穴の奥には(二)

『その手応えが全く無い……うん、そうね。他に言い様は無いわね。何を言っても言い訳になってしまう。ただ、口を噤んでいるポイントはほぼ間違いないのね。これもまた、振り出しに戻ってしまうんだけど、六月辺り』

「六月……」

 浮かされた様に亜耶子は繰り返した。

『そう。ポイントがわかるのは良いことのようにも思えるけれど、六月と言いだした段階で、相手は警戒を強めるのよね。それで遠巻きに聞こうと思ったら、その場所に辿り着けない』

「あ、あの、凄く手間が掛かってしまったんじゃ」

『私はお願いするだけだけだから。何人かは直接話を聞きに行ったけど』

 あっさりと天奈はそう答えるが、それだけで天奈の持つ力――影響力や伝手といったもの――を感じて、亜耶子は沈黙を選ぶことしか出来なくなってしまった。

 ディスプレイ越しの、この女性は本当に――得体が知れない。

 そしてこのタイミングで、天奈はさらに亜耶子を追い詰めるようなことを口にする。

『そうなると、こちらの目的は知られているという前提で事にあたらないといけなくなるの。これは“たられば”になるんだけど、これほどの抵抗に会うことなるのなら、最初からもっと慎重に接触したのに……そういうことになってしまうわ。残された手段は、力押しになると思う。時間も重要だし』

「ち、力押し?」

『ああ、ごめんなさい。乱暴な言葉を使ってしまって。でも……大体はそんな顛末になると思うわ。後から考えるならね』

 天奈はそこまでの覚悟がある――それだけの力がある。それを突きつけられて、亜耶子は椅子ごと床に沈み込みそうな恐怖を覚えた。

 一体自分は誰に相談したのか? そんな後悔に似た感情が亜耶子の心の内を波のようにさらってゆくが、その波が引いたあとに残った物は……

『ああ、怖がらせてしまったみたいね。大丈夫、私は亜耶子さんの味方だから』

 そうだ。どんなに恐ろしい力を持っていても、天奈は味方なのだ。どんなに恐ろしくても、その牙が自分に向けられるわけではない。

 亜耶子が冷静さを取り戻すために、心中で何度も繰り返したのは、

 ――天奈は味方だ。

 という単純な言葉。

 そして、そんな亜耶子の胸の内を見透かしたように天奈は笑って見せた。しかし牙を隠すように歯は見せない。

『――亜耶子さん、今日のファッションは随分印象が違うわね』

 そして、いきなり話が変わってしまった。

「あ、あ、これは叔母さんに」

『なるほど、そういうことね。朋代さんはそういう服が好きだったんだ。私が会うのは仕事の間だけだし』

「そ、そうなんですか? お友達とばかり……」

『そんな風に朋代さんが言ってくれているなら、嬉しいわ。友達少ないのよね、私』

 意外な告白を聞かされたように亜耶子は感じたが、同時にどこか納得してしまう部分もある。

 それにつれて随分と自分が落ち着いて来ている事を亜耶子は感じていた。そして最初に感じたように、天奈がプライベートを明かしてくれたことを嬉しく思う。

「あの……今はご自宅なんですか?」

『わかっちゃう? そう。私の部屋よ。何だかあんまり帰ってない気もするけど、住所が無いと社会人は色々大変なのよ』

 そう言って、天奈は珍しく声を立てて笑った。亜耶子は、それにつられた様に思わず尋ねた。

「あ、あのそれは、彼氏さんも?」

はダメ』

 その問いに、天奈は即座に斬って捨てた。感情むき出しで。そして何の遠慮も感じられない。

『今も別に一緒に住んでないんだけど、アレは無理だと思うわ。形から入る人でね。住むところについても凄くおかしなリクエストがあって』

「はぁ」

 亜耶子してはそう応じるしか無い。形から入る、という表現には嫌悪感しか無いが、その点は天奈も同じらしいと感じられる。問題は、そういった相手と天奈が付き合っているという点だ。現に、一緒に住もうとはしているらしい。

『とにかく変人。それなのに本人は“普通だ”と言い張るものだから、その時点でかなりイラッとするわね』

「あの……では何故?」

 これは、尋ねるしか無いだろうと亜耶子が思いきってみると、

『パートナーがいた方がね、何かと都合が良いときもあるのよ。その点はアレも同意見で……社会に出るとね。どうしても』

 ひどくドライな意見を聞いた気になる亜耶子だが、それはそれで納得できる理由でもある。

「随分、年上の方なんですね」

『ううん。私の一つ下。今大学生。単位は十分みたいだけどね。その先の計画がまた無茶苦茶で――』

「え? と、年下? が、学生なんですか?」

 天奈の言葉を遮る形になったが、亜耶子にしてみれば抑えきれなかったのだろう。今までの天奈の話が根本からひっくり返されたように感じたのだ。

『そうよ。本当にアレは……』

「そ、それじゃ、社会人も何も……」

『だから、社会人のフリが出来るという話。基本的にはダメな大人……とも言い難いし……』

 天奈は何処かしら得体の知れない部分がある。だが、そんな天奈をこれだけ引きつけている相手とは一体何なのか?

『まぁ。あまり気にしないで。アレは毒にも薬にもなる人で、学生の間は毒にしかならない人だから』

「そんな……」

『あんまりおかしな人だから、話に出すだけで、話の間の気分転換には使えるわね。そこは“薬”かもね』

「あ……はい。そうですね。何だか落ち着きました」

 確かに良い具合に話がそれたという印象はある。誤魔化されたと言い換えても良いかも知れない。

 もしかしたら、存在自体をほのめかすことで天奈の武器になるという、想像の産物であるかも知れないが、それならそれで天奈の怖さが上乗せされるだけだ。

 そして、その天奈は味方。

 僅かな間のやり取りではあったが、プライベートな情報を開示してくれたことで、亜耶子はそれに確信が持てるようになっていた。

『じゃあ、話を戻すわね。私は六月に、あの学校で“何か”があった事はほぼ確実だと思ってる。それと、亜耶子さんに向けた呪いが結びついた』

「あ、でも呪いは……」

『そうね。まだ十分に説明出来ない。それに私はもっと酷いことを考えているの。六月にあった何かの事件で発生した悪霊のようなものを、結びつけたのでは無くて

「利用……それだと確かに……」

 色んな事が説明出来る。亜耶子はそう感じた。

『もっと酷い方法も考えたんだけど、さすがにそれは無いと思う。順番の問題で』

「もっと酷い?」

『そう。元々呪いを強化するために、悪霊を発生させるような事件を起こした、という可能性。でもこれは考えにくい』

「でも……それを言いだしたら……」

『そうね。その呪いが亜耶子さんの姿――櫛を挿していた理由がわからない。だから力押しを選ぶしか無いの。捕まえてみればわかる、って奴ね』

 一瞬納得しかかった亜耶子だが、その考え方の前提にあるのは――

「わたしが……呪われているってことが……」

『そういうことになるわね。でも、それは言うまでも無いことだけど亜耶子さんが悪いということにはならない』

 確かに理屈はそうなるわけだが……

『とにかく、もうしばらく頑張って貰わないといけないみたい。今度は週末に重なりそうなのが幸運になるかも』

「力押し、ですね?」

『そう。その通りよ』

 今度は、やけに妖艶な笑みを浮かべる天奈。

『こういう事は簡単に言うべきでは無いことはわかっているつもり。でも、亜耶子さん。隠そうとしている事があることは確かな事。確かにそれで面倒な話になっているけれど、逆に考えれば、その向こう側に何かがあるってこと』

 その通りだ。亜耶子は力強く頷いた。確かにに弱みはある。

 だが、その相手とは――しかし天奈は……

 とにかく大事な事は、心を強く持つこと。それだけは間違えようのない真実。

 亜耶子はそう強く確信した。

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