「カフェ・ピッツベルニナ」(七)
「わ、わたし、死んでしまうんでしょうか?」
「亜耶子さん……それが“問題”の本質だったのね」
「は、はい。それがもう怖くて。それにそれって。やっぱり見えない女の子が原因だったら、それはわたしが原因で、い、いったいわたしはどうすれば良いのか……」
亜耶子は震えていた。
死を予言されているような状態では、それは無理も無い話だろう。その上、状況が特殊すぎる。その死をもたらすのが自分自身ともなれば、一体どう対処すれば良いのか。
さらに亜耶子自身は、自分で自分を呪うような、そんな心当たりは全くないのだ――当たり前に。
知らぬうちに自分で自分を縛り付けているようなもの。そしてそれは死がやって来るまで解放されない。
だが、これで亜耶子が言う「問題」の全貌が見えたことになる。
だからこそ天奈の表情も沈んでいた。だが伏せられた目の奥の瞳は、未だ強い光を放っている。
「私が相談を受けたのは、亜耶子さんを慰めるためでは無いと考えているの。だから、ここからは無慈悲な様だけど……そうね。やっぱり細かなところの確認になると思う」
そんな天奈の変わらぬ姿勢を、亜耶子はどう感じたのか? 自分の怖さをわかってくれないと詰ることも出来ただろう。
だがこの時、亜耶子が感じていたのは天奈への信頼感だ。
同情とは、即ち相手を下に見るからこそ発生する感情とも言える。その点、冷静すぎるように感じても「共に考える」という天奈の姿勢に、亜耶子が頼り甲斐があると感じるのも自然な感情だった。
「今、亜耶子さんはどこか身体に悪い部分があったりは?」
「あ、そ、それはないです」
なるほどそこから確認するのか、と亜耶子は虚を突かれた思いだ。確かに、死を前提として考えたなら、そういう発想に行き着いても、それは自然だと言えるだろう。
ただ天奈の細かさはさらに亜耶子を驚かした。
「――ご家族の方で、態度が変わったとか。そういうことは無いかしら? 例えば、こちらへの引っ越しがそもそも亜耶子さんの希望に添ったもの、だったりとか」
その指摘に、亜耶子の心臓が大きく跳ねた。
天奈の狙いはわかる。いきなり家族が優しくなって、それは何かを隠しているという理由があるのでは無いか? それを確認したいのだろう。
だが、その可能性は無い。引っ越すのも――
「――父の仕事の都合で間違いないです。今は母の実家でお世話になっていますけど……」
「聞いてるわ。朋代さんとも、それで親しくなったのよね?」
「は、はい。ですから、こちらで住むところを探して、改めて引っ越しする計画もちゃんとあります。だから、それでわたしの身体が……どこか悪かったり、病気だったりは無いです」
亜耶子の断言で、天奈もその可能性は無いと判断したようだった。少しだけの沈黙を選び、仕切り直す。
「そう……そうなると、亜耶子さん自身に死が近付いているわけではないわけね」
「だからそれは!」
もしかしたら、天奈は理解してくれていないのか? あれほど説明したのに?
そう考えてしまうことで、亜耶子は再び恐怖に囚われそうになった。だがこの時も天奈は揺るがなかった。
「まず、その前提から疑いましょう。細かく、細かくよ、亜耶子さん。問題が深刻だからこそ大ざっぱに考えてはダメ」
「そ、それは……そう、かもしれないです……けど……」
「私の言葉を全部受け入れなくても良いわ。何かおかしな事を言っている、ぐらいで流しても良いんだから。亜耶子さん。言葉は言葉よ。それ以上でもそれ以下でも無いわ」
天奈は優しく微笑んだ。
「言葉はあくまで考えを整理するための
「は、はい。な、なんだか御瑠川さん、雰囲気が……なんだかちょっと……」
「ああ、ごめんなさい。近くにいる人が、とても性格が悪くてね。でも冷静になりたいときにやっぱり真似しちゃうみたい」
「え? えっと、その、彼氏さんですか?」
「私はそれで良いと思ってるんだけど、難しい人だから」
それを聞いて、やっぱり大人の人なんだ、と亜耶子は突き放された様な気持ちになってしまった。だが天奈ほどの女性が一人でいることの方がおかしいのだと思い直すことにする。
なにより、その彼氏の影響もあって、天奈がこれほど頼もしいのなら、亜耶子にとってそれは救いとも言えるからだ。
「それでね。亜耶子さんは当面、命の危機がハッキリわかる形では訪れないことは確認出来たわ」
天奈が突然に切り替えた。そのあまりの唐突さに、思わず頷いてしまう。
「となると、やっぱり外的要因。それも現段階で亜耶子さんはちゃんと生きている。それでも死に近付いてなると、それはやっぱり犯罪に近い企みある――そう考えるのが妥当だと思うの」
「犯罪……」
その単語が出たことが理由なのだろうか。亜耶子は呆然とその言葉を呟いていた。
「そう。全て、亜耶子さんの身の上に今も起こっているかも知れないことだから、ますます酷いことを言ってしまうけど――まず、毒」
確かに今までの現象を説明しようとすれば、それが一番妥当になるのだろう。
しかしそれでは――
「み、“見えない女の子”については?」
「そうね。確かにそれがネック。毒を持ちだしたら、その説明はまったく出来ない」
本当に、可能性を追求しているだけなのだろう。天奈はあっさりと前言を翻した。しかしその表情は晴れない。
「でも、そうすると、どうしても超自然的なモノをどうして持ち出すしか無くなってしまう」
「あ……御瑠川さんは、ずっとそれを避けようとして下さったんですね」
「そうね。その方向で何とか答えは出ないものか……病気なら、伝手がないわけではなかったし」
「そんな」
「お友達のピンチだもの。そこで躊躇う選択肢は無いわ」
その「お友達」が果たして自分の事なのか。それとも朋代のことかは亜耶子にはわからなかった。自分はもう天奈の“お友達”なのだろうか? それを確認したかった亜耶子だったが、天奈は亜耶子に構わずに話を先に進める。
いや、進める方が自然だし真摯であることは確かだ。
「超自然的なモノ……ってそれってもう“呪い”みたいなものしか出てこないんだけど。私も別に専門家では無いけれど、じわじわと毒のように効いてくると言うなら、どうしてもそういったモノを想像してしまうわ」
「やっぱりそうですか」
「でも、それと似たような事が行われているとしてもよ」
天奈は言葉に力を込めた。
「自分自身を呪う――これは、やっぱりおかしいような気がするの」
「けど、それは“見えない女の子”が、い、いるって……」
「私たちはそのことを、よく知らないだけかも知れない。呪いは呪いだとしても、それにはある程度の
「だけど……」
「わかるわ。単純にまとめてしまうと時系列がおかしいのね。亜耶子さんが転校する前から“見えない女の子”が現れている。でも、その女の子は亜耶子さん似ている。ここれでは、辻褄が合うはずが無いわ」
「そ、そうなんです。だから、わたし……これは未来から呪われているんじゃないかって……」
「未来?」
その亜耶子の言葉は、確実に天奈を動揺させた。亜耶子がそこまで思い詰めているとは考えていなかったのだろう。
いや、亜耶子が向き合っている状況を想定することがまず不可能に近い。
だが亜耶子にとっては、ここしばらくの間ずっと考えていたことだ。何とかして、自分を取り巻くこの「問題」を説明しようと。
そしてそれは天奈に請われて「短くまとめる」事で、亜耶子の中で揺るぎない物になってしまっていた。
「そう考えれば、その、順番の問題も説明出来ると思うんです。この先、わたしは死んでしまって、そうなると、時間とか関係無くなるんじゃ無いかって。いえ、多分関係無いんですよ。それで未来のわたしが、わたしに向けて……」
「でもね、亜耶子さん」
亜耶子を真っ直ぐに見据えながら天奈はそれを押しとどめた。まるで楔を打ち込むように。
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