虚ろには虚ろで

 角谷家の夕食――いつもと変わらぬ光景、と言いたいところだが今日は朋代もいた。どこかのイベントに手伝いにいったあとに直帰になったということらしい。前から決まっていたスケジュールであったので、布施もそのように段取りしていた。

「ああ、やっぱり良いなあ。家のご飯は。知ってる? プリの照り焼きって外で食べると、かなりするのよね」

 グレーのトレーナーに、ジーンズという油断しきった格好の朋代が、ぬたの酢の物をつまみながら詠嘆した。

「そういう金銭感覚が身についたことは嬉しいけど、少しは自分で料理をしなさい。別にお嫁に行けなくなるとかは言わないけれど。将来的に困るのは自分自身よ」

 答える美和子は変わらず和装姿だったが、今日は機嫌が良いようだ。普段よりは笑顔が見える。

「この日本でそんなの説得力ないって。何でも簡単に用意できてしまうんだから」

「開き直らない」

「姉さんも作らないじゃない?」

「元々、この家は布施さんに任せてあるのよ。それで私があれこれと口出しできないでしょ」

 二人の会話を黙って聞いていた亜耶子は「やっぱりお母さんは、引っ越すつもりがあるんだ」と胸をなで下ろしていた。それをきっかけにして、問題が片付いてくれれば、とも考えるが予定ではそれは年が明けてからのことになる。

 それまでこの状態のままで良いのか……何とも判断に迷うところだ。酢味噌がダークグリーンのスカートに付かないように、若干“迎え舌”になりながら、亜耶子はぬたを口の中に収めた。上はネルシャツにクリーム色のベスト。やはりどちらにしても酢味噌をこぼして良いというわけではない。

 だが、それに気を取られている風に装えば、無理に団欒に参加することもないだろう。亜耶子はそういう思惑もあって、慎重に食事を進めていた。

「そうだ。亜耶子ちゃん、なんだっけ? 教会に顔を出したんだって?」

 だが、いきなり朋代が亜耶子に話を振った。朋代は最初に亜耶子の異変に気付いた事からもわかるように、決して鈍い女性では無い。今も美和子と亜耶子の間にある空気を察して、何とか場を繋ごうとしている様だった。

 そして亜耶子もそれを察して、朋代の問い掛けに応じる。

「うん。学校の敷地内にある施設で、正確には礼拝堂って言うみたいなんだけど」

「はぁ~、そういう施設があるなんて、さすがミッション系。姉さんも娘可愛さで随分無理したんじゃないの?」

「え?」

 亜耶子は思わず声をあげた。箸も止まってしまう。

「朋代はまったく……そんな事、母親なら当然のことよ。ああいやだわ。そういうお説教はしたくないのに、このままだと『佳い人はいないの?』とか尋ねてしまいそうになるわ」

「ああ、確かにそうかもね。よし、この話はやめ! それで、どんな礼拝堂だったの? 亜耶子ちゃん」

 美和子の反応に意外なものを感じていた亜耶子は咄嗟に反応できなかった。顔を上げてみると、美和子も何だか興味深げに亜耶子を見つめていた。

 礼拝堂に顔を出すという亜耶子の申し出に、一も二も無く応じた美和子である。そのままシスターにでもなることを期待されているのだろうか?

 そう考えた亜耶子は慎重に言葉を紡いだ。

「……わたしが見たのは外観だけで……多分ホームページにも載ってるんじゃ無いかな?」

「ええ。載ってるわね」

 すかさず美和子が言葉を添えた。それは同時に、

「それなら、あなたは何処に行ったのか?」

 という詰問めいたものを感じてしまう亜耶子。だが礼拝堂の付属の施設に行ったことは間違いない。それを正直に話すだけで事は済む。

 本当の目的は言えないにしても……

「へぇ、監督生。凄くミッション系って感じ」

 朋代は亜耶子の説明を聞いて、思いも因らぬ所に反応した。それで、亜耶子も逆に尋ねてしまう。あの学校は角谷家に縁のあるものだと考えていたからだ。加路女学院ではなくても、ミッション系に関連があるものだと。 

「叔母さんは、違ったの?」

「私? う~ん、女子校は女子校だったけどね。教会……じゃなくて、礼拝堂だっけ? そういう物はなかったわ。姉さんも同じ学校じゃなかったかしら?」

「ええそうよ」

 あっさりと美和子は朋代の言葉を肯定した。そうなると、美和子……父の民生たみおかも知れないが、随分手を尽くして自分をあの学校に通えるようにしてくれたようだ、と亜耶子は考えざるを得なかった。

「それで、どういったお話を聞いたの?」

 その美和子が直接尋ねてきた。この辺りは想定済みであったので、亜耶子もすぐに答えた。

「淡口さん……前にも話したと思うんだけど、彼女が新しい部活というか、もっと小さなサークルみたいなものを作りたいって。基本的には美術鑑賞会みたいな感じの集まり。それならまず、学校で出来ることがあるんじゃないかって」

「それ良い考え方よ。私それで結構後悔してることあるもの。手続きさえしていれば、色々利用できる施設があるのよね……私の場合、大学での話だけど」

 良い感じに朋代からフォローが飛んだ。亜耶子もそれに頷いて、

「わたしがそう言ったら、一緒に来てって。大体はそんな話だったんだけど、監督生の方からも話を聞いたわ」

「そう」

 美和子は、ホッと息を吐いて湯飲みを両手で構えながら、茶を啜った。

「それで亜耶子ちゃんは、それに参加するの?」

 朋代が間を埋めるように尋ねてきた。それもまた亜耶子の想定の範囲内だ。

「わかんない。学校自体にもまだ慣れて無いから……」

「そうね。そんなに急ぐことはないわ」

 美和子がそれを肯定した。そして満足そうに笑みを浮かべる。

「大丈夫そうね、亜耶子」

「う、うん」

  ――だが、その問いに対してそれ以外の返答が出来るのだろうか? 亜耶子はそれを考えてしまい、箸を置いた。


 食事が終われば居間で朋代とドラマを観ることになってしまった。朋代は元々録画して観ていた番組で、スマホ片手に実に忙しくドラマを観ている。

 亜耶子にとって、それはどうにもおかしな事をしている様に感じられたが、結局居間に置かれたちゃぶ台に身体を預けるように、ドラマを眺めていた。

 刑事二人による捜査を基本にしたドラマで、これぐらい鮮やかに問題を解決してくれれば、とどうしても亜耶子は考えてしまう。

 今も朋代に付き合う形になっているのは、朋代から何か尋ねられるのではないかと、亜耶子はそう予感しているからだ。いやそれよりも――

(わたしから質問されるのを待っている?)

 そんな風に亜耶子が考えているタイミングで、果たして朋代はぐるりと亜耶子へと向き直った。テレビに目をやってみると、CM中らしい。

「ねぇ、天奈さんと話してる?」

 やっぱり来たか、と思いながら亜耶子は応じた。

「うん。連絡は貰ってるよ。その……毎日じゃないけど」

「それは仕方ないよ。忙しい人だもん。っていうか、まだ解決してないんだね」

「……うん」

「それ、私に相談してくれても良いのよ。緊急なら」

「あ、それはないわ。ただちょっとややこしくなってるだけで」

「ややこしい?」

「うん。ああ、そうだ」

 何とか話題を変えたい亜耶子は苦し紛れに、逆に質問した。

「お母さんも、御瑠川さんの事知ってたの?」

「ああ、それね。私も気になってはいたんだけど……」

 天奈のくれた名刺を見た時の美和子の反応は、やはり何か妙だったのだ。朋代も同じように感じていたことで、亜耶子はさらに踏み込んでみる。

「御瑠川さんが、角谷家を助けてくれたとか。お母さんは直接知らなくても」

「いや~、それはいくら何でも無理なんじゃないかな」

 だが、それはすぐに否定した朋代。

「だってそれだと、天奈さんが子供の頃に助けたって事になるよ。コナンじゃないんだからさ」

「コナンって……でもそうだね」

 確かにその計算は無茶だ。

「でもま、それで天奈さんに会っていても問題無かったんだしさ」

「叔母さんは、最近会ったりは?」

「最近はねぇ……あ、ごめん」

 CMが開けたらしい。朋代は再びグルンと振り返りテレビへと向き直った。

 朋代の優先順位はハッキリしているようだ。だがこれで、天奈についての話題――いや、亜耶子が抱えている問題についての報告義務は果たした。亜耶子はそう考えて立ち上がる。

 ドラマも終盤で、見事に問題は解決の運びとなっていた。

 これほど簡単に行くものか、と複雑な想いを抱きそうになった亜耶子だが、そこで立ち止まった。ドラマの時間は確かに一時間ほどだが、ドラマ内の時間は当たり前にもっと経過していることに。

 今日の食卓や、今の朋代とのやり取り。もしかしたら資料室でのやり取りもまったくの無駄と言うことでカットされる部分かも知れないという事に。

 だが現実はそうは行かない。そういう無駄に思える時間も積み重ねなくてはいけないのだ。

 そこに思い至った亜耶子は、自分自身を誇らしく感じた。

 大人の自覚――いっそのこと学校がなければ、という重いには目を瞑って。

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