礼拝堂(一)
天候少しばかり回復したのか、青天という程では無いが晴れ間も覗いている。それに秋らしい爽やかな気候を感じることも出来た。だがしかし、三人が向かうのはそういった太陽に背を向けるかのように、古めかしい礼拝堂が目的地だ。
礼拝堂は加路女学院という学校の敷地の一番奥まった場所に佇んでいる。例えば、学校に散文的な目的で訪れた業者などは、まず目にすることはないだろう。
校舎自体が盾になって、世界からの視線を防いでいるような構造になっていたからだ。かと言って庭木が荒れ放題になっているわけではなく、キチンと手入れされており、一種の「秘密の花園」めいた雰囲気がある。
学校があるのは街中のことなので、背後に山がある様な景観では無い。だが、その代わりを務めているのが、亜耶子たちの目的の礼拝堂であるのかも知れない。
亜耶子自身はまだ経験してないが、入学式や卒業式。そういった行事の時には解放されると言うだけあって、決してこぢんまりとした建物では無い。
元は白亜と呼ぶに相応しい外壁だったと思われるが、古式が染みついていて、現在は薄くセピア色を纏っていた。
三角の屋根に、その中央にステンドグラスを嵌められた円い窓。それらを正面から見ると左側には塔のような真四角な鐘楼が寄り添っている。
学校の建設に併せて、と言うよりは先に礼拝堂があって、その周りに学校が出来た。そう考えた方がしっくりくる雰囲気があった。
確かに神聖さを感じることが出来る――亜耶子はそう感じることが出来ることで、内心でホッと胸をなで下ろした。“見えない女の子”の影響は礼拝堂に及ぶことはないだろう。
「よく、礼拝堂使えたね。琉架ちゃん」
亜耶子の安堵を察したわけではないだろうが、ひなもまた呑気な声を出した。
芦切ひなは、亜耶子が思い浮かべていたボブの女の子で間違いは無かった。背の高さは、丁度亜耶子と琉架の間ぐらい。目は大きいのだが、それを半開きにしているような印象を受ける。縁なしの眼鏡が似合っていた。
「あ、あの、わたしの家が……」
「あー」
妙に間延びした声でひなは応じ、それで亜耶子も大体のところは見当がついた。琉架の――つまり淡口家がこの学校に対して多大な貢献をしている、と言うことなのだろう。
角谷家もそういう立場であるので、亜耶子の理解も早い。そのためそれについて質問する代わりに今日はどういった段取りなのかを亜耶子は改めて琉架に確認する。
「今まで縁がなかったからわからなかったけど、懺悔室のようなものはないわけね。で、その代わり資料室って言われたんだけど」
「懺悔室は使えないよ。ただ資料室は教会関係の本とかが別に収められてるの。それで、この学校でシスターになる勉強する先輩もいるから、資料室でそのまま本を広げて勉強できるようになってるの。ただ、普段から人がいないし――」
「そうね。監督生って言うんだったかしら。そういう先輩が詰めてるんだけど、すぐ側に談話スペースもあるし、その辺りがあやふやなのよね」
ひなも説明に加わってきた。何だかやけに積極的に亜耶子には感じられたが、それもまた一日空けた成果なのだろう。
「随分詳しいのね? もしかして秘密にしていた?」
それでも、イヤミの一つぐらいは口から溢れてしまうしまうが。
「ううん。みんな知ってると思う。だけど礼拝堂自体がちょっと離れてるし、すぐに家に帰る人がほとんどだから……」
閑古鳥が鳴いてしまう、というわけか。亜耶子は納得しつつ、一つ息を吐いた。
「それじゃ、芦切さんの話を聞くのにうってつけって事なのね」
「そう……なると思う」
琉架が語尾を濁しながら答える。一方でひなの方は何処吹く風、といった風情だ。とてもいきなり教室で悲鳴を上げた子には見えない。
だがだからこそ“見えない女の子”については本物なのだろう。
亜耶子は逆接の証明で“見えない女の子”の存在をさらに確信してしまった。櫛の事があるから信憑性は元々高かったのだが、やはり逃げ出せそうもない。
直接、礼拝堂に入る必要は無かった。勝手口という言葉で正しいのかどうかはわからなかったが、機能的にはそういった役割のドアが、礼拝堂の脇に設置されていたのだ。
この扉を開けると、想像とは違って随分現代的な玄関と廊下が広がっていた。一見、学校と言うよりも病院のような印象を受ける。静謐な雰囲気が、そう思わせるのだろうか。
三人はスリッパに履き替えて、資料室に向かった。監督生らしい高校生が受付に座っていたが、声を掛けられることは無い。
こんな状況で本当に話を聞くことが出来るのか? と、亜耶子は訝ったが資料室は思った以上に広かった。収められている書籍のサイズが、元々大きいのだろう。
そして持ち出し禁止の書籍であるので、閲覧のための机もやたらに大きく、書見台が斜めになっているので死角も大きい。その上、そういった机の向こうに背もたれのないソファが並んだ談話スペースが設置されているのである。
これでは内緒話をしろと言わんばかりの間取りだ。亜耶子は呆れたが、他に使用者もいないし、これ以上の状況は望みようも無い。
アリバイのために、よくわからない言葉で書かれた一際大きい書籍を手にとって、書見台に立てかけておく。何かの絵巻物のような雰囲気で、載っている写真がなかなか綺麗だ。
これなら、絵を眺めていた、と言い訳も出来るだろう。
そういった工作を済ませて、その書見台を視界に収めながら三人はソファに腰を下ろした。
ひなを中央にして、亜耶子と琉架で挟み込む形だ。亜耶子としては車座に座りたかったが、そこまでは望めないだろう。
「そんなに時間は無いのよね? わたしも一時間か頑張っても二時間ぐらいなんだけど」
亜耶子はこう切り出した。
「うん。わたしもそんな感じだよ。でも一日空いたからね。ちょっとまとめておいた。でも深草さん、本当に似てるね」
あっけらかん、と言うべきなのだろう。ひなは遠慮無しに亜耶子に話しかけた。
「……それは間違いなく?」
どうしようも無くなって亜耶子はもう一度ひなに確認してしまった。答えはわかっているというのに。
「ほとんど同一人物。そこが私にも不思議なんだけど。顔は……やっぱり似てるね。髪の長さも。違うのは頭の後ろに挿した――」
「――櫛」
やはりそこも変わらないらしい。亜耶子は声を必死になって抑えた。だが、ひなは構わずにさらに説明する。
「綺麗な塗り物の櫛でね。多分、あれはツツジ? う~んとサザンカかな? そういう感じのデザインがされていてね。それでね丸いの」
「る、琉架から聞いてるわ」
出来ればその辺りで止めて欲しい。そんな願いを込めて亜耶子は相槌を打つように応じた。何しろ櫛については知らない事になっているのだ。説明されれば、黙って聞き続けるしかない。だが、ひなは止まらなかった。
「ああ、やっぱり。他がぼやけていても、あれはハッキリ見えるから」
「う、うん。わたしにも見えるよ。だけどあれは、後ろがまず見えないと……」
琉架も加わってきた。
――櫛だけはハッキリと見える。
その証言はさらに亜耶子を追い詰めた。だが反論も出来ない。櫛にこだわっていると知られてしまえば……
「それで。女の子が現れたのは、夏休み前なのよね?」
誤魔化すように亜耶子は強引に話を進めた。
「ああ、うん。それも深草さん、知ってるんじゃないの? そのあたりも多分聞いてるまんまだと思うよ。多分、あれは六月……ぐらいだったかな」
「六月……」
それもまた、ひなが言うように聞いてきたままの証言だ。ここはどうしても覆らないらしい。亜耶子は、ため息をこぼしそうになるのを我慢して、さらに切り込んだ。あえて櫛の部分から。
「そうだね。わたしが最初に見たのは、教室の後ろの方で、すぅっと横切る姿なわけだけれど、その時は姿と言うよりは、櫛が空中に浮いてる感じだったのね。それで、その櫛は丸いわけでしょ? 最初はフリスビーか何かが飛んでいると思ったぐらいだもの」
息が止まるような衝撃。それをまさに亜耶子は体感していた。丸い櫛をフリスビーのように飛ばす。その光景は、確かに亜耶子の瞳に焼き付いていたのだから。
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