帰宅(一)

 帰りは天奈と共にタクシーを利用することになった亜耶子。最初は辞退しようとしていたのだが、予定時間をオーバーしていることは間違いない。

 暗さも手伝い亜耶子は天奈に押されたこともあって、同乗することにした。

 いざタクシーを利用すると、空の暗さ、そして月明かりがそのまま亜耶子を後ろめたさを刺激する。これで他の交通機関を使うことになっていては……もどかしくて、どうしようも無くなっていただろう。

 それに、しばらくは車内でとりとめない会話を楽しむことも出来た。運転手がいる車内では、当然「問題」については話をすることも出来ない。

 二人の共通の話題となれば、それは朋代のことになるわけで、その過程で亜耶子は天奈の勤めている会社の名前と業務内容を知る事が出来た。

「“アーバンクロッシング”、ですか」

 名刺を受け取りながら、亜耶子はそこに記されている社名を読み上げた。

「そう。簡単に言うと、関わりの薄かった会社と会社の間を取り持つことがお仕事かな? 私なんか全然下っ端なんだけどね」

「そうなんですか?」

「学校出たばっかりだしね。それで、あちこちと顔を出している内に朋代さんと知り合ったの」

 亜耶子の叔母、朋代の職業はインテリアデザイナーだ。亜耶子には具体的な事はわからないが、確かに他の仕事と協力しやすそうに思えた。そしてそれを具体的な形にするのが天奈の会社の仕事と考えれば、今日の天奈の話し方、進め方にも頷くことが出来る。亜耶子はますます天奈と知り合えたことを幸運だと思うようになっていた。

 そして三十分ほどで、亜耶子は母の実家の角谷家に帰り着く事が出来た。予想より遅くなったのは間違いないが、ひどく怒られるほど遅くはなっていない。

 角谷家は純和風と言い切ってもいい平屋で、門構えもあり、敷地内に庭園まで造られている、まず豪邸と言っても間違いないところだ。

 それだけに、外から見ると角谷家の敷地だけが妙に暗く沈んで見えた。門を照らす灯りだけがポツンとそこに佇んでいる。

 天奈との会話に楽しみを覚えていた亜耶子は、まだ慣れぬ母の実家の佇まいに、少しだけ落ち込んでしまう。だが、これ以上はどうしようも無い。

「ねぇ、亜耶子さん」

 タクシーに乗ったままの天奈が、降り際に亜耶子に声を掛けた。

「は、はい」

「さっき渡した私の名刺。多分役に立つと思うわ。大事にしてね」

「それは、もちろんです! でもそれは……」

「使わないで済ませられるように、私も頑張るわ。とにかくもう少し時間を頂戴ね」

 天奈はそう言って、運転手に声を掛けて去って行く。

 角谷家があるのは当たり前に住宅街であるので、それほど街灯が多いわけでは無い。すぐに車体は闇の中に沈みテールランプだけが名残を惜しむかのように輝いていたが、それもフッと消えてしまった。角を曲がったのだろう。

 亜耶子もずっと見続けていても仕方が無いと割り切って、門を開け邸内に入った。そのまま煌々とした明かりの灯る玄関へ。

 そして腰掛けてローファーを脱いでいると、亜耶子の背中に声が掛けられた。

「あ、亜耶子ちゃん。お帰り。ちょっと遅かったね。もう少ししたら迎えに行こうかと考えてたんだけど……天奈さんと会ってたからその心配はないかなって」

 振り返るまでも無かったが、その声は亜耶子の叔母の朋代だった。

 今日は外出しなかったのか、完全な普段着だ。ジーンズに若草色のセーター。胸もとまで伸びた髪をシュシュで一纏めにしている。

 もう少しでアラサーと呼ばれる年齢だったが、あまり年齢を感じさせない見た目だ。学生のようには見えないが、いつまでも社会人の新人のように見える。その点では天奈の逆だ。

 ぱっちりした目が、童顔をさらに強調していた。

 そんな見た目だからこそ、というべきなのか亜耶子は三和土で靴を揃えると、慌てずにそれを靴箱に片付けてから振り返った。

「これぐらいなら、大丈夫でしょ?」

「うん。大丈夫だと思うよ。夕ご飯まだみたいだし。そ~れ~よ~り~」

 朋代がほくそ笑みながら、亜耶子に話しかける。

「天奈さん、どうだった? 凄いって言うか、格好良い人だったでしょ?」

 格好良い、とは亜耶子が抱かなかった感想ではあったが、言われてみると天奈に相応しい言葉だったように思えた。

「それは……そうね」

「仕事も凄いしさ~。あの年で社長なんだもん」

「え?」

 亜耶子は声を上げた。天奈の話では“下っ端”という話だったはず。亜耶子はそのまま尋ねてみた。

「ああ、またそんな風に言ってるの? 確かに肩書きは違うけど実質的にはそうなの。社長じゃ無いけど、あの会社のトップは天奈さん。多分、年齢のこともあって、そういうことにしてるんじゃないかと思うんだけどね」

「そ、そうなんだ。それで、わたしの相談に乗ってくれたんだ」

「そう! それはビックリだよね。それで亜耶子ちゃん、問題は解決したの?」

 不躾に尋ねてくる朋代。しかしそれは仕方が無いと言えるだろう。何しろ朋代は「問題」の内容を何も知らないのだから。ただ亜耶子の様子を見て、心配になって天奈に相談しただけだ。

 それは確かに有り難い話だし感謝もしている。だがそれでも――

「……それが、難しい話みたいで御瑠川さんはもうちょっと調べてくれるって」

「え? そんな話になっていたのね。天奈さんのことだから、それもわかっていたのかも知れないな」

 確かに朋代は天奈を尊敬しているらしい。そう感じた亜耶子は、ふともう一つ、天奈から聞いたプライベートな事柄を思い出した。

「御瑠川さんって、彼がいたりするんでしょ?」

「ええ~!? それもう聞いたの? いいなぁ。私、それ聞くまで……え~っと、どのぐらいかかったんだっけ?」

「朋代さんは会ったことあるの? その彼氏さんに」

「ううん」

 あっさりと朋代は首を横に振った。

「天奈さんは別に嫌がってる感じじゃないんだけどね。それでもやっぱり会おう、なんてチャンスはないわけだし。そこで私から『会いたいです』なんて言うことも出来ないでしょ?」

「それはそうね。それで天奈さんに厚かましく思われるのはイヤ」

「ああ、わかってくれるのね! まさにそう!」

「亜耶子さん。朋代さん」

 玄関先で立ち話を続けていた二人に声が掛けられた。角谷家で長年、家事等を受け持ってくれている布施だ。白髪混じりの髪を綺麗にまとめた品の良い女性。

 割烹着姿では無いが、それが似合いそうな雰囲気がある。実際には膝丈のスカートに抹茶色のカーディガン。そしてエプロンを着けたごく標準的な出で立ちだ。

「あ、布施さん。ご飯出来た?」

 その問い掛けが朋代にとっては条件反射でもあったのだろう。しかし帰ってきたのは布施のため息だった。

「ご用意は出来ているんですけどね。その前に美和子さんがお話しがあるそうですよ」

「え? 姉さんが?」

 朋代が声を上げた。朋代の姉とは、亜耶子の母親でもある。“お話”というのは、言うまでも無いことだが亜耶子に向けて告げられた言葉なのだろう。朋代はもしかしたら、ただの“おまけ”なのかもしれない、と亜耶子は考えてしまった。

 それでも「二人に話を~」ということであるなら、それは決して深刻な話ではないという美和子の意思表示なのかも知れない。

「それって、亜耶子ちゃんも?」

 朋代は朋代で、別のパターンを考えていたようだ。

「お二人にお話があるそうですよ。奥の居間でお待ちです」

「え~! ご飯食べてからで良いのに。ま、仕方ないか。少し遅くなっただけだし、私も援護するよ」

 朋代は、そう解釈したようだ。亜耶子もそれで間違いないだろうと思うのだが、それでも居心地の悪さを感じる。それでも逃げ出す事は出来ない。亜耶子は肩を落として布施に従うしか無かった。

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