穴の奥には(一)

 そして翌日の学校ではまったくの無駄な時間が積み重なることになってしまった。何しろ、何処から手を付ければ良いのかもわからない。亜耶子は冷めた目で教室を見回しているだけだった。

 “見えない女の子”については、教室内のあちこちで出現しているようだが、実際問題として亜耶子には、その女の子の姿が見えないのである。髪に挿していると言われている櫛ももちろん。

 それなのに教室のあちこちで悲鳴が上がるようになっていた。ひなが目撃したという、恐ろしい顔の女の子。そういった女の子も出現しているのだろう。だが亜耶子にはそれは見えない。

 見えるのはただ、自分を睨むクラスメイトの眼差しだけだ。

 同じ顔をしているらしいから、それで自分が巻き込まれただけ、と言い返せば良いような気もするが、それでは解決にならないだろう。

 何故同じ顔なのか? それを説明出来なければ、何もかもが絵空事だ。

 だが果たして、自分がそれを説明しなければならないのか? と亜耶子は思ってしまう。それほどに怖いのなら、自分たちで「説明」を探せば良い。

 その「説明」を自分に差し出してくれたのなら、そこから先は自分で受け持ってもいい。そこまで譲歩しても良い。

 だが実際には、2-Cの生徒はただ怖がるだけ。そして亜耶子を睨むだけだ。琉架もひなも亜耶子の視線を避けるように身を小さくさせていた。「呪い」が問題の中核部分だとして、それは確かに新たな段階に至ったらしい事がわかる。

 だが二人のリクエスト通りに、亜耶子自身は積極的に動いていないのだ。またしても、順番がおかしい。

 昨日の成果の無い資料室のでのやり取りも見透かされているとでもいうのだろうか? 

 思わす鼻で笑ってしまいそうになる亜耶子。教室に居続けることさえ無益に感じてしまう。

 代わりに、というわけではもちろん無いのだが、新堂圭子、江波珠恵、田名部黎子、鈴原芽依からは特に険しく睨まれていた。

 だが亜耶子にとってはそれも些末な問題だ。それで「問題」が解決するわけでは無いのだから。

 結局、この日はただそんな無駄な時間を送っただけで終わってしまった。亜耶子は終業のチャイムと共に教室を出て帰路についた。

 昨日とはまったく違う、学校を打ち捨てるようなやり方に、胸がすく想いを感じる亜耶子。それは成果と考えて良いのかも知れない。そう亜耶子は考えた。

 その感情の裏側には美和子の思いを裏切った、という快感がある事に気付きながら――


 そして亜耶子にとっての木曜日が始まったのは、残り三時間を切ったあたりからだった。天奈からの連絡。それが訪れたのだから。

『もしもし、亜耶子さん? そちらの調査はどう?』

 ディスプレイに映ると同時に、天奈はそう語りかけてきた。

 今日の天奈は髪こそアップにしているが、随分襟ぐりの広いベージュ色のセーター姿だった。薄化粧は変わらないが、アクセサリーは身につけていないようだ。プライベートな出で立ちであるのかも知れない。

 亜耶子もまた、柄物のオーバーシャツ姿だ。お互いにそういう姿を見せ合うことが出来たという事で、天奈との関係もまた一段進んだと感じる亜耶子。

 だが天奈の表情は冴えない。

 すぐに亜耶子も気を引き締めた。

「は、はい。一番女の子を見える子に話を聞いたんですけど、それはあんまり……」

 亜耶子は出来るだけ丁寧に資料室の顛末を報告した。

 聞き終えた天奈の表情はやはり険しいままだ。

『確かにその通りだわ。順番がおかしいわね……ごめんなさい。こんな状況なのに私の方も成果があまりないの』

「そう……なんですね」

 その連絡に、どうしても失望の色を隠せない亜耶子。それは同時に、亜耶子の中で天奈に対する嘲りのような感情も芽生えたことを意味していた。

『こうなると、教職員……それか理事にあたってみないと』

 そんな亜耶子の心の動きには気付かなかったのか、天奈は伏せた眼差しのまま、ディスプレイの向こうで独り言のように呟いている。

「え……? 先生ですか?」

 その天奈の言葉に、亜耶子は虚を突かれていた。亜耶子自身は、もう調べる伝手が無くなったと考えていたからだ。

『ええ。そうね。最終的な目標を先に言って置くわね。六月辺りに何があったのか?  それを中心に探ろうと思ってる。とにかくその辺りで情報が途絶えるから』

「え? それは……」

『ハッキリとは言ったわけでは無いけれど、亜耶子さん、そんな風に感じたんでしょ? 木ノ下先生の証言を。誰かが死んだんじゃないかって』

 そうだった、確かにそう感じたからこそ、自分はこれほどに怯えていたのに。

 何故、今まで忘れてしまっていたのか。考えたくはなかったが、死に怯えてしまった自分が勝手に無かった事にしてしまったのか。

 自分に似ているモノが死んでしまっている――それこそが「自分で自分を呪っている」と思ってしまった中核なのに。

 自分の迂闊さに、どうしよう無く苛立つ亜耶子。天奈は亜耶子のその変化に気付いたようだ。ただし、何故そうなったのか? という部分は勘違いして。

『確かに隠そうとしている事に亜耶子さんが怒ってしまうことは仕方ないと思うわ。でも、ここで冷静さを失っちゃダメ』

「わ、わかってます。お、“大人の対応”ですよね?」

 天奈の勘違いに付け込む形で、亜耶子は何とか取り繕った。そして、それを補強するために尋ねてみた。

「情報が途絶える……ていうのは何でしょう?」

『ああ……わかりにくかったわね。私の感覚だけの話だから。その辺りから、細かく説明するわね。まず、人を辿っていく、というやり方に変えるって話はしたと思うんだけど――』

「はい」

 その時の天奈の姿を思い浮かべながら、亜耶子は頷く。

『六月辺りに何かあったのか――? 投げかけている質問内容はそんな風にぼやっとしたものだったの。それでその辺りを知っている後輩、教諭、それに出入りの業者。大体こんなところね。そういう人と接触出来る人に“お願い”して、色んな角度から探ってみたんだけど』

 それを聞いて、亜耶子は戦慄という言葉の意味を知った。“天奈は凄い人だ”と、そんな感想だけで本当にあやふやに亜耶子は考えていたのだ。

 だが、実際に何が出来るのかを具体的に示されたことで、亜耶子は想像してしまったのだ。そのやり方を自分に向けられる可能性を。

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