「カフェ・ピッツベルニナ」(四)
「それで、しばらくは敵意を向けられていた、と。随分辛かったでしょう……亜耶子さん、がんばったのね」
その亜耶子の心に添うかのように、天奈が亜耶子を評価した。それで亜耶子も勢いづく。
「わ、わたしは、その大丈夫です。まず原因がわからなかったし」
「お友達もいるしね。琉架さんも敵意を向けてきたわけでは無いのよね?」
「そ、それはそうなんです。でも、もっとおかしなこと言いだして」
「敵意の方がまだわかりやすい、ということね。一体何を言い出したの?」
「それは――」
亜耶子はテーブルの下で、ギュッと握り拳を固めた。
「――クラスに“女の子”がいるって。そ、それだけだと不思議はないんですけど、その女の子は、正式なクラスメイトじゃ無いって」
さすがに天奈の表情に余裕が無くなった。亜耶子の話をどうにかして整理しようと苦慮している。それでも何とかして言葉を紡いだ。
「……それは幽霊みたいなもの?」
「やっぱりそう思いますか?」
天奈の結論は突飛なものでは無かったらしい。亜耶子も同じ結論に達していた。
「待って。とりあえず、幽霊のようなものと考えてもいいのかしら? 亜耶子さんには、当然その“女の子”は見えないわけよね」
「……はい、見えません」
「それで、琉架さんはどういう風に話をしてるの?」
「ですから、クラスの中にそういった女の子がいるって。そういう話を――」
「亜耶子さん、落ち着いて。順番に確認していきましょう。見えない存在がいる。幽霊かどうかは定かでは無いけど、それはあとまわし。私が気になるのは、まずその女の子がずっといるのかって事」
「それは……地縛霊みたいな事ですか?」
「そうね。そういったモノである可能性はあると思うわ。だからこそ冷静に対処しないと」
「そう……ですね。ええと、琉架は……いえ、ずっといるみたいな事は言ってません。ふとした弾みに見える時がある――そんな風に話してます」
「それでそれが見えるのは?」
「どういうことでしょう?」
「先程亜耶子さんは“地縛霊”と言ったでしょう? それでなんとなく亜耶子さんも感じているとは思うんだけど、ハッキリさせておきたくて。――琉架さんがその女の子を見るのは教室の中だけ?」
「ああ……そうですね。実は、そこを確かめる前に、もっと不思議な事を琉架は言い出したんです。だから教室の中と言うことで間違いないと思います」
「もっと、ね」
「はい。その女の子は、クラスの全員が見てるって琉架は言うんです。そう言われて驚いてしまって。それで周りの様子を窺ってみたんです。わたしの席は、全体を見渡すのに丁度よかったですし」
「それはそうね。それで――」
「それで、確かに腑に落ちないというか、納得出来ない動きをしてる子がいることに気付いたんです。何だか変に場所を譲ってみたり、誰もいないのに椅子を引いてみたり」
天奈は唇に人差し指を当てた。内緒話を示唆するかのように。しかし亜耶子はさらに続けた。
「それでですね。一端気付いてしまうと、見えないんですよ? 見えないんだけど、確かに、そこに人がいる様に感じてしまうんです。そういう風に、歩いている人が教室にいる……」
「謂わば“動線”が見えるのね」
「どうせん――ですか?」
「人の動きの流れという説明が適当かしら。ちょっとこの使い方はおかしいんだけど、わかりやすいと思って。その人の流れは、当然“その女の子”が作り出している――亜耶子さん、よく気付いたわね。これは大事な事かも知れない」
「そ、そうですか?」
いきなり褒められたことで、亜耶子の勢いが緩んだ。天奈は柔らかく微笑みながら、さらに言葉を重ねる。
「それに地縛霊。確かにそう感じたのも凄い事だと思う。それがまず、問題の大事なところね。でも、これだと最初に亜耶子さんが言っていた問題には届きそうも無いわ。乱暴な話だけど、ありきたりな心霊体験と割り切ってしまうことも出来るから」
天奈はそこで一息ついた。
「やっぱり最初に問題点を聞いておいて良かったわ。順番に聞いていたら、
――具体的な被害は無いんでしょ?
なんて、突き放すような言葉を投げかけてしまうところだった」
「それは……はい。被害は無いとも言えるんですけど……御瑠川さんにお話しできて良かったと、わたしも思います」
「そうね。今のところ私たちは上手くやってると思うわ。それで教室の中に“見えない女の子”がいる。他のクラスメイトが亜耶子さんに敵意を向けるのは、そういった存在があったから。きっと亜耶子さんが見えるのかどうか? その辺りを見定めるために、クラスメイトは警戒したのね」
「それは、わたしもそう思います。思っていた、と言うべきだったかも知れないんですけど、とりあえずはそれで納得するつもりがあったんです。……転校してから、まだ間もないですし」
「そう……ね。無理に波風立てることで危ない目に遭う事もある。そう考えると、その判断は賢明だと私も思うわ。“見えない女の子”の話は受け入れ難いけれど、それを否定しても、それで事態が好転するとは思えない――でも、そうも行かなくなったのね?」
「そ、そうです。ここからまた、琉架がおかしな……いえ、わたしが聞き出してしまったと言った方が良いのかも知れない」
天奈は続きを待ったが、亜耶子はそこで沈黙してしまった。いよいよゴールは近いと言うことなのだろう。「自分に呪われる」という理解出来ない現象に辿り着くまでに。そして亜耶子がどうしてそう考えたのか。
天奈は少し考えて、そこから先の亜耶子が紡ぐであろう説明を先読みした。あるいは必要な補足を組み立ててみる。
亜耶子の説明は、時折結論に飛びついてしまうことがあるからだ。それは天奈のせい、とも考えられる。
この時の亜耶子の状況。そして琉架との距離。考えられるのは――
「……それはどうしてもそうなるわね。“見えない女の子”の話をずっとしないなんて事は出来ないんだし。話している間に、どうしても話題になってしまう。いえ、亜耶子さんなら……もしかして探りを入れたのかしら?」
その天奈の推理は正解だったようだ。亜耶子の唇が引きつっている。だが結局、亜耶子は否定すること無く、ただ俯くだけだった。
「……凄いんですね御瑠川さん。叔母がよく話をするのがわかった気もします。そうなんです。わたしは尋ねていたんです。“見えない女の子”がどんな風なのか。理由は……」
「ええ、それはわかるわ。好奇心とも言えるし、自分の身を守るために必要な事だと理解出来る。それで琉架さんは何て言っていたの?」
「最初は、あの表情は何かを諦めた感じ、とか、珍しく笑っていた、とか……」
「あやふや?」
「そうです。全然、具体的じゃ無くて」
「でも、やがて具体的なことを言いだしたのね。それは何?」
「く……
「くし? ああ、髪をとかす櫛ね。それともアクセサリーとしての櫛かしら?」
亜耶子を再び沈黙させないためか、天奈は矢継ぎ早に質問を繰り返す。その勢いに押されるように、亜耶子もまた懸命になって言葉を紡いだ。
「それは……よくわからないんですけど、琉架が言うにはアクセサリーとして使ってるみたいで、髪に挿しているみたいなんですけど、そ、それが、凄く具体的で」
「具体的? どういう櫛なのか説明があったのね」
「丸い……丸い櫛なんです。全体的に丸くて、その一部がギザギザの――」
「櫛の歯、ね。確かにわかりやすいわ。“見えない女の子”は、そういった櫛をアクセサリーのように髪に挿している」
「で、でもそれは変なんです!」
突如、亜耶子は声を上げた。完全に動揺している。天奈はそれに慌てること無く、冷静に沈黙を守った。ただその視線には力を込めて。
それが功を奏したのだろう。亜耶子はやがていたたまれないように居住まいを正した。そして天奈の視線から逃げるように身を小さくさせる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます