見えない女の子(三)

「きょ、今日、げ、月曜日でいきなりでしょ? それじゃ、む、無理だと思う。わ、わたしも誰なのかはわからないけど」

 誰かはわからない――それだけはしっかり伝えたいという気持ちが出たのか、そこだけはハッキリ亜耶子に伝わった。

 亜耶子はそんな琉架を見ながら、冷笑を浮かべた。

「いきなりも何も、あなたたちには時間がたっぷりとあったはずでしょ? その間ずっと怖がってただけなの? 誰が――」


 ――死んだのかは知らない。


 と、自分が何を言おうとしたのか気付いた亜耶子は、その言葉を途中で飲み込んだ。


「誰が死んだのかはわからない」


 そう口にした途端に、クラス中から一斉に自分が指さされてしまう風景を亜耶子は思わず想像してしまったのだ。

 亜耶子には見ることが出来ない女の子。その女の子が自分と似ている。それが重い枷になって、これ以上亜耶子を強気にすることを不可能にしていた。

 それは呪いに似ていた。

 だからこそ亜耶子はそこで黙り込んでしまう。どうしようのない圧迫感が、教室に充満していた。これ以上、だがこれ以上悪くなるよりは――そんな捨て鉢の、感情も確かにあった。

 だからこそ、この沈黙は始末に負えないのだろう。

 今まではどうしようもなく亜耶子がリードしていた形だったのだが、亜耶子は突然その役割を放棄した。そして、そのあとを受け継ぐものは現れない。

 ――クラスのリーダーになれば呪いをも受け継ぐのではないか?

 そんな、根拠も何も無い恐怖の予感だけでクラスが固まってしまっている――亜耶子はそんな風に感じた。

「じゃ、じゃあさ」

 その時、亜耶子の記憶の中には無い声が上がった。

 声を出したのは、髪型はツインテールで幼さが見える生徒だった。しかし、小柄では無い。身体つきだけを言うなら、そこに見えるのは幼さでは無くて大人びたものを感じさせる。

 それに言いようのない違和感を感じながら、亜耶子はそれを確認する。ツインテールの女の子の言葉は“誰か”に向けて放たれた言葉には感じられなかったが、亜耶子には個々の名前が判別できないというハンデがあることは間違いないのだ。

 この機会に、名前と顔を一致させて置かなければならないという使命感に亜耶子は突き動かされていた――天奈に報告するときに、せめて名前は集めておきたかったからだ。

「……ごめんなさい。あなたの名前は?」

「あ、そうだよね。わたしは鈴原よ。鈴原すずはら芽依めい

「ありがとう。それで、何か提案があるのね?」

「そう。とにかくすぐって言うのは無理だって話。それに今までのことを言われたってどうしようもないじゃ無い? 淡口さんもそう言おうしてたんじゃ無いかしら? ね、委員長?」

 芽依がいきなり黎子に話を振った。それに黎子は驚いた表情を浮かべていたが、すぐに小さく頷いた。

「……そうね。それはわたしたちでまとめてみるわ。今日、休みの子もいるみたいだし――」

 タイミング良く、チャイムが鳴った。加路女学院のチャイムは荘厳と呼ぶべき響きが伴っており、いかにもにも大袈裟――そういう雰囲気を大事にしていると、外へ向けてのアピールである様にも感じられる、作り物のような響きもある。

 だが今、2-Cにおいてだけは。確かに、この重苦しい雰囲気に併せたような、どこか濁った金属の響きが、あまりにも似合いすぎていた。

 殺伐と言っても良い、女の子たちの睨み合いに。

 そして、担任である木ノ下あおいが出席簿片手に姿を現した。ベリーショートに空色のスーツ姿。薄く化粧を施した、大人を感じさせる三十路ほどの女性だった。

 ただ大人の雰囲気に相応しく、どこか疲れたような表情を浮かべている。いや、浮かべているのではなく、張り付いていると言った方が良いのかも知れない。

 他の表情など忘れてしまったのように、他の表情を想像出来ないからだ。

 思い返してみれば、亜耶子の記憶の中でも木ノ下は同じ顔をしていた。この担任もまた追い込まれているのだろう。亜耶子はそれを初めて気付くことが出来た。

 元々、このクラスはおかしいのだ。亜耶子が転校する前から。亜耶子が“見えない女の子”の存在に気付く前から。

「チャイムは鳴ってるわよ。早く席について」

 木ノ下が教卓に出席簿を置く。そしてクラスメイトが機械仕掛けの人形のように、それぞれの席へと戻っていった。

 亜耶子も自分の席に戻りながら、今日の欠席者を確認していった。一番の注目は、以前授業中に声を出した生徒が座る教壇前の席。やはり、と言うべきか空席のままだ。

 このまま休むことになるだろう。最有力候補がいない状態では、今日は突き詰めても仕方ないかも知れない。

 亜耶子はそう考えることにした。記憶の中では、たしかボブで……縁なしの眼鏡を掛けていた記憶がある。名前は色々思い浮かぶが一致しない。

「芦切さん……は欠席だったわね。宇都宮さん」

「はい」

 出欠の確認が続く。だが、亜耶子はこの段階で恐らく「芦切」だったはず、と自分の記憶を確信へと変えていた。芦切という子と何とかしてして話をしなければ。

 琉架に頼んでも良いし、連絡先は……亜耶子の脳裏で様々な計画が浮かんでいった。そういった計画で、頭をいっぱいにすること。いつしか、それを亜耶子は楽しむようになっていた。

 いや楽しみだと思い込もうとしていたと言うべきか。

 それが逃避の一種だと指摘されないように。

 どんなにぬぐい去ろうとしても「自分に呪われる」――そんな説明のしようがない未来図が完全に否定されたわけでは無いのだから。

 結局、この日は亜耶子も矛を収めることにした。本命の「芦切」がいない事も大きいが、クラスメイトが休み時間の度に亜耶子から遠ざかってしまうからだ。

 琉架に関してはあとから連絡することも出来るだろう。これ以上、この教室で問い詰めても得るものは少ない。

 ――亜耶子はそう判断したのだ。

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