推し猫。
友坂 悠
推し猫。
推しの猫がいる。
ツヤツヤな黒い毛がもふもふと靡き。
シャなりと歩く姿は麗人を思わせる。
まるで頭突きをするようにあたしの手のひらに頭を擦り付けてくるくせに、絶対に抱かせてはくれない。
かと思うとにゃぁと可憐な声でもっと撫でろと呼びつけるのだ。
そんなクロコさん。
お隣の青木さんちの喫茶店、「猫のひとやすみ」の看板猫。
それがあたしの推し、かわいい可憐な長毛種のクロコさんだった。
元々、ふらっと現れた野良の子だった。
こんな長毛の子猫、野良でやっていけるのかな? そんな心配をしたあたし。
でも、青木さんの奥さんは喫茶店の名前に猫ってつけるくらいの猫好きで。
いつの間にかいついたクロコを可愛がっていた。
この辺りは田舎で。
野良猫も結構いる。
多分、母猫とはぐれたか何かで偶然喫茶店に現れたんだとは思うけれどそれでも。
ここにいれば、ご飯には困らない。
つんとした態度でも人は皆虜になる、そんなかわいいクロコにとって、ここは生きていくためにたどり着いた場所、なのだろうと思う。
昼間は「ひとやすみ」の倉庫の段ボールの中で寝ていたり。
気まぐれに駐車場でゴロゴロしたり。
お店の中で端の席を占領し、うとうとしたりしているクロコ。
夜お店が閉まったあとは、外の世界が彼女の縄張り。
「夜は警備入れてるから中に置いておけないの」
と青木さん。
自宅兼用ではないその店舗は、夜は警備会社の警報装置がセットしてあることもあって猫が中で過ごすことはできないのだ、と。
まあしょうがないよね。
青木さんの旦那さんは猫アレルギーで、おうちに連れ帰ることもできないって言うし。
結局半野良状態で過ごしているクロコ。
でも。
その姿には気品を感じた。
凛とした強さも。
完全室内飼いの猫にはない、野生の強さを感じて。
あたしは彼女のことが本当に大好きだった。
平日の昼間、時間の空いた時にはスマホを持って外に出る。
そうしてクロコを見つけると頑張ってそのかわいい姿を写真におさめる。
それがあたしの推し活。推しねこかつだったのだ。
そんなある日。
あたしが買い物から帰ってきた時のことだった。
お隣はちょうどアイドルタイム? お客さんはいなくって。
青木さんが一人、駐車場に立って何かをじっと見ている。
なんだろう?
あたしも青木さんのそばに寄って挨拶して。
「何かあったんですか?」
って声をかけた。
「見てみて、櫻井さん、あそこ」
青木さんが指差すそこには。
ひょこひょこと、何かを加えてやってくる黒猫。
隣の隣の会社の敷地から、ひょこひょこ歩いてくるクロコは。
なんと、子猫を口に咥えてお引越し中だったのだ。
よっこらよっこらと言った感じに「ひとやすみ」の倉庫のシャッターの前まで辿り着いたクロコ。
こちらをちらっと見るとそのまま中に入り、そうしてまた外にでて行った。咥えていた子猫は中に置いて。
「これで二匹目なの。妊娠してるかなぁって思ってたら先月お腹がスッキリしてて、どうやらそこの会社の倉庫の下あたりで子猫産んでたみたいで」
「え?」
「事務員さんから子猫の声がするって聞いてたんだけど、だいぶ大きくなってきたから子猫連れてこちらに引っ越してきたみたい」
「ああ、でも。夜はどうしよう。大丈夫かしら」
そっか。
昼間はいいけど夜がね。
こんな田舎とはいっても外は危険がいっぱいだ。
幸い今は初夏だから凍えることはないだろうけどそれでも心配、だな。
そんなことを考えながら青木さんの奥さんと別れたあたし。
何かあったら言ってください。協力しますよ。
そう一言伝えて。
⭐︎⭐︎⭐︎
「ってわけなの」
「そうかぁ。みたかったな子猫」
「ふふ。あなたにもそのうちチャンスがあるわよ」
旦那が帰ってきて、夕食を摂りながらそんな子猫の話で盛り上がり。
「ねえ、もし青木さんところで困るようだったら、子猫預かってもいいかなぁ?」
あたしはそう聞いてみた。
もちろんその場合は飼い主になってくれる人をちゃんと見つけてあげないと。
そう考えて、だけど。
何匹いるかはわからない子猫をみんな面倒見るわけにもいかない。
それはよく理解してる。でも。
「そうだな、俺も会社で子猫の貰い手探してみるよ」
そう言ってくれた彼に、あたしは頭をコツンと寄せた。
⭐︎⭐︎⭐︎
「ごめんこんな時間に。櫻井さん、ちょっときてもらってもいい?」
青木さんからそう電話が入ったのはその日の夜11時を過ぎようという頃だった。
普通じゃない、そんな声にあたしは二つ返事で支度をして外に出る。
お隣っていうのはこういう時には便利。
お店の営業時間はもうとっくに終わっているはず、こんな時間までどうして? そうは思ったけれどだからこそこれはよっぽどの事情だろう。そう思って。
駐車場で段ボールを抱えた青木さん。
クロコが心配そうに、その足元に佇んでいる。
「ほんとごめんなさい。でも、この子をちょっと見てみてほしいの」
そういう青木さんの手元の段ボールの中には、子猫が三匹。
「ほら、この子が……」
青木さんが指差すその子猫。サバとらで頭にくっきりとしたMの字のかわいい子。
でも。
ああ。なんてこと。
その子猫は後ろ足が無かった。
いや、片足は膝から、もう片足は足首の部分で。
ちょうど斜めに切断されたように、足のない子猫だったのだ。
「傷口は塞がってるし血が出てるわけじゃないから命に別状はないのかもだけど、この子このまま外に出すのは気が引けて」
ああ、そうだろう。他の二匹は大丈夫そうだけどこの子はこのまま外で生きてはいけない。
いくらクロコが庇ったとしても限界がある。
この子は……。
「車のボンネットの中でどこかに挟まれたのかしらね」
「そうかもしれません、ね……」
ああ、だめ。
「あたし、このこ達預かります。明日病院にも見せに行きたいし」
「いいの?」
「ええ。クロコもしばらく預かりますけどいいですか?」
「もちろん。お母さんはまだこの子達には必要だろうし」
そうしてクロコごと子猫たちを保護したあたし。
結局足のない子、マイアはうちの子になった。
足がなくとも元気に育って、あたしの新たな推しの子となって。
お兄さんのガッシュとお姉さんのオルテは貰われていき、クロコも避妊手術を受けたあとまた「猫のひとやすみ」の看板猫に戻った。
でも、夜はうちに帰ってくるようになったからちょっと安心。
クロコとマイア。
このあたしの推し猫は、これからも元気で長生きしてもらわなくっちゃだから。
end
推し猫。 友坂 悠 @tomoneko299
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