「カフェ・ピッツベルニナ」(五)

「――不思議、と気楽に言ってられない答えが返ってきたのね」

 やがて天奈は優しく確認した。亜耶子は深く頷く。そして意を決したように、訂正から始めた。

「……“答え”とかそういう事じゃ無いんです。琉架もわたしの質問に答える感じじゃ無くて、ただ櫛の説明をしてただけ。でもその櫛が――」

「櫛が?」

「わ、わたしの持っている櫛と同じなんです。丸い櫛なんて、他じゃ見ないし、どうしてそれを見えない女の子が挿しているのかが全然わからなくて」

「同じ……同じね」

 天奈は、亜耶子の“告白”について、まずそう返した。そこからしばらく考え込む。

 そしてその空白は、亜耶子を不安にさせるのには十分だった。

 天奈のおかげで問題を俯瞰できるようになっていた亜耶子は、これだけの説明では、

「なんだそんなこと」

 と返されても仕方の無いことに気付いたのだから。

 だが、問題はむしろこれからが本番。おかしな話だが、亜耶子はこの時、天奈に呆れられる事を怖がっていた。自分の怖さが“気のせい”では無いことを祈っていたのだ。

「――ごめんなさい、亜耶子さん」

 そして天奈から謝罪される亜耶子。それはどうしようも無く、亜耶子にイヤな予感を抱かせた。

 ――それだけの事で、私を呼び出したの?

 そんな言葉が今にも天奈の唇が紡ぐのではないか? 亜耶子はそれがたまらなく恥ずかしい事のように思えた。だから、何とか話を進めようと強引に割り込もうとする。

「あ、あの!」

「細かいところから確認したいんだけど、その丸い櫛は琉架さんに先に話していた、と言うことは無いのね? 他のクラスメイトでも良いのだけれど」

 ところが天奈の放った言葉は、亜耶子の想像のまったくの逆。呆れるどころか、さらに真剣に問題に取り組もうとしている。それは明らかだった。

 亜耶子はそれを嬉しく思い、慌てて軌道修正する。

「え? あ、ちょっと……い、いいえ。それは間違いないです。琉架はもちろん学校でその櫛の事を話したことはありません」

「じゃあ、誰かが先に知っていたわけではない……と」

「その点については確かです。わたし、その櫛を大事に思っていて、学校に持っていったこともないです。そんな簡単に、人に話せるようなものじゃ無いんです。それなのに琉架がそんな事を言い出すから――」

「確かに。それはちょっと、怖いわね。見透かされてる感じ? それも見ている相手が、“見えない女の子”だもの」

「そう! そうなんです。わたしもハッキリしなかったんですけど、そういう怖さを感じてしまったんだと思います。よかった……御瑠川さんにちゃんと伝わって」

 心底嬉しそうに、亜耶子は胸をなで下ろした。確かに恐怖を感じているのに、まずそれを受け入れなくては相談も出来ないのだ。だが、それは自分の身の周りでおかしな事が起こっている事を肯定してしまう事に他ならない。

 この不条理こそが、亜耶子が直面している最大の問題点かもしれなかった。それを天奈は興味深そうに眺め、自分の番と言うようにさらに確認した。

「それで、その櫛が『自分自身に呪われる』という問題に……うん? まだそこまで感じる理由にはなってないわね。まだ何かあったのね?」

「はい……」

 束の間感じていた喜びを、亜耶子はすぐに手放さざるを得なかった。

 天奈の言うように問題はこれで終わらなかったからだ。ただ普通考えられるような問題はが増えた、という形では無く問題はより具体的になる。

「……その櫛の話が出たときに、わたしは尋ねました。“見えない女の子”はどんな見た目なのかを。情けない話しですけど、わたしその時まで琉架にそれを尋ねなかったんです。話半分――そんな感じで聞いていたんだと思います。それで櫛のことがあって、それがわたしの櫛で、だからその時初めて聞いたんです。見えない女の子は、どんな見た目なのかを」

「ああ……それでわかったわ。つまり“見えない女の子”は――」

「はい。そっくりなんです――わたしと」

 青ざめた顔で。身体の線を固くして。それほどの恐怖にさらされながらも、亜耶子はハッキリとを口にした。

 しかしこうなると、天奈としても色々確認したくなる部分がある。それを追求することは無情なようにも思えるが、ここで放り出すことも出来ない。結局覚悟を決めて、細かいところを尋ねていくしかないのだろう。

 天奈はあえて感情を消した声音で、亜耶子に確認する。

「じゃあ、もしかしたらクラスメイトは最初から?」

「そ、その辺りはわたしも確認しました。ですから、今まで以上に、お伝えできるのかわからないんですけど、まず琉架はちょっと鈍いっていうか、霊感が弱いっていうんでしょうか。そういう感じらしいんです。だから――」

「亜耶子さんとお友達になれたということね。“見えない女の子”をハッキリとは認識出来ていないですから」

「そういうことなんだと思います。それでわたしもなんどか琉架に尋ねたんですけど、尋ねる度にどんどん“見えない女の子”が……わたしに……」

「他の子には尋ねみた?」

「はい。もう敵意を向けられても放っておくことは出来ませんでしたから。新堂しんどうさんと、江波えなみさんという人です。何というか、敵意がハッキリわかる人達でしたから」

 その答えに、天奈は小さく頷く。

「勇気があるのね」

「いえ、これは……そう言うのじゃ無くて、ただ必死で」

「それでもえらいと思うわ。それで、どんな答えが返ってきたの?」

「最初は逃げられたんですけど、それでも追いかけて、その……トイレで」

「ああ、それは良かったのかも知れないわね。教室じゃ無いんだし」

 その指摘に、亜耶子は今気付いたと言わんばかりの表情を浮かべた。必死だったことは間違いない。ただそれで“見えない女の子”が出現しないと考えられているトイレに場所を移せたのは確かに幸運だったとも言えるだろう。

 実際、トイレで亜耶子は二人を追い詰めることに成功したのだから。

「それで“見えない女の子”については、確かに居ると。実はこの時まで、琉架が勝手に言ってるんじゃ無いかと思っていたんです」

「無理もないわ。それで、やっぱり?」

「ええ。琉架から聞いていた特徴が確かなのか確認していくうちに、ますますわたしに似ていることがわかって……」

「どうやら間違いないようね。どうして“見えない女の子”は亜耶子さんに似ているのかしら? ……ああ、ごめんなさい。どうしてそんな事になったのか? それがわかれば問題も解決するんじゃないかと思って無遠慮になってしまって」

「大丈夫です。わたしもそう考えたんです。それで次に他のクラスの子に尋ねてみることにしました」

「他の……」

 それに複雑な表情を見せる天奈。それを見て、亜耶子は慌てて手を振った。

「も、もちろんそれで“見えない女の子”の事を聞こうとしたわけじゃないんです。ただ、このクラスを外から見るとどう見えるのか……」

 それを聞いて天奈は頷きを返した。

「それが気になったのね。やっぱり亜耶子さんは強いと思うわ。そんな事まで気がつくなんて」

「いえ……」

「それで、どんな話が聞けたの?」

「それが……聞けなかったんです。本当に相手にされなくて」

「え? ちょっと待って。慎重に行きましょう。まず最初から相手にされなかったのかどうか」

「……ええと、待って下さい。思い出してみます……その、そのあとの拒否が心に強く残っていて」

「大丈夫よ。そうだ、おかわりお願いしましょう。すっかり冷めてしまったわ」

 天奈はそう告げると、亜耶子の返事を待たずに今度はレモンティーを注文した。さすがに亜耶子の分は勝手に注文することは無く、亜耶子も迷った結果、天奈と同じものを注文する。

 口をつける事は無いだろうと亜耶子は思っていたし、口をつけたとしてもレモンの酸味が欲しくなるような気がしたからだ。

 そういう風に、別に方向に考えが向いたことが本当に小休止の役割になったのだろう。亜耶子の狭まっていた視界が、急速に広がった。

 そうなるとこの店の広さ、そして開放感を亜耶子は実感した。

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