点在(二)

 会話がほとんどない食事は終わった。あとは今でテレビを見るなりするのが通常のパターンだが、亜耶子はこの日は変化を求めていた。朝にあれだけのことがあったのだ。変化がなくては困るとまで考えていた。

 だから部屋に戻るとすぐにスマホを確認。そして望んでいた琉架からの返信を確認。すぐにデスクに腰掛けて亜耶子は目を通した。

「芦切さんは、明日は学校来るっていってたよ。それで放課後でどうかな?」

 亜耶子は眉を潜めた。話が進んだようにも思えるが、欠けている情報が多すぎるのだ。放課後は良いとしても、それで一体何処で話を聞くつもりなのか?

 放課後に気楽に寄り道できる学校では無いのだ。加路女学院という学校は。送り迎えが出来る家の子供たちばかりであるということは、それは加路女学院を監獄のように機能させてしまっているという事。

 そして護送される子供たちに自由は無い。自由があるとすれば、それは監獄のような学校にいる間だけだ。何かしらのクラブに入っていれば――亜耶子はそこまで考えて、あの教室から脱出出来る可能性に気付いた。

 クラブ見学という名目があれば、美和子にも遅くなると言う言い訳を組み立てやすい。これ以上無い名案に亜耶子には思えた。

 ただ気になるのは、琉架は教室に取り残される可能性に気付いていないのか、その辺りがまったく無頓着な部分だ。確かに怖がっていたはずなのに……琉架はどういうつもりなのか。

 胸の内がモヤモヤする亜耶子。そのまま叫びだしたい欲求をなんとか胸の内に押し込んだ。

 琉架にメッセージを送って確認しようかとも考えたが、それを行ってしまうと琉架に“見えない女の子”を怖がっているように思われてしまう。亜耶子にはそれがどうにも我慢ならなかった。

 それなら明日、主導権を取るために計画を立てた方がよほど建設的だ。クラブ見学というアイデアは良いのだから、それを生かす方向で考えた方が良い。琉架は入っていないと聞いているが、芦切ひなは所属しているのか――

 その時、先程机の上に放り出したスマホが着信音を奏でた。琉架が連絡の不手際に気付いたのだろうと持ち上げてみると、ディスプレイに表示されている名前は、

 ――御瑠川天奈

 とあった。亜耶子は慌てて通話ボタンを押す。

「も、もしもし」

『ああ、ごめんなさい亜耶子さん。今大丈夫かしら』

 スピーカーから確かに天奈の声が聞こえてくる。亜耶子の胸は高鳴った。

「は、はい。大丈夫です!」

『本当に? 勉強の邪魔しちゃったんじゃないの?』

「あ、それは、宿題とかは帰ってすぐに済ませていたので……それで、あれこれ対策を」

『対策? 亜耶子さん、自分で調べてくれているのね?』

 すぐに天奈は自分の行動を察してくれた――そう思うことで、ますます亜耶子の頬は紅潮する。

『それじゃ、連絡が遅くなって申し訳なかったわ。とは言っても、それほど成果は無いんだけど。加路女学院、ちょっと厄介なのよね』

「そうなんですか?」

『ええ。卒業生には何人かあたってみてるんだけど、今現在の学校の様子となると、それも難しくなるから』

「それは……そうでしょうね」

 亜耶子も同意するしか無かった。亜耶子自身が監獄の様だと感じた学校なのである。簡単には行かないだろう事は想像に難くない。

『ごめんなさい。こうなると個人的な繋がりで辿っていくしか無くて。それで、その個人と話をするのに、やっぱり時間がかかってしまうのよね。問題は一学期に見えない女の子が出現した辺りだと考えてはいるんだけど』

「あ、それはわたしもそう思いました」

『やっぱり? 意見が合って頼もしいわ、亜耶子さん』

 天奈は本当に、自分の欲しい言葉を掛けてくれる。亜耶子は思わず、

「あ、あのビデオ通話になりませんか?」

 と尋ねてしまっていた。

『ん? 話しにくい? ちょっと待ってね』

 天奈はあっさりと承諾したので、亜耶子も慌ててスマホを耳から離した。

『出先で申し訳ないんだけど。今ぐらいしかまとまった時間が取れなくて』

「だ、大丈夫です」

 亜耶子は懸命に頷きながら、天奈の様子を窺った。

 現在は午後八時と言ったところだろう。仕事中でもおかしな時間帯では無いと亜耶子もわかっていたが、ディスプレイ越しの天奈はあまりにも仕事中の雰囲気を強かった。

 襟を濃紺のカラーであしらったグレーの機能美溢れるスーツ姿。化粧は薄かったがイヤリングは銀の輝きを放っている。髪もアップにまとめていた。

 場所は会議室のように見えた。天奈の向こう側にビル街の夜景が広がっている。かなり高い場所――やはりそれなりの社屋にいるように亜耶子には感じられた。

 そこで思い出されるのが、昨日の美和子の反応だ。それに朋代の証言。やはり天奈は本人が言うような下っ端などではなく、それなりの地位にいるようにしか亜耶子には思えない。

 何しろ、こんな場所にある部屋を天奈は自由に使えるとしか思えないのだから。

『それでね。こちらはもう少しだけ時間を貰える? こうなってしまうと日曜挟んでしまったのが地味に痛いわ』

 そして天奈は、そういった自分の周囲の様子にまったく無頓着だった。それだけ今の状態がありふれていると言うことなのだろう。亜耶子もそれに対抗するように、出来るだけ平然と言葉を返そうとした。

「だ、大丈夫かどうかは……わからないんですけど、すぐにわかるとはわたしも思ってません。それにあの学校なんというか、のんびりというか」

『亜耶子さんも調べてくれてるのよね。それでそんな感触なのか……』

「はい。なんだか呑気というか――」

 そこで亜耶子は今日の顛末を、出来るだけ丁寧に天奈に伝えた。そのためにしっかりクラスメイトの名前を一致させた自分の先見の明を誇らしく思う亜耶子。

 そしてそれは当然、芦切ひなから話を聞くための方法を考えているところまで、亜耶子の説明は及んでいた。

 それは必然の流れではあったのだが、天奈と長い間話をしたいという亜耶子の希望のあったことは確実だ。

 天奈はその希望に応えるように、急かすこともせず亜耶子の説明を時折確認しながら、黙って聞き続けた。その目がどんどんと伏せられてゆく。

 怒らせたのだろうか? ――天奈の様子が亜耶子に恐怖を抱かせた。

『――ねぇ、亜耶子さん』

 亜耶子の説明が終わり、しばしの沈黙の後、天奈が口を開いた。

「は、はい」

『そのクラブ見学というアイデアは良いと思うの』

「そ、そうですか!」

 怒っていたわけでは無い。あの表情はもしかしたら自分の思いつきに、天奈は苛立ったのかも知れない。そう考えて亜耶子は思わず興奮してしまった。

 天奈が思いつかなかった事を、自分は僅かな時間で閃いたのだ。ただ怯えているよりも、今の状態の方がずっと良い。こうなる契機をもたらしてくれた天奈にはやはり感謝するしか無いが……

『だから、これはあくまで予備ね。私のアイデアを提案してもいいかしら』

 だが天奈は、亜耶子の予想を上回ってきた。

「え? あ、ど、どうぞ」

 動揺しながらも、亜耶子は辛うじてそう答えることが出来た。

『加路女学院ね。今更、亜耶子さんに説明するまでもないことなんだけど、ミッション系の女子校で――敷地内に教会……は変ね。礼拝堂と言った方が正確かしら? そういう施設があるでしょ?』

 瞬間、亜耶子は息をのむ。

 その天奈の指摘に亜耶子は頷くしかなかったからだ。そして自分の迂闊さを恥ずかしく感じる。しかしディスプレイ越しだと、天奈は亜耶子の変化に気付けなかったのかそのまま話し続けた。

『礼拝堂だと、秘密の話をするのに良い場所があるんじゃないかと思いついたの。例えば懺悔室とか。もちろん本職は近くにいないという前提でこっそりとね。ただお家の方には、クラブ見学と伝えた方が――』

「いえ」

 亜耶子は硬い表情で、天奈の説明を遮った。

「礼拝堂に顔を出してみると言っても、十分な理由になります」

『そうなの? 角谷家はそういう家柄なのね』

 天奈はそう解釈して、さらに説明を続けた。

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