「カフェ・ピッツベルニナ」(六)

 まず、ウィンドウ越しの街の風景。行き交う人々の歩く速度は少し増したようにも見える。それはそのはずで、空は朱が薄くコーティングされた様な色合いを見せていた。夕刻、とまでは行かないが当たり前に時間は経過していたのだ。

 そして店内に流れるクラシックはショパン「別れの曲」。もしかすると閉店時間が近いのかも知れない。

 そういった想像が、亜耶子に改めて強く記憶を思い出さなければならない、という理由になった。

 天奈に相談できたことは、間違いなく亜耶子にとっては幸運だと確信できる。だからこそ、この機会を逃したくない。そう考えるからこそ、亜耶子の視界は再び狭まっていった。

 ウェイターがレモンティーセットをテーブルに置いた時も、紅茶の香りが彼女の鼻腔をくすぐるまでそれに気付かなかったほどだ。

 天奈はそれを見て、重ねて亜耶子に休むように告げる。しかし追い込まれていると感じていた亜耶子は簡単に切り替えできなかった。

 学校生活でもストレスを感じ続けているのだろう。こうなってしまえば無理に止めてしまえば、それがまた亜耶子のストレスになってしまう。

 そう判断した天奈はそれ以上は声を掛けずに、亜耶子が話し出すまで待つ事にしたようだ。今度は角砂糖を二つとかし、レモンを一切れ。

 紅茶の色が変わる。それを確認してから天奈はカップを傾けた。

「……多分……最初は、拒否してる感じじゃ無かったと思います。でもそれはわたしが何処のクラスかは、わからなかったからだと思うんです」

 そして亜耶子は、絞り出すようにして天奈の疑問に答えた。

 天奈はそれを聞いて、頷きながらすぐに質問を重ねる。

「うっかりしてたわ。亜耶子さん。クラスは何組なの? ごめんなさい。組かどうかはわからないけど……二年生よね? それはちゃんと教えてもらってるわ」

「あ、Cです。二年のCクラスです」

「それでこの時に話を聞いた子のクラスはわかる?」

「Aです。離れた方が良いと思って」

「やっぱり亜耶子さんは凄いわね。わたしでもそうすると思う。それで、どういう流れになったのかしら?」

「は、はい」

 天奈に褒められたことで、逆に亜耶子は浮き立ってしまったようだ。それでも何とか、頭の中で組み立てた説明をなぞろうとする。

「さ、最初はごく普通だったと思います。逆に親切なぐらい。でも、いきなり“見えない女の子”のことは尋ねにくいですよね。それで多分、自己紹介みたいなことから始めたと思います。転校生って事も。多分、そうだと思います。細かなところで順番が入れ替わってるかも知れないんですけど」

「それは大丈夫だと思うわ。とにかく最初は普通だった。それは確実なのよね?」

「はい。普通だったときの表情は覚えてますから。名前はわからないんですけど、休み時間にA教室の前で立ち話をしていた三人で……」

「だんだん、その光景が浮かんできたわ。休み時間ともなれば、Cクラスから短い間姿を消すのにも好都合だしね。それで? 自己紹介して……」

「はい。そこからいきなりだったと思います。転校生で、Cクラスだと言った途端に、こちらもハッキリわかるような蔑みの目で……」

 それ以上は言うまでもない。いきなりそんな風に扱われたのだ。

 しかしそれはやはり不条理であることに間違いは無い。亜耶子がCクラスの一員になったのはつい先日のこと。

 Cクラスが何かしたとしても――恐らく何かがあったのだろう。何しろ“見えない女の子”だ――それに亜耶子が関係あるとは考えられないからだ。あるいは条件反射的に「Cクラス」という名詞だけで、他のクラスからは蔑まれるような何かがあった。

 そういう可能性もあるが、どちらにしても確実なのは――

「他のクラスも知っている。もしかしたら学校中が知っている何かの事件があった?」

「そうも考えたんですが、そうなったらそれこそ誰も話してくれないんじゃ無いかと思って」

「そうね。それは確かに。その問題はあとから考えることにしましょう。それで、その時は睨まれて終わり?」

「基本的にはそうなんですけど、Cクラスがおかしな事になったのが、多分一学期の五月か六月あたりじゃないかと感じたんです。多分、その辺りで……“見えない女の子”が……」

 その推測を口にした亜耶子の肩が震える。亜耶子の様子からは、確実な恐怖が伝わってきた。天奈はさらに目を伏せ、亜耶子にそっと言葉を差し入れた。

「直接聞いたわけじゃないのよね。きっと……そう。Aクラスの子が時期がわかるような悪口を言ったのね」

「そう……そんな感じです。凄いな、御瑠川さんは。何でもわかっちゃう」

 どこか投げやりになったような亜耶子の言葉。確かに亜耶子は追い込まれている。恐らく「問題」などという言葉では不十分なほどに。それを未だ「問題」と言っているのは、亜耶子のプライドがそうさせているのだろう。

 ただ、それが事態の解決に有効かどうかは――

「さ、さっき御瑠川さんは褒めてくれましたけど、やっぱりわたしがAクラスに行ったことは知られてしまったんだと思います。多分、他のクラスの子に話しかけたのも」

「それは、直接言われたの? 何を話していたんだ、とか」

 天奈の言葉に、まず首を横に振る亜耶子。ただし顔色は一層悪くなってしまった。

「み、“見えない女の子”が、何だか急にハッキリ見える様になったなったみたいで、授業中でも、時々、ひ、悲鳴上げたり……」

「授業中――恐らくだけど、今までも見えていたんじゃないかしら? それが悲鳴ともなると、見える見えないというより、様子が変わった?」

 そして“見えない女の子”は、亜耶子に似ているのだ。天奈はそれを指摘しなかったが、恐らく亜耶子も気付いているのだろう。

 霊ならば霊に相応しい、何かおどろおどろしい見た目に変わったのではないかと。そしてそれが自分にそっくりなのだ。

 確かにそれは――亜耶子が追い詰められている様に感じても仕方のない事かも知れない。

 だがこれで事態が大きく動くのも確かな事だ。

「それは、学校も気付いたのよね? 見えない云々はともかくCクラス、というより生徒たちが不安定な状態になっているって」

「ええ。もうこうなったら、わたしも尋ねるしか無いって。そう思って担任の木ノ下きのした先生に確認してみたんです。見えない女の子について」

「それで? まさか、その先生も見えているとか?」

「それは無かったんですけど、何だか思い当たることがあるみたいで。職員室じゃ無くて、わざわざ個室に連れて行かれて」

「それじゃ、気のせいって言われたわけでも無いわけね……ああ、ごめんなさい。授業中に叫ぶ子がいるのに、気のせいじゃ済まされないわよね」

 天奈は謝罪しながら頭を振った。

「でもこれで転校生である事が、亜耶子さんのアドバンテージになるかも知れないわね。言葉を選ばなければ、亜耶子さんは“部外者”なんだから」

「そ、そうです。わたしは先生に聞きに行くまでそれに気付かなかったんですけど、個室に行くまでに、先生の対応から、わたしの立場に気付いて――でも、結局それは……」

「“関係無い”で押しきられてしまった?」

「はい。今から考えれば、実際に迷惑してるんだから、関係無いわたしが強く出ても良かったとは、今、御瑠川さんと話す中で気付きました。でも、やっぱり、何かあったみたいで……」

「何か? それは教えてもらってないの?」

「……はい。それはどうしても教えてくれなくて。それどころか先生も何だかわたしを見る目が怖くなって、それで、た、多分、だ、誰かが死んでしまったんじゃないかって」


 ――死んだ。


 それは口に出されなくても察してしまえる言葉なのだろう。そして死んだと思われるのは、Cクラスで見えてしまうと言う見えない女の子。そこまでは亜耶子も胸の内に収めることも出来るだろう。所詮はCクラスの部外者と割り切ってしまえば良い。

 だが、その見えない女の子と自分がそっくりで、死を想わせるとなれば――

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