じゃあ、わたしたちの協力は……」
「助けてくれると言うなら、それはありがたく思えるけど――六月に何にかあったとして、見当は付く?」
天奈が、こんな風なあやふやな質問を繰り返しているらしいことを亜耶子は覚えていた。今度は力技を使うとのことだったが、亜耶子には無理な話だ。だが、尋ねることは出来る。
この学校でで何が起こったのか?
そして天奈の見込みは確かに正確だった。確かに何かあった。そして、それを知る者の口が重くなることも。
亜耶子は二人の変化を正確に読み取り、見下ろすような冷笑を浮かべた。
所詮、自分についてこれる者は誰もいないと。亜耶子はそう見切ったのだ。
そして二人を置いて、教室への帰り道を進む。まるで凱旋する将軍のように。周りに点在する、クラスメイトたちを置き去りにして。
そして、自分の席に戻ってきた亜耶子は気付く。加路女学院の古めかしい机、その机の中から“何か”が溢れている。そう“何か”。得体の知れないもの。有り体に言えば、それはゴミでしか無い。
そしてさらに教室の後ろに並んでいるロッカーにも目をやる亜耶子。すぐに、その可能性に気付いたのは、亜耶子は知っているから。
そして亜耶子のロッカーにも確かに、ゴミを詰め込まれたような跡がある。元々、プライバシーなどの意識の薄い学校だ。逆に施錠をしていたら、何を言われるかわからない。
だが結局のところ、同じ状態になってしまった。
――“イジメ”が始まったのだ。
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