永遠と信頼

若子

心の中は

 水面も見えない海の中を、空気を求めることも諦めてしまって、闇が深くなっていく周囲にどこか安心している自分と、焦燥感に駆られる自分とが共存しているようだった。

「また明日」

 そう笑いながら、友人と別れることが出来る。この日常が変わらなければ良いと、ずっと思っていた。

 ーー永遠

「俺達、永遠に友だちだよな!」と、あいつが言った言葉が脳裏をよぎる。永遠の友情を約束していた。ずっとこの関係が続けばいいと心から思っていた。永遠の友だち、永遠の関係。永遠のもの。

「なんてくだらない」

 永遠など、この世のどこにもないというのに。求めてしまっても、無駄なことで。期待するだけ、その言葉を信じるだけ、傷つくだけなのに。

 ……知っているのに永遠を求めてしまうのは、それが絶対に手に入らないからで。安心して絶望出来るからだろう。



 秋の終わり。赤く色付いていた葉はその色を失って、地面と同化していく。美しかった赤色は見る影もなく、葉という装飾をはがされた木の幹はとても寒そうで。たくさんの葉に囲まれていたはずの幹を知っていただけに、貧相で孤独に見えた。

「まるで僕みたいだな」

 実際は、この木は春になれば花を咲かせるし、夏になれば緑を生やす。僕なんかとは比べものになれないくらい、立派に生きているのだけど。僕はこの幹と自分を重ねてしまった。

 生とは別れの連続で、生とは苦しみの連続である。どこかの誰かが、「生とは素晴らしいものだ!」と語っていたが、僕にはよく分からない。かといって、「死は救済だ」というのも、よく分からない。生きることは素晴らしくもないし、死もまた救済ではない。生とはただただ与えられただけのもので、死とは冒険である。それにどんな意味を見出すか、が人生ではないのだろうか。

 ……そんなことを考えたところで僕の人生が良くなる訳でも無い。無駄な思考だなと、僕はぼんやりと視線を上げた。

 一人で登校するようになったのはいつからだろう。いや、僕は明確にその時期を知っている。思い出したくないだけなのだ。友人だと思っていた人から、裏切られた記憶など。

 裏切り。そう言うのは少し過激だろうか。一緒に登下校しなくなっただけである。休憩時間に会わなくなっただけである。一緒に遊ぶことがなくなっただけである。相手にとっての一番と僕にとっての一番が一致することなどそうそう無いのだと頭では理解はしている。理解はしているが、やるせなかった。

 あいつとは小学校から高校に入るまで、ずっと仲良しだった。一緒にサッカーをした。ゲームをした。買い食いもしたし家族の愚痴なんかも言ったりして、なんでも言いあえる仲だった。毎日一緒に登校して、下校した。何がきっかけで離れたのかといえば、簡単だ。

 あいつは新しく入ったサッカー部での期待の新人となった。それに対してなんだ?僕は美術部のさえないただの部員だ。世界が違う人間になったんだ。排除されて当然だ。僕は相手と同じ土台に立てていないのだから。相手にとって僕は、価値ある人間ではないのだから。誰のせい?と問われれば、

「相手に見合う人間になれなかった、僕のせいだよな」

 ……人は本当に利己的で、どうしようもないものだと知っているつもりだった。誰かが誰かと仲良くするのは打算的なものが入っている。人は下の人間とはつるまないし、下の人間は上の人間に気を使って接待をする。自分を守るため、自分の利のために、人は行動を起こす。恋愛なんかはそれが顕著だ。誰かに自慢するため、自分が価値ある人間だと思いたいがために恋人を作る人を僕は何人も見てきた。それを僕は嫌悪していたが、人間関係において打算をする、というのは僕にも言えたことだった。

 学校の正門が見えてくる。一人で登校するようになり、ぎりぎりの時間に学校につくことが多くなった。正門に立つ先生が、はやくしないと遅刻するぞと生徒たちを急がせている。それを横目に門を通りながら、僕は校門近くに生えている大きな木を見上げた。

 不思議な木である。校門を入ってすぐ左。樹齢百年までとは言えないが、それは大きな木が一本だけそびえ立っているのである。あの一本を残し、他は全て学校を建てるときに切られてしまったそうだ。

「ほら、はやく教室に行きなさい!」

 早く行ってもしかたがないのにな、と思いながら、僕は言われるがまま小走りに教室へと向かった。


 誰も僕に話しかけない教室という箱の中。この空間が僕は好きだった。元々、人と関わることは好きではないのだ。人と関わることで疲弊するくらいならば、僕は一人で、感情を掻きたてられないようにしたい。

 自分の机に荷物を下ろす。チャイムが鳴るまであと五分。視線を窓の外へと向ければ、あの木が見えた。あの木を見る度、自分の机が窓際で良かったと思う。

 友人と距離を置かれてしまった僕の心のよりどころは、あの大きな木だった。ずっしりとした重量感。根はしっかりと地面をつかみ安定していて、そして周りに同じ木はない。孤高の存在である。見るだけで安心し、近くに寄るだけで、安らぎをおぼえた。

 あの木のようになりたい。あの木のように安定した、そして他者と馴れあうことのない穏やかな日々を過ごしたい。他者と馴れあわない生活というのは、達成されている。だけど何故か、穏やか、とは言えないのである。あいつと離れて一ヶ月。時がたてば平常心になるだろうと思っていたものの、しかし日を追うごとに、僕の心は鬱々としていった。

 人との関わりは最低限でいい、と思ったのはいつからだっただろうか。どの人も利害ばかり考えている利己的な人間だと思ったのは、自分がそういう人間だからだ。しかしそういう、疑心暗鬼な目で見てみれば、確かに人は皆、利己的な人間なのだ。

 利用されてなるものか、と思った。人は信用できない。人を信頼してはいけない……けれど、この生き方は、常時何かひんやりとした、薄ら寒いわだかまりのようなものが心に住む。喜びが感じにくくなり、無であろうとして、無であるのに、どこか苦しい。苦しむことが起こらなくても、苦しくなる。孤独は毒か。孤独は自由とイコールで結ばれると思うのだけれど、限度をわきまえなければ、苦しくなるものらしい。

 水たまりも凍るような寒さの中で、芯から冷えて寒さすら感じなくなっているのに、体が身震いを起こす、あの感覚。

「おい、草本、草本!聞こえてるか?おーい」

「え、あ、何?」

「陽がお前のこと呼んでるんだって。チャイムも鳴りそうだし、とっとと行ってやれよ」

「陽が?」

 扉を見れば確かに「あいつ」がいた。少し気まずそうに手を振っている。

 今更なんの用事だ。慈悲のつもりか。心に冷たいものを感じながら、とりあえず笑顔を形作った。

「どうした?久しぶりじゃん」

「おお、久しぶり。その、たまには一緒に飯食おうと思って。昨日昼休憩にここのぞいてみたんだけどいなかったからさ」

 一瞬、息がつまった。頭が真っ白になる。そうなった瞬間、後ろからぽんと頭を叩かれた

「おいお前ら、もうチャイム鳴るぞ?早く席つけ」

「うわっ、はーい」

 それじゃあまた昼休憩にな!と言われて、あいつは去っていく。僕は怒りと不安と少しの嬉しさが心の中でない交ぜになっていて。返事はせず、ただうつむいて自分の席へと戻った。


 ……多分、きっと、そのサッカー部でうまくいってないとかそういうことだろう。サッカー部で上手くいっているならば、僕のほうへ来るはずがない。そんな冷めた思考は、当たってしまった。

 学校の屋上近くの階段。陽が僕の教室へ来た後に移動した。誰もここには寄りつかないから、ここはとても静かだ。その中で、ぽつりぽつりと会話をする。少し気を向ければ誰かの笑い声がかすかに聞こえてくるほどに、静かに、ローテンションで話した。この空気はいつもきらきらと輝くサッカー部の連中とつるむようになった陽にとっては苦痛だろう。間を持たせるためか、無理矢理言葉を紡いでいるのか、それともはじめから聞いてほしかったのか。陽は自分の心情を吐露していった。

「サッカー部の皆と、上手くいってないんだ」

「そう」

「表面上は、仲は良いよ。いつもふざけあっててな。だけど、あいつらのふとした視線が、怖いんだ。俺を憎悪するような、嫌悪するような。そんな視線」

 僕からはその視線を感じないのか。と思いながら、適当に相槌をうつ。

「それに最近、サッカーのほうも上手くいってなくてさ。ボールをとられて、あいつらは勝ち誇ったように、ざまあみろといった感じで、俺を見るんだ」

「そうなんだ」

「もうきつくてな……サッカー部に入って半年、頑張ってきたけど、精神的にだめだ。お前と同じ部活に入れば良かった」

 ここで、「じゃあ今からでも美術部に入ったら?」と言えば、「いいやでも、」と返されるんだろう。何も面白くない話だ。僕からしてみれば、自分に能力があるから妬みを受けて辛い。自分に能力がある故の悩みだ、と言ったような話に聞こえる。むしろその部員の心情を察して共感してしまいそうだ。だが僕は心を押し殺して、

「大変なんだな」

と言った。上に立つ人間との間にいらぬ波風を起こす趣味はなかった。もしこじれでもすれば、教室にいるのも苦しくなる。あの空間が居心地が良いのは、皆僕にあまり関心がないからだ。

「お前に話したら少し楽になったよ。また今度、飯一緒に食おうな!」

 その「今度」とやらはいつ来るのだろうな。と心の中で失笑して、笑顔を形作った。

「また家にも遊びに行くよ。なんてったって、永遠の友だちだもんな?」

 陽がそういった瞬間に、予鈴が鳴る。そのまま「そんじゃあな」と言って、陽は先に彼の教室へと戻っていった。

「……覚えていたのか」

 もう忘れているのだと思った。しかしもう、二度とこれまでのように接することが出来ないのだという確信がある。

 僕はもう、あいつを「対等の人間」だと思えなくなってしまった。あいつが未だ信じている永遠の友情を壊したのは、その王手をかけたのは陽だとしても。壊したのは

「僕のせい……か」

 あいつは、きっと、永遠のものを。僕との友情を信じられるんだろう。僕から見た永遠は、消えてしまったけれど。

「永遠を信じるには、強さが必要か」

 陽のような人を信じられる強さ。あの大樹のような、溢れ出る生命力。葉が全て落ちても、またその葉をつけ、栄養を蓄える強さ。

「僕にできるかな」

 努力するだけ努力してみようと思った。生は長い。冒険するほどの度量は持ち合わせていない。ならば出来るだけ、この生に良い意味を見つけることの出来るような、永遠だと信じることができるものを見つけられるような、そんな努力をしよう。

 自ら「永遠」を手放すようなことを二度と起こさないように。例え水面が見えない海の中を漂っていても、水面を目指すことを忘れないように。

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永遠と信頼 若子 @wakashinyago

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