「カフェ・ピッツベルニナ」(三)
「……なにか、あるの?」
天奈が重ねて問い掛ける。
「わたしの……気のせい、かも知れないんですけど」
「そういうことって大事よ。後でまとめてしまえばいいんだし、気にしないで話してみて?」
「は、はい。えっと、転校したわけですから席が用意されてますよね」
「そうね。普通はそういうことになると思うわ」
その時点で違和感を感じるなら、教室の半端なところにポツンと空いた席があるとか、そういったものが想い浮かぶところだ。
しかし、そんな天奈の想像を亜耶子自身が否定してしまう。
「教室の一番後ろに用意されていました。丁度良い、というわけでは無くて、本当に転校生が来たから、付け足した、みたいな感じで用意してあったんです」
そのクラスにいたのは十八人。亜耶子が十九人目ということになる。用意されていた席は、一番後ろの窓側から数えて三番目。
「うん……確かに、それは自然なような気がするわね」
天奈としてもそう応じるしか無かった。亜耶子もその答えに力づけられたのか、大きく頷く。しかしそれでは――
「それで。何かおかしかったの?」
「えっと……わたしも緊張してたんで、今までそのせいだと思ってたんですけど、クラスメイトの様子が、ちょっと……大袈裟というか……」
天奈は言葉を探すように、少し視線を逸らした。
「くどいようだけど、確認させてね。その“違和感”は初日の自己紹介の時に感じた――それで間違いない?」
亜耶子はそう尋ねられて、自分の説明不足に気付いた。
「そ、そうです。その空いている席を、前に出て挨拶しようとしている時に見たんです。その時は、あの席になるんだ、ぐらいの感想がまず最初にあって、そのあとです。違和感を感じたのは」
「よくわかったわ。ごめんなさい、細かくて。そしてその時感じた違和感だから……想像以上に注目された、とか?」
「それは……そうかもしれないんですけど。わたしも転校は初めてですからなんとも言えないんですけど……」
「そうね。比較してそこに違和感を覚えたわけではない、と。それならやっぱりそれは雰囲気の問題かも知れないわね」
「雰囲気……ですか?」
その天奈の指摘には納得がいかないのか、亜耶子は少しだけ俯いた。天奈はそれに構わずに先を続けた。
「感情を読み取ってしまった。そう言い換えても良いかも知れないわ。感情と言っても、非常に限定された感情――敵意とか」
「敵、ですか?」
「異分子に対して、そういった感情を抱くことは自然と言い換えても良いわ。でも、それに改めて亜耶子さんが違和感を感じたのなら……」
天奈は形の良い顎に手を当てた。
「ねぇ、亜耶子さん。その時、全員が亜耶子さんを見ていたの?」
その問い掛けに亜耶子は眉を潜める。
「そ、それは当然なんじゃないんですか?」
「いいえ。それはおかしいのよ」
天奈は即座に否定した。
「人が一斉に同じ行動をすることはあり得ないわ。例えばよそ見をしている子。机の下で何かを確認している子。周りにいる誰かとヒソヒソ話したり」
天奈の説明で、亜耶子も納得出来たのだろう。
そこで亜耶子は改めて記憶を探る。あの時のクラスは――
「見ていました。わたしを……多分全員」
「そう。それなら多分、それが違和感の正体だと思うわ」
「あ、あの、敵というのは?」
「人の行動が一致するなら、一番の候補はやっぱり警戒になると思う。それに転校生が来たという状況を考えるなら、視線が理由としてはそれが一番になると思うわ。でも――」
天奈は笑みを浮かべた。
「それは人としては当然の行動だし、違和感を感じた視線も“たまたまそうなった”という説明は十分な説得力がある。それに、そのあとしばらくは問題無かったんでしょう?」
今は十月中旬と行ったところだ。確かに転校して即座に問題が発生していたのならこのタイムラグは発生しない。
「は、はい。やっぱり最初は違和感だけで、それほど深く考えなかったんです。それから一週間ほどでしょうか。友達が出来ました」
その
友達の名は「
亜耶子が差し出すスマホの画像で確認してみると、どうやら小柄な少女であるらしい。お下げ髪に少し野暮ったさを感じる黒縁の眼鏡。
その眼鏡越しでもわかる、太めの眉が特徴だろうか。亜耶子の自撮りに、肩をすくめて映り込んでいた。
「そう……優しそうな女の子ね。亜耶子さんが一番に仲良くなったのもわかる気がするわ」
「そ、そうなんですよね。琉架は本当に優しくて………」
言い淀む亜耶子。これでは間違えようも無い。やはりと言うべきか、こういった人間関係で問題が発生したのだろう。
しかしそれでは「自分に呪われる」というゴールには届きそうも無い。天奈としては先を促すしか無かった。
「良いお友達のようね。何かあったのかしら?」
「いえ。ええと、琉架に何かあったと言うわけでは無くて、この時にはハッキリと感じていたんです」
「何をかしら?」
「敵意、というものだと思います」
先程、亜耶子が転校時の違和感について、それが敵意であるとの指摘に過敏に反応したのは、この時に感じた敵意を思い出したからなのだろう。
だが最初の敵意は転校生――謂わば異分子への“一般的な”敵意だ。
しばらく経ってからの敵意と、最初の敵意を同列に並べることは整合性が許さない。
では琉架との交流が始まってから、亜耶子が感じた敵意とは――
「――嫉妬。ううん、これじゃ大袈裟すぎるわね。やきもちとか、そういうものを抱いた誰かがいたのね。前に仲の良かった誰か、とか」
この辺りが妥当な判断になるのだろう。亜耶子もそこまでは考えていたらしく、小さく頷いた。
「わたしもそう考えました。でもそれだとおかしな事が……例えば、御瑠川さんが言ったような、やきもちはわたしも考えてみたんです。考えたというほど、ちゃんとしたわけじゃないんですけど」
「わかるわ。そういうこともあるって感じてしまうのよね」
「そう。そうなんです。わたしも最初は、そうだと感じていたんです。でも、それってどうしようもないでしょう?」
「それはそうね。それに亜耶子さんは転校してきたばかりだもの。優しくしてくれる子と仲良くなるのは当たり前だし」
天奈の肯定に亜耶子は頬を紅潮させた。だが、すぐにその表情が曇る。
「……でも、それだとわたしに敵意を向ける相手は一人か、二人ぐらいになると思うんです」
「違うのね?」
「そうです。その時は、クラス全員から睨まれているというか……」
「ああ、それで……自己紹介の時の違和感に通じるのね」
「そうです。わたしもそれで大袈裟に考えている気もしたんですけど――」
亜耶子は、息継ぎをした。
「思い返してみると、やっぱり全員から見られていたのは……最初の自己紹介の時ですけど」
「そうね。一言で言ってしまえば変。でも妙に整合性がある」
天奈は独り言のように呟いた。亜耶子はそんな天奈を見て、少しだけ心を躍らせた。自分の妄想、と切り捨てられる可能性が減ったように感じられたからだ。
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